知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

明日は伏見へ

今年のカレンダーは4月28日から5月6日まで休むことが出来たが5月2日は少々仕事があったので出勤した。

1日は昼から会議で20時を回ったが、今年はほとんど家で過ごした。
明日は伏見の寺田屋に行ってみようと思っている。

電車が良いかも。

のんびりと!

地道に働く

私よりかなり年長であった人が自殺して次男が家を継いでいるというが、先祖からの財産は田だけでも2.8町歩あったが今は無いという。

同級生や後輩も広い敷地に藁葺きの家に住んでいたが、今は文化住宅や駐車場になっている。
人生は、山あり谷ありではあるがどうしたんだろうと思う。
一攫千金を狙ったのだろうか、それとも別の理由があったのだろうか。

先のバブル以降、自殺した人は何人になるのだろうか。
儲けた人はいるが損をした人の方が多い。

いずれにしても、寄り道をせず地道に働くのが早道になるのだろう。

I shall return

1945年8月30日、厚着飛行場に一機の飛行機が降り立った。
タラップを降り立ったのはサングラスを掛けパイプをくわえた大柄な男だった。
その人こそ連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーだった。

第二次世界大戦中、南西太平洋方面の連合国軍総司令官として東南アジアで日本と戦った。
有名な言葉に、
日本軍のマニラ侵攻によりフィリピンより撤退を余儀なくされた際「私は必ず戻って来る (I shall return) 」と言い残して、コレヒドール島からミンダナオ島に脱出し、B-17爆撃機で豪州に飛び立った。

退任に際しての連邦議会での演説の中で「老兵は死なず、ただ立ち去るのみ (Old soldiers never die, they just fade away.)」がある。

1945年当時、憲法改正を一番先に口にしたのはマッカーサーだった。
外務省外交文書 「近衛国務相・マッカーサー元帥会談禄」リール番号A0092 外交資料館蔵

自由な意志で

アメリカの政策に対してハッキリと反対の姿勢を示したベネズエラを始めとする南米共同体がある。

どんな組織でも自分たちのことは自分たちで決める自主性が必要だ。
ハッキリと言い、ハッキリと行動することが大事だ。

市民団体や労働組合なども主義主張の違う団体が多くあるが、みんな自由な意志で自分が信頼できる団体に集まっている。

ただ、ハッキリとは良いのだが目的を達成させる為には少々知恵を絞らなければならない時もある。

志を同じくする人々と共に!

汚職

経済成長を続ける中華人民共和国には二回訪問した。
上海も二度行っているが建設ラッシュだった。

中国では公務員の汚職が蔓延しており、政府は懲戒処分を規定した条例を公布した。
今までも厳しい処分をしていたが、家族の扶養義務拒否や虐待なども処分の対象になり、職責をおろそかにして伝染病の流行、重大な環境汚染などを招いた場合も処分の対象となる。

また、愛人を囲った公務員は免職処分。
反政府集会やデモやストライキを組織したり参加も処分される。


「愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ」

らくがき

スプレーを使った落書きが至る所にある。
商店のシャッターや高速道路の橋脚など、下手な落書きが多い。

アメリカの犯罪抑止理論「割れ窓理論」というのがある。
割れた窓を放置すると、ほかの窓も次々と割られ建物全体が荒廃するのと同様、小さな犯罪を見逃すと街全体の治安が悪化し、大きな犯罪につながるとする米国の犯罪抑止理論。

迷惑な落書きは犯罪であるが、本人達は罪の意識が少ないのだろうか。

騙されて

前橋駅前

(写真は前橋駅前)

東京駅から上越新幹線を約1時間乗ると高崎駅に着く、両毛線に乗り換え約10分で前橋駅である。
群馬県庁は前橋にある。ここに前橋城跡があるがほんの少し、案内がなければ解りにくい。

フィリピンから来たS嬢はフィリッピンの民族舞踊を日本に紹介するエンターテナーとして成田に着いた。
成田でパスポートを取られ、連れてこられたのが群馬県高崎市、高崎のスナックに連れてこられるが踊れるスペースはない。
給料は国に帰るときに空港で渡すと言われ1週間2500円の食費のみ、結局、大阪に逃げることになる。

大阪で裁判の準備をするが、これは私が事実に基づいて書いている作文の一節である。

コマネズミのように

私が作っていた家庭菜園は妻が引き継いでいる。
最近はなかなかのもの、たまには耕してやる。

昨年度は隣組の組長にあったが会議に出席するのは妻の役目にした。
葬式がないかぎり私が出て行くことはない。

近所付き合いも丁寧にやっている。
田舎から、いろいろと季節ごとに送られてくる品物を近所や親戚に配っているが寒いから明日の昼にしたらと言っても早いほうがいいからと単車で走る。


結婚式の時に先輩が言った。
「コマネズミのように動け」を妻は守っている。

平和の基軸

戦争と人権はいつの世においても共存しない。
なぜなら平和の基軸は人権にあるからである。

1999年の通常国会で周辺事態法案が可決されてから次々と有事法制が整備されてきた。
そして今年は、国民投票法案を可決しようとしている。
国民投票法案は、日本国憲法の憲法改正に必要な手続きを定めるための国民投票法に関する法案をいう。

その次は憲法9条であることは明らか、日本は過去に何をしたのか。
いろいろな説があって解明されていないこともあるが、明らかになっているのに政府が認めていないこともある。

従軍慰安婦問題や731部隊問題を日本政府はどのように考えているのか。
また、半世紀以上も経った朝鮮統治時代の戦後処理をどのように解決するつもりなのか。

正しい歴史認識が為されなければ同じ過ちを犯すことになりはしないか。

待ち時間

人は待つことが多い。

散髪に行ったが満員で帰ってきた。次の日また行ったが帰ってきた。
そして開店直後に行ったがもう満員、まぁいいか、どこでもできるから。

電車を待つ、バスが来るのを待つ、国際線は出航2時間前から待つ、狭い道路の信号待ちは青40秒、赤8分というのがあった。
昼食は考えて注文しなければ、待てども待てども来ない。腹はへっていたが時間がなくてお金を払って出てきたことがある。
病院での待ち時間は長い、診察はすぐに終わるが、薬を貰うのにまた長い時間を待たされる。
ある病院で予約をしていたが、一時間待っても呼ばれない。我慢できずに帰ってきた。

南国の国内線はのんびりしている。
定刻になっても飛行機の姿は見えない。整備とか給油をしているのかとも思い、見回したがどこにもいない。現地の人々は、話をしたり、居眠りをしたり動じる様子はない。
大阪人はそうはいかない。なんの案内もなく待たされるといらいらとし始める。
到着が遅れていたのである。それから整備、給油、清掃が始まる。2時間待ちはあたりまえと言った感じだ。この待ち時間になれるには相当な時間と忍耐が必要となる。
飛び立てば、
コックピットのドアは揺れるたびに空いたり閉まったりする。

有名人が来るコンサートや野球などは何日も前からテントを持ち込んで待つ人たちがいる。
好きなことには待てるのである。
私は約束があれば必ず10分から15分前に着くようにしている。どちらかといえば待たすより待つ方が多い。

人にもよるが、日本で働く南国出身の人は時間にルーズだ。
楽器を運んでほしいと頼んでおいて一時間経っても顔をみせない。本人は家にいた。
日本の常識では頼んだ方が約束の時間前に行って待つものである。
弁護士と会食の機会をつくった時のこと、弁護士からは少し遅れると電話が入った。
南国の人々は連絡なくかなり遅れてやってきた。家も近いのに、通訳が本気で怒った。
神妙な顔つきになっていた。

来るか来ないか判らない幻の野生動物をカメラを構えて待つ、出るか出ないか判らないオーロラを待つ、辺鄙な所でタクシーを待つ、必要にかられて待つのではあるが辛抱のしどころではある。

人は一生のうち、どれほどの待ち時間があるのだろう。
人によって違いはあるだろうが、たぶん何年にもなるような気がする。

事故の要因

福知山線の列車事故から明日で2年になるが、
107名の尊い人命が奪われ、負傷者が大変辛い思いをしている。

事故の要因はJRの企業体質にある。
最も大きな要因は「日勤教育」なるものではないかと思っている。
これらを許しておいた労働組合にも何らかの責任があるように思えてならない。

企業だから利益を追求するのは当然だが、安全・安心が最優先されなければならない。

近代社会は「時は金なり」で時間を有効に使うことも求められるが、それも安全の上に成り立っている。







だから人生は楽しい

今回の統一地方選挙で最年少で当選したのは、山形市議選に出馬した証券会社社員の25歳の女性が初当選した。
最年長当選者は東京区議選で11回目の当選を果たした85歳の男性だった。

若い議員は先輩議員の良い部分を自分のものにして頑張って貰いたい。

一方、政治資金規正法違反で逮捕され一審で有罪判決を受けた議員が当選しているし、投票終了後、背任事件に関連して市議会議長が逮捕されている。

嬉しいのは、
私が支持した市長と市議会議員は当選した。

錆びた刀が束になって

中学生の何年生の時だったか新聞に奈良県で古墳が発見されたと報道された。
私は日曜日に自転車で出かけた。

小さな円墳だった。
小山の山裾を円を描くように高さ1辰曚彪,辰討△辰拭
錆びた刀が束になって、眠りからさめたように顔をだしていた。

たぶん壺と思うが欠片がたくさん置いてあった。
私は刀1本がほしかったが、とても無理だと思い、
壺の欠片を貰ってもいいかと尋ねた。

黙って持って行くように言われたように記憶している。
欠片を幾つか持って帰ってきたが、今は手元にない。

部屋に緑を

私の机にはガジュマルの盆栽が置いてある。
ガジュマル(漢名:榕樹)は熱帯地方に分布する常緑高木で日本では沖縄県や屋久島など南西諸島に自生している。

ガジュマル




学校には楠木や桜が多いが南の国はガジュマルの古木が腰を据えている。
ガジュマルは挿し木で増える。

部屋に緑があるとなんとなく良い気分になる。

市制がひかれて

私はこの町に小学校の2年一学期に超してきた。
以前住んでいた所は四方が山で電車は通っていなく日に何回か来るバスが狭い国道を走っていた。

窓から電車が見えるというのが大阪に行く謳い文句でもあった。

我が町

当時は国道でさえ舗装がされていなかった。
人口も少なく多くは農家であった。

それがここ半世紀のうちに山は削られてニュータウンとなって隙間なく住宅となっている。
国道も商店が建ち並び渋滞するようになった。
中華料理店やフランス料理店が、寿司屋や焼肉店が建ち並ぶ。

小学校も中学校も増え高等学校や大学校も出来た。
経済が発展して人口が増えて市民は人生を謳歌しているように見える。

叔父

叔父が亡くなって分かったことがある。

葬式に関東から、ある女性が参列した。
彼女は私の母に「叔父とは、年に一度七夕の日に会っていました」と打ち明けた。

戦争前の田舎のことである。
互いに想い合う仲であったが、そいとげることが出来ない理由があったのだろう。
叔父は長男で家を継ぎ、彼女は関東に嫁に行った。

私は叔父の場合単なる浮気とは思えなかった。
それは「あの厳格な叔父が・・・」である。
文字では表現できないが、男の何かを感じた。
わかる様な気がした。

無念を共有して

選挙中に暴漢によって倒れた長崎市長が死亡した。
総仕上げとして立候補した矢先にこのようなことになった無念さがよくわかる。

この種の事件は一人が矢面に立つのではなく社会が対置しなければ止めようがない。
福島県の環境担当の職員だったか、正義感強く一人で矢面にたって殺害された事件があった。


ここに長崎県の平和宣言を掲載する、



「人間は、いったい何をしているのか」
 被爆から61年目を迎えた今、ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています。
 1945年8月9日11時2分、長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、一瞬にして、7万4千人の人々が亡くなり、7万5千人が傷つきました。人々は、強烈な熱線に焼かれ、凄まじい爆風で吹き飛ばされ、恐るべき放射線を身体に浴び、現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。生活や夢を奪われた方々の無念の叫びを、忘れることはできません。
 しかし、未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在しています。
 10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
 6年前、国連において、核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
 核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。

 
 昨年、189か国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、成果もなく閉幕し、その後も進展はありません。
 核保有国は、核軍縮に真摯に取り組もうとせず、中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、原子力技術の協力体制を築きつつあります。一方で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、我が国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。また、すでに保有しているパキスタンや、事実上の保有国と言われているイスラエルや、イランの核開発疑惑など、世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
 核兵器の威力に頼ろうとする国々は、今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取り組むべきです。
 また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。科学者は、自分の国のためだけではなく、人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒むべきです。
 繰り返して日本政府に訴えます。被爆国の政府として、再び悲惨な戦争が起こることのないよう、歴史の反省のうえにたって、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化と北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。

 
 61年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被爆者の姿は、平和を求める取り組みの原点です。その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、人々の深い共感を呼んでいます。
 本年10月、第3回「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が開催されます。過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、共に語り合おうではありませんか。しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、ここ長崎から世界に広げていきましょう。
 被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、より大きな力となり、必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。

 
 最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々の御霊の平安を祈り、この2006年を再出発の年とすることを決意し、恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。



2006年(平成18年)8月9日 
      長崎市長 伊 藤 一

解決の策としての暴力は間違っている

長崎市長が選挙中に事務所前で何者かに背後から拳銃で撃たれた。
昨日は、アメリカのバージニア州の大学では拳銃を乱射した学生により32名が死亡した。

イラクでは毎日のようにテロによって市民が死亡している。安全と言われているグリーンゾーンでも自爆テロがあった。

物事を暴力で解決しようとする考え方は社会全体が排除しなければ民主社会は成り立たない。

この種の暴力は個人では避けられない。

治らない風邪

今年の四月は急激な気温の変化が多かった為か風邪を引いてしまった。
最初の風邪は背中・腰・最後は左膝の痛みがひどく、歩くのにも支えが必要なほどひどいものだった。

一旦、治ったかのように思えたが一週間もしないうちにぶり返した。
今度は体の痛みはないが頭が重く咳が止まらない。特に寝ているときの咳がひどく何度も目が覚める。

終息に向かっているように思えるがなんとなく自信がない。
治りが遅いのは年のせいか!

禁煙席で

私は愛煙家である。
乗り換えのため下車して駅舎のsmoking areaで一本吸った。

移動して椅子に腰をおろしていると、
若い男が横に座った。
彼は胸のポケットから煙草を出して吸い始めた。

煙が私の顔をなでた。
注意しようと顔を見た。
が、時間が遅い。

何か起これば自分が笑われるぞ。
もう一人の私を置いてその場を立った 。

おやつ

子供の頃の「おやつ」はもっぱら「きりぼし」だった。
サツマイモを蒸かして平たく切って天日に干した物だ。

日が経っていない「切り干し」は柔らかくて甘い。
硬くなって白い粉をふいた物は、硬いが味がある。

当時は冬の寒い時の暖房は「ひばち」しかない、この火鉢の中にある炭で「切り干し」を焼いて食べるとまた美味しい。

糖分が足りなかったのだろうか、水飴がこのうえなく美味しかったのを覚えている。
まだまだ敗戦後の食料の少ない時代だった。

年に何回か「饅頭」を買って貰ったがこの世の物とは思えなかった。

初めて作った手打ちうどん

昨年の夏に初めて手打ちうどんを作ってみた。

手打ちうどん


粉は中力粉を使うようだが私は強力粉と薄力粉を混ぜてみた。
配合はとりあえず、小麦粉100:水42:塩5の割合で試すことにした。
まず、食塩水を粉にふりながら良く混ぜ合わせて手でこねて、30分ぐらい熟成する。

厚めのビニールを用意して足でまんべんなく踏む。約2時間ほどビニール袋に入れて寝かす。

麺棒で伸ばす時はある程度粉を付けないと麺がほぐれない、多少付けても良く水洗いすれば問題はない。
多いめの水を沸騰させ茹でること12分ぐらい(良くほぐしてから入れること)、あとは冷水で良く洗う。

初めての手打ちうどんは冷やしうどんで食べてみた。
これはいける。

キャンプ場で、地鶏とキャベツ、タマネギ、蒟蒻を鉄板の上で焼いて味噌を加える。そこにこのうどんを乗せて丁寧に焼くと一段と旨いような気がする

今は大分から中力粉を取り寄せている。

気のおけない人

美酒とは味の良い酒、旨い酒を云う。

美酒



随分と日本料理のお店にも行った。
落ち着いた雰囲気の個室で飲む酒は格別の味がする。

それでも、スルメにワンカップで飲む酒が旨い時がある。


それは人である。
気のおけない人と飲む酒は最高級の酒より旨いと想う時がある。

意気投合すれば歴史が変わることもある。

酒は飲むもの、飲まれるべからず。
たしなむ程度の酒がよい。

よい酒を飲むには、
耳は大きく口は小さく。いたわりと頼もしさを持って、静かに飲むべし。
しからば、未来につながる。

四季

里山の木々に若葉が目を出し始めた。

5月に入れば黄緑色の若葉が満開になる。
その頃になると色々な小鳥がやって来て飛び回る。

土に中で眠っていたもの達も這い出してくる。
そして人間は五月の風に頬をなでられて、すがすがしい気分になる。

何もなくてもウキウキするのはこの頃だけである。
私の場合は、

それでも、肌寒く感じる秋のほうが良い。
四季があるからそのように感じる。
虫の音が弱々しくなる頃の季節が好きだ。


新芽

人材

「人は石垣 人は城
      情けは身方 仇は敵」

武田節の一節である。


どの組織も人材が去ったあとが大変だ。
石垣の基礎を怠れば城は崩れやすい。

たいした経験もないのに権威だけは高くなる、知識がないから権力を使うようになる。
すると人はついて来ない。
道理ある現象である。

人材を育てるには、或いは人材に育つには基礎をしっかりと作らねばならない。
あとは人格の問題である。


よい組織は人材が去る前に次の人材を育てている。

加藤清正は築城の名手といわれた。
その訳は基礎が違うと言われている。
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