知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

那古野城跡

大永(1521〜28)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端(名古屋城二の丸あたり)に築いたもので一名「柳之丸・那古野城」と言った。
今川氏親は、一族の今川氏豊を城主として守らせていたが、織田信秀によって城を奪われた。天文4年(1535)織田信秀が古渡城に移った後、織田信長が居城した。弘治元年(1555)織田信長が清須に移った後、一族の織田信光が居城したが、やがて廃城となった。

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犬山城下町

犬山城は天文六年(1537)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後、何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に城郭は整備されていきました。
(犬山城は室町時代、木ノ下に築かれた城が後に織田信康により現在地へ移築されたものです)

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犬山の城下町は、他の多くの城下町が城郭を囲む堀の外に町を配置したのと異なり、木曽川の清流を背後にして、城郭と町屋などを含む町全体が外堀で囲まれており、「総構え」といわれる犬山城下町の特長となっています。
一般的に日本の城下町は、城の近くに武家屋敷を配し、その外に町人地を置きましたが、犬山の城下町では、外堀の内側に町人地を囲むように武家町が配置されたことも特長の一つです。

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ウトナイ湖

ウトナイ湖は道内3番目、国内4番目に、ラムサール条約による国際的な保護湿地として登録されています。また、ウトナイ湖は、支笏、樽前火山山麓や海に近く砂丘や火山灰性の原野や丘陵性の森林、美々川、トキサタマップ川、オタルマップ川の河川と湖沼周辺の湿原という自然環境の多様性を持つ淡水湖として極めて優れており、我が国でも有数の渡り鳥の中継地として春秋の渡りの時期にはオオハクチョウ、コハクチョウをはじめマガン、ヒシクイ、カモ類を中心として数千羽の水鳥で賑わっています。

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また、夏には南からシマアオジ、ノゴマ、ベニマシコ、センニユウ類などが飛来し野鳥の繁殖地となるなど約250種を越える野鳥の聖地となっています。

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オコタンペ湖

オコタンペ湖周辺は漁岳周辺森林生態系保護地域となっており、標高1318辰竜岳を中心に南に小漁岳山とフレ丘が尾根を重ね、それら東にオコタンペ湖は位置します。
この区域の森林は標高600辰ら1300辰糧楼脇發砲△蝓大雪山など道央のエゾマツ、トドマツ林から渡島半島のブナ林の移行地域として重要な地域です。
眼下に見えるオコタンペ湖は、約3万年前、支笏湖カルデラ生成後噴火し、恵庭火山の噴出物が沢をせきとめて形成された湖です。

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オコタンペ湖は支笏湖より300丹幣綛眞呂砲△蝓湖の水は急崖を滝となって落ち、オコタンペ川になり支笏湖に注いでおります。湖の周囲は、トドマツ、エゾマツなどの針葉樹とミズナラやダケカンバなどの広葉樹が混交する森林となっています。これらの森林に取り囲まれた湖水はエメラルドグリーンとなり、神秘的な雰囲気を醸し出すとともに、北海道三大秘湖のひとつといわれています。
オコタンペ湖は、周囲約5キロ叩∈蚤膺綽写鵤横悪辰妊▲瓮泪后▲┘哨汽鵐轡腑ΕΕ、ザリガニなどが生息しています。また、鳥類ではオシドリ、マガモなどが飛来します。

支笏洞爺国立公園

樽前山は、支笏カルデラ生成後、今から9000年ほど前に外輪山部分に生じた標高1041辰硫仍海任后山頂にはその後の陥没でできた火口原があり、中央には明治42年に噴出した直径450叩高さ130辰陵牢筌鼻璽爐見られます。
全体の山容は見事な三重式カルデラとして有名です。

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支笏湖(しこつこ)は、北海道千歳市にある淡水湖。支笏洞爺国立公園に属し、日本最北の不凍湖となっている。
約4.4万年前に支笏火砕流、支笏降下軽石を噴出した火山の大噴火によって形成された支笏カルデラに、水が溜まったカルデラ湖である。形成当初の形状は円形であったが、カルデラの縁に恵庭岳、風不死岳が噴出したことにより現在のようなくびれた形となった。
「日本最北の不凍湖」であるが、これは温かい水が湖の深部に残存していて水面を暖めることにより湖面の水温が下がりにくいので凍りにくくなっているためである。しかし、低温の日が続いた場合には結氷することがある。

また支笏湖は、透明度の高さで有名な摩周湖やバイカル湖に匹敵する透明度を有している。環境省の湖沼水質調査では何度も日本一に認定されている。湖の北西には、北海道三大秘湖の一つであるオコタンペ湖がある。

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母恋駅(ぼこい駅)

母恋駅(ぼこいえき)は北海道室蘭市母恋北町1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。 母の日のプレゼントに入場券が人気となっている。


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所在地名より。知里真志保による説ではアイヌ語の「ポクセイオイ」(ホッキ貝・群生する・ところ)が略された「ポコイ」に由来するとされる。
このほか、アイヌ語の「ポクオイ」(陰になる所)に由来するという説もある。この場合、当地全体が沢であったため付けられたとする。

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地球岬

チキウ岬灯台は1920年に点灯し沖行く船や室蘭港に出入りする船の安全を願って、真っ白な姿で断崖絶壁の建っています。
この辺りはクジラやイルカが回遊していますので運が良ければ見ることができる。
アイヌ語でポロチケウェ(親である断崖)と呼ばれていた地球岬。晴れた日には、遠くは下北半島、恵山岬望むことができる。

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室蘭駅

室蘭駅は、北海道室蘭市にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線(支線)の駅で、室蘭支線の終着駅。
1892年(明治25年) 上期:エトスケレップ仮桟橋を長さ657 m、最大幅12 mの正規桟橋に整備。
8月1日:北海道炭礦鉄道室蘭線の初代・室蘭駅が輪西村字ベシボッケ(現在の室蘭市仲町)に開業。同時に、現在の御崎駅に近い位置に海運用の貨物駅が設置される。近傍海面の埋立整備と新桟橋建設を計画するが、海軍から鎮守府予定区域の理由により却下(後に室蘭への鎮守府計画は廃止)。なお、移転地域の運用ができるまでエトスケレップ桟橋と移転地域に作られた仮桟橋を使用して石炭船積みを行う。

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1976年の室蘭駅と周囲約1.5 km範囲。既に斜陽産業となった石炭は苫小牧に奪われ、岸壁に面した
貯炭場はすっかり草生して、ヤードには貨車の姿も殆ど無く、かつて石炭積出駅として小樽駅と競い活気にあふれていた姿は何処にもない。雑貨埠頭としての役割を持つ中央埠頭さえもトラック輸送が主体で、駅舎裏手の貨物ホームから埠頭先端まで敷かれた貨物線は使われている気配が殆ど無い。
2010年(平成22年)10月:旧駅舎が「準鉄道記念物」指定。
2019年(令和元年)5月:旧駅舎を含む「炭鉄港」が日本遺産に認定される。

海流

海流 佐藤帯雪
ベーリング海の雪白水が黒潮に衝突して渦巻き流れる潮境 二つの流れが寄り集まり縞をつくる

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千本櫻

千本櫻 吉田成美
凜として静寂に立つ 生きているという時間 空に舞う

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民家(松前藩)

庶民の生活は、せいぜい居間と寝室の二間程度の棟割長屋の居住者が多かった。
室内は、入った土間には流し、水瓶、へっついを置き、居間は炉端を中心として戸棚、食卓を配し、奥の間は家人の寝室で、仏壇、神棚が備えられていた。

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屋根は長佂葺に石を置いた石置屋根である。
この長屋の奥には井戸があり、女性たちが洗濯をしたり食器を洗ったりして世間話をする社交の場であった。

松前藩屋敷

蝦夷地唯一の城下町松前は幕末時には戸数8000、人口30000を数え仙台以北では最大の都市いわれ、近江商人を中心にして北前船によって日本海沿岸から瀬戸内海方面まで広く経済交流が行われ大いに発展した町である。

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しかし、箱館戦争で城下町の三分の二を焼失し、廃藩後は士族、豪商が多く離散し、さらに打ち続く火災によって古い町並みは焼失した。

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福山城跡(松前氏城跡)

松前城は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)で、江戸時代、公式には福山城と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた。

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江戸時代末期に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、1855年(安政元年)に完成した。石田城と並び日本における最後期、かつ、北海道内で唯一つの日本式城郭である。

箱館戦争では、明治元年11月5日に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。明治維新後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし1949年6月5日に類焼により焼失。そのため、創建当時から現存する建築物は切妻造の本丸御門と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)および旧寺町御門(現在の阿吽寺山門)のみである。今も残る曲輪・石垣などを含めた城跡が国の史跡に指定されている。

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前身の福山館は、松前慶広の代に、松前氏が居城としていた大館(徳山館)より福山へ移城した際、1600年(慶長5年)から1606年(慶長11年)にかけて建設された。福山館は堀や石垣があり、本丸のほか二ノ丸、北ノ丸、櫓が築かれていたが、松前氏が無城待遇だったことから、正式に城とは呼ばれなかった。

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白神岬

松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうちセンダイムシクイ、メジロ、マヒワなど300種類を観察する渡り鳥の聖域で、松前矢越道立自然公園に指定されている。

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日本有数の渡り鳥の中継地で、春(3月末〜)にはシベリア方面へ、秋(9月〜)には越冬のため本州へ年間およそ100万羽の鳥が津軽海峡を渡ります。
白神岬という地名は、アイヌ語で「シラル・カムイ」(神が住む岩/シラル=岩・平磯・岩礁、カムイ=神)、「シラル・トウカリ」(岩の手前/トウカリ=の手前)などに由来するとされています。

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所在地 北海道松前郡松前町白神

立待岬

この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せすろところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。
また、第二次世界大戦中は要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。現在は、津軽海峡を望む景勝地として多くの観光客が訪れる。

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土方歳三最期の地

新撰組副長として京都の街に勇名はせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年10月、蝦夷地に上陸した榎本軍は函館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の
要職についた。
翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗北したが土方が守った二股口だけ落ちなかった。

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しかし、同年5月11日、ついに函館も政府軍の手に落ちた。土方は函館奪回を目指し、50名の兵を率いて一本木の関門を出て函館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。

恵山岬灯台

恵山岬灯台は1890年に点灯しました。この灯台は灯台を一周する散歩道から見えるばかりではなく、裏のドウダンツツジの木々の間からも、少し先の道路を下ったところにある海へ湧き出す温泉へ入りながらも、また、後ろの活火山「恵山」に登ると噴煙の中からも、いろいろな見え方をする灯台です。

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北緯41度48分55秒 東経141度11分00秒
光の届く距離 18海里(約33キロメートル)

函館山

函館山は、火山活動や地殻変動により出現し、海流による漂砂で亀田半島とつながった陸繋島です。
三方が海に囲まれ、標高約334叩⊆囲9劼箸覆辰討り、別名「臥牛山」とも呼ばれています。
函館山は、道南特有の温暖な気候であることや、昭和20年まで約半世紀にわたって一般市民の入山が禁止されていたことなど、植物の生育にとっては恵まれた自然環境にあったことから、、約600種の植物が生育し、その約70%が本州北部地域と同種のものといわれています。
さらに四季を通じて野鳥が生育し、また、津軽海峡を南下・北上する渡り鳥の休息地として重要な役割を果たしており、約150種が観察される野鳥の宝庫として、鳥獣保護区特別保護地区に指定されています。

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旧函館奉行所

日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で,当初は箱館山の麓に置かれていましたが、内陸の地に移転が計画され、五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。

1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、1871年にわずか7年で解体されました。

その後、古写真や文献資料・古図面などの調査を元に検討を重ね、2010年に140年の時を経て箱館奉行所が復元されました。


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箱館奉行所古写真

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五稜郭跡

五稜郭跡は幕末の函館開港に伴い設置された函館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
陵堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の函館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

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安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終決する箱館戦争の舞台となりました。
函館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

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大沼湖

大沼という地名は、アイヌ語の「ポロ・ト(ー)」から由来しているとされています。「ポロ」は「大きい・多い」、「ト(ー)」は「沼・湖」を意味します。
秀峰・駒ヶ岳と大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼などの大小の湖沼群一帯の総称として「大沼」と呼ばれています。
大沼の面積は512ha 一周14km (車で一周してみた。自転車が良かったかも)

大沼公園駅

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大沼湖より駒ヶ岳を望む

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道南の秀峰、駒ヶ岳は現在も活動する活火山で、この独立峰は当初、富士山のような円錐型の山容をもっていましたが、度重なる爆発によって、荒々しい山頂部となだらかな裾野をもつ現在の姿となりました。

小沼湖

大沼と小沼の間付近は、地元でセバット(狭まった場所)と呼ばれているようで、約3万年前、駒ヶ岳の噴火で山が崩れ、川がせき止められて大沼の原型が出来たとされています。
大沼と小沼の間で水が動くので、毎年沼が全面結氷する冬の時期でもセバットは殆ど凍ることはないと云われています。

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小沼湖の面積は378ha

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月見橋付近

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二股駅(思い出の一枚)

羊蹄国道(北海道蘭越町相生付近)

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二股駅
二股駅(ふたまたえき)は、北海道(渡島総合振興局)山越郡長万部町字双葉にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。
二股駅の所在地近辺の地名より、アイヌ語の「ぺタヌ」(川股)に由来するとされ、長万部川とチライ川が合流し二股となっていることを指したとされている。
長万部駅管理の無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している。有人駅時代の駅舎は撤去され、北海道内では唯一のワラ1形有蓋車改造の貨車駅舎が設置されている。

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余市駅(思い出の一枚)

余市駅は、北海道余市郡余市町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。余市町唯一の駅であり、かつては特急「北海」、急行「ニセコ」・「らいでん」などの停車駅であった。函館本線のいわゆる「山線」区間の中では小樽駅に次いで乗降客数が多い。

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余市と言えばんNHKドラマの「マッサン」を思い出す。大正時代、ウイスキーづくりに情熱を燃やす造り酒屋の跡取り息子が、単身スコットランドへ渡る。そこで出会ったスコットランド人の女性と息子が半ば駆け落ちの状態で国際結婚するところから物語が始まる。ヒロインは日本とスコットランドの違いに戸惑いつつも、異なる文化を学びながら成長していく。本作のモデルとなる人物は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタ(ジェシー・ロベルタ・カウンで、タイトルの「マッサン」はリタが政孝のことをこう呼んだことにちなんでいる。

旧花田屋番屋(思い出の一枚)

小平町は江戸時代後期から昭和30年代に至るまで「にしん漁」で栄えた町です。
「にしん」は身欠き鰊や数の子として食用とされ、これらは京都の「にしんそば」や東北地方の「数の子豆」や「鰊の山椒漬」など全国各地に鰊食文化を育みました。しかし、多くは「〆粕」に加工され、江戸から明治時代を代表する肥料として本州へ移出され、本綿や藍などの商品作物の生産を伸ばして私たち日本人の生活を豊かにし、稲作や畑作に広く使用され私たちの食を支えていったのです。
小平町でにしん魚がおこなわれたのは鬼鹿地区と臼谷地区、鬼鹿地区には現存する鰊番屋では最大の規模となる国指定重要文化財「旧花田屋番屋」があり、経営者である親方家族の住居であると同時に、最盛期200名を超える漁夫や職人が寝泊まりする漁場の拠点となった施設で明治38年頃建築の代表的なにしん漁遺産です。

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日本海に沈む夕日

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