知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

I can kill you

「I can kill you」と言いました。
「殺すぞ」ではなく「殺せるぞ」と言ったのです。

富田由美さん(仮名)は、高校の下校途中に米兵に性暴力を受けたが誰にも話すことができなかった。
約10年後の1995年米兵による少女暴行事件が起きたのがきっかけで「私自身が警察に届け出なかった。警察に行っていればみんなが危険を知って気を付けることができたかもしれない。そうすれば小学生の事件は起きなかったのではないか」と自分を責め続けた。

1996年、大学で若い世代として沖縄に関する講演をしたとき、体験を初めて話した。
「これから一緒に働いていく若い人たちに正直に話したかった」 会場は質問も出ないほど静まりかえり、泣き出す人もいた。
富田さん自身も「話してよかったという思いと、ほんとうに良かったのかという思い」が格闘した。
「再び被害者を出したくない、証言が基地撤去につながるのなら」その気持ちが背中を押したという。

富田由美さんは沖縄県知事宛に手紙を書いた。
一部、抜粋する。

『1995年9月に米兵による少女暴行事件から10年、去る7月3日、またもや米兵による少女に対するワイセツ行為事件が起こりました。いったいいつまでこんなことが続くのでしょうか。いったい何人の女性が犠牲になれば、気がすむのでしょうか?

私は被害者の一人として訴えます。私は、高校2年生のときに米兵によるレイプを受けました。学校帰りにナイフで脅され、自宅近くの公園に連れ込まれ3人の米兵にレイプされたのです。本当に怖かった。「もう終わりだ、自分は死ぬのだ」と思いました。
何度叫ぼうとしても声も出せずにいました。

あれから20年以上の月日が流れたいまでも、私は事件による心の傷に苦しんでいます。被害者にとって、時の長さは関係ありません。被害を受けたその瞬間から命の尽きるまで、まるで寄せくる波のように苦しみが押し寄せて来るのです。それは穏やかな波のようなときもあれば、嵐のように荒れ狂うときもあります。しかし、心の傷がなくなることはないのです。

今回被害にあったのは、まだ小学生です。被害にあった女の子の気持ちを考えると、いても立ってもいられなくなります。どれほど恐ろしかったことでしょう。私は基地を押し付けようとするすべての人に書いたのです。「あなたのお子さんであったならどうされるのでしょうか?」と。

稲嶺知事、こんなにも多くの被害が起こる原因はいったい何でしょうか。私達「被害者」が「沖縄人」がいったい何をしたというのでしょうか。基地があると言うだけで、朝から子供を遊びに出すこともできないことが、私達の望む沖縄の姿なのでしょうか。
米兵たちは今日も我が物顔で、私達の島を何の制限もされずに歩いています。仕事として「人殺しの術」を学び、訓練している米兵が、です。』



強姦のうえ殺された女性は数多くいる。また、被害者が告発せず表に出ていないレイプ事件はどれほどにのぼるのだろうか。
1945年以降、レイプ事件のなかった年はあるのだろうか。
多くの事件が容疑者不明となっている。

ママ起きて

ある小学校で参観があった。

親子で走る競技で子供は先に走っていた、運動不足の母親は遅れて走っていた。
母親は足がもつれ前に倒れた。
先に走っていた子供が気付き立ち止まるなり大声で泣き出した。

担任が近づき「美代ちゃん、どうしたの どこか痛いの」と声を掛けた。
子供は大声で、「ママ生理やねん、二日目やねん、かわいそう」と泣きながら言った。

母親は赤面、
「子供は正直」とはこのことである。

労働者の権利

フィリピンの法律は会社の従業員の過半数以上を獲得した労働組合でないと会社との交渉権がない。
日本は1人でも交渉権がある。

大企業労組に加盟する労働者が1995年別の労組に加盟して同労組に脱退届けを提出した。
会社は、労使協約を理由に脱退しないように求め、250万円の解決金を支払い脱退を撤回させた。

労働者は2001年に再度脱退を申し入れていた。
東京高裁は労働者の請求を棄却したが、最高裁は、
「労組脱退の自由を奪い、永続的な服従を強いた約束は公序良俗に反して無効」との判断を示した。

上部団体の下部組織に対する「行動を起こすな」との圧力に屈せず、僅か60名の下部組織は果敢に闘い3名の解雇を無条件に撤回させた例もある。

その後60名の労働者は、労働者の権利を守ろうとしない上部団体を脱退して自ら労働組合を結成した。
その名を「大阪自主労働組合」と云う。

“闘いなくして勝利なし”である。

感じます

  冬の万両に降る雨は、 なぜか寂しく感じます



  春の土筆に降る雨は、 なぜか希望を感じます



  夏の稲葉に降る雨は、 なぜか力を感じます



  秋の楓に降る雨は、 なぜか悲しく感じます

教育とは

テレビの国会中継を見ていて気付いた。
教育とは教え育てると書く。

単に教えるだけでは教育とは言わない、育てて初めて教育と言うのである。
この間、凶悪な少年事件が多発した。

一つは、少年グループによるドラム缶コンクリート詰め殺人事件である。




それは1988年11月25日の午後6時頃から始まった。

18歳と16歳の少年2人はひったくりを目的としてバイクで出かけた。
8時頃に、アルバイト先から帰宅途中の埼玉県立高校で学ぶ女子生徒(
17歳)を見かけ、「あの女を蹴れ」と命令し、後から近づいて親切を装い送ってあげると助ける振りをして「俺はヤクザの幹部だ」と脅しホテルに連れ込み強姦した。

10時頃、家に帰っていた16歳の友人を含む3人を呼び出して16歳の少年の家の2階に少女を42日間にわたって監禁することになる。

28日には、別の17歳と16歳の少年に「いいモノを見せてやる」と言って呼び出して家人が寝静まってから輪姦したのであった。

少年達は昼夜の別なく少女の体を弄び、また、あまりの暴行によって気を失うと水に頭を漬けて、また犯した。

少女は隙をみて110番したが気づかれてしまい、この事をきっかけに殴る蹴るの暴力、さらにはライターの火を押しつけたり、シンナーを吸わせたり焼酎を飲ませたりして面白がっていた。

12月も10日頃になると、少女は「家に帰りたい」と言い出すと暴行を加え、さらに火傷のあとにライターのオイルをかけて火をつけた。熱がるのが面白いと何度も繰り返したという。

12月も中旬になると、少女が小便で布団を汚した事を理由に暴力が加えられ、顔は無惨にも腫れ上がり別人の顔となっていく。
食べ物も12月の末頃には牛乳1本、或いはパン1枚与える程度となっていく。紙コップに排尿させ、それを飲ませたりした。

少女は「何でもするから家に帰して」と懇願するが、少年達は裸で踊らしたり、自慰を強要して面白がった。

少女は衰弱し足の火傷が化膿して動けなくなった。
少年達はしだいに少女を持てあますようになっていった。

1月4日、主犯格の少年は3人を誘って2階に行き、集団で少女を次々に殴り顔は血だらけの状態となった。
さらに、ろうそくを顔に垂らし手に血が付くからとビニール袋を手にまき体に暴行を加えた。

少女の身体は硬直し痙攣しはじめた。
主犯格の少年は1.7舛療緩世鮖ち出すと少女の腹に落とした。他の3人は面白半分に暴力をエスカレートさせていった。

翌日、監禁から42日目に少女は息を引き取った。
少年達は死体を毛布に包み旅行鞄に入れて車で運んで盗んできたドラム缶に鞄ごと放り込みコンクリートを流し込んだ。

この少年達は主犯格が懲役20年、3名は5年〜10年、9年、7年の不定期刑で残り3名は少年院に収容された。

常識では考えられない陵辱のかぎりを尽くした凶悪犯罪で動機にはまったく酌量の余地はない。

不定期刑の一人は出所後、逮捕監禁致傷で逮捕され懲役4年の刑が確定した。

少なくとも16歳の少年の親が少年らを恐れずに警察に届けていれば少女は「なぶり殺し」に会わなくて済んだことは間違いない。



教え育てることの重要性が問われ社会問題として考えさせられる。


青テント生活

大阪城公園でテント生活をしている人にある大学の助教授と訪ねたことがある。
テントの中は綺麗に整理されていて、我々を歓迎してくれた。

今年夏には世界陸上大阪大会が長居陸上競技場で行われる。
大阪市は長居公園で暮らす人たちに散策路整備の傷害になるとして昨年から撤去を要請してきた。
29日を期限とした強制撤去を文章通告した。
2月初めには行政代執行法に基づいて強制撤去を行う方針だ。

力で追い出すのは簡単だが、それでは一時しのぎで問題解決にはならない。
力ではなく話し合いで自立に対する支援をどのようにしたらよいのか方向性を出すべきだ。


テント生活者は年齢の分だけ人生の年輪がある。
人の数だけ歴史がある。

大阪城公園でテント生活をして居た知人の一人は、元有名ホテルの料理長をしていた。
東京の池袋の割烹で腕を振るったこともある。上品な店で女性は着物姿で料理を出してくれる。もう少し品数を増やしたいと抱負を語っていた。
一度だけだが食べに行ったことがあるが腕は一流だ。

今は難波近くの料理店で腕を振るっている。

不浄の手

インドネシアはジョグジャカルタ近郊の個人の家に立ち寄った。
付近は農家、稲が青々と成長の過程だったと記憶している。

飲み物と茶菓子で歓迎してくれた。
わたしはトイレの場所を聞き外に出た。
戸は椰子の葉を編んで作られてあり、中の広さは1.5畳ぐらいだろうか、左に水を入れた水槽がセメントで作られているだけで他には何もない。
よく見ると右下の壁に直径6僂阿蕕い侶蠅あけられている。
わたしは一旦外に出て穴の反対側を見た、それは田圃に続いている。

フィリピンではバスタブがなくシャワーだけしかなかったのを思いだし、てっきり風呂だと思いこみもう一度聞き直した。
指を指して教えてくれた。
幸いにも小便だったので問題なくおわった。水槽から水を汲んで流しておいた。

同行者に以前インドネシアで仕事をしていた人がいる。わたしはトイレになぜ紙が置いてないのか尋ねた。
「インドネシアではトイレのあとは水槽から水を汲んで左手で洗うのが習慣となっている」とのこと。
「食事のときは左手は不浄の手とされ、膝の上に置く」と教えてくれた。

学校も尋ねたが、水槽が大きく風呂屋のようなトイレだった、なみなみと水が入れられていた。
泊まったホテルは洋式トイレで紙が備え付けられている。シャワーもバスタブがある。

よく考えてみると紙で拭くよりは水で洗う方が清潔なこと間違いない。
どこのトイレのも石けんが置かれていた。

文化である。

学校で花を貰ったときに、うかつにも左手で受け取った。
同行者から注意を促された。

左手は不浄の手とされているのだ。

夫婦別姓

選択的夫婦別姓制度について内閣府が行った世論調査は、
夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきで法改正は必要ないとする人は35%で2001年の調査より5.1ポイント増えた。

結婚前の姓を名乗ることが出来るように法改正してもかまわないとする人は36.6%で5.5ポイント減少した。

前回調査では20代30代は男女ともに5割を超えていたが今回調査は4割台に減少している。

夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきだが結婚前の姓を通称として使えるように法改正することはかまわないと考える人は25.1%で2,1ポイント増えている。

全体として夫婦別姓に理解を示す人は全体の半数を超えている。

容認派に実際に別姓を希望するかの質問に希望すると答えた人は20.9%にとどまっている。
また、夫婦の姓が違うと子供に好ましくない影響があると考える人も全体の66.2%ある。

法務省は「夫婦別姓を導入する民法改正案をただちに国会に提出する状況にはない」とした。

私は本人が自由に選択できる方が良いと思っている。
妻が別姓を希望するなら決して反対はしないし、
この種のことを民法で縛るのはおかしいと思っている。
かといって、積極的に夫婦別姓を人に働きかけはしたくない。

この子誰の子

民法第772条2項は、婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。と定めている。

つまり、女性が離婚後300日以内に出産した場合、生まれた子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になる。

この規定があることから出産した子供が現在の夫との間の子供として認められなかった。

離婚後に妊娠した人や早産のため離婚後300日以内に出産を余儀なくされた女性達が現在の夫との子供であることが明らかであるにもかかわらず出生届が受理されなかったケースが増えているという。

この規定は古く、現在は医学は当時と比べれば驚くほど水準が高い、DNA鑑定でもすぐに解る。

法相は「安定的な法秩序を維持する意味で考えなければならない」として見直しが必要かどうか検討する考えを示した。


時代に合わなくなった法律はいち早く改正すべきである。


私に呉れたもの

あなたが私に呉れたもの
小さなメモ帳に丁寧に書いてそっと差しだした




     好きというのは
     耳にすること


     愛というのは
     目にすること


     だから
     好きな人と別れると
     耳を塞げば
     何も聞こえない


     でも
     愛する人と別れると
     目を閉じても
     あつい涙が出てくるもの

払わない保護者

学校給食法は、「学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする」と定めている。

同法6条2項には、「前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童又は生徒の学校教育法第22条第1項に規定する保護者の負担とする」とも定めている。

また、生活保護世帯や低所得者層には国や自治体が生活保護費や就学援助費に含めることで給食費を援助する制度がある。
制度を知らない保護者もいることから広く周知する努力が必要だ。

ブランド物を身につけた保護者が給食費を払わない、高級外車を乗り回している保護者が給食費を払わない。
催促すると逆ギレする。

子供には何の責任もない、年間22億円を超える未納がある。
そして子供は親の背中をみて育つ。

責任感や規範意識の低い保護者は、支払い督促の申し立ても有効だが、広く氏名を公表して社会の一員である意識を自覚させる必要があるのではないだろうか。



払いすぎた授業料

麻雀は中国に始まり日本には明治になってから入ってきたようだ。
日本麻雀が流行し始めたのは昭和に入ってからという。

数十年前に2〜3年ほど、熱中した時期がある。
見えない牌を見抜く能力が要求される。

将棋も囲碁も初心者にはハンディを付けてくれるが麻雀は一切無い。

安いレートでも負ければ大きい。
正月に3日間も徹夜で、外に出れば眩しくて暫く目を開けることができなかった。

誰からとなく言い出さなくなり、自然と止めてしまった。
熱中した趣味は幾つかあるがこれほど高くついた授業料はない。

たしなむ程度に飲みました

古い話ではありますが、
たしなむ程度に飲みました。

深夜に坂の上でポールを立てて飲酒検問をしていました。
順番にポールの中に入って行きます。
前の車で一杯になり旗を振って行けと合図をしています。

良かった、
これって運が良いと云うのだろうか。

初めての手紙

私は当時、昼は自転車の変速機を製造する会社に通い、夜は大阪堺市にある定時制高校に通っていた。
会社のサイクリングクラブに入り、自転車で通勤したり電車で通勤したりしていた。
電車通勤の場合は堺東駅で下車してバスに乗り継ぎバス停からは徒歩になる。

この頃の出来事を想い出せば気になっていた。
昭和38年当時の堺東駅は木造の古い駅舎だった。が、人の出入りは多かったと記憶している。通勤時のバスも満員状態だった。

ある日の帰りに、いつものようにバス停で待っていたら、二十歳代前半のお姉さん二人が私に一通の封筒を差し出した。
そして、
「いい返事してやってね」と言った。
突然の出来事に戸惑った私は会社のお姉さんだと思い黙って受け取った。

想い出せば通勤時に見かけたような気もするが、私が勤める会社のお姉さんではなさそうで同じ通りにある菓子メーカーに勤めるお姉さんではないかと思う。

私は家に帰る途中で封筒を開いた。
私への想いを便箋2枚にびっしりと書いてあった。
決して達筆とは言えないが想いは十分伝わってくる。

ところが差出人が誰だかわからない。
あれ以来、持ってきたお姉さんにも会ったことがない。
3日経ち、1ヶ月が経ち、3ヶ月が経った頃には忘れてしまっていた。

今思うに、随分と返事を待っていたことだろうと思う。
探す方法はあったのに、

手紙の主は初めてラブレターを書いたのだろうと思う。
返事の内容は別として、少なくとも私を想ってくれた人には間違いはない。
お礼の返事は書いて、あのお姉さんを捜して渡すべきだったと思うが、
今となればもう遅い。

京都議定書から思うこと

気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書( Kyoto Protocol to the United Nations Framework Convention on Climate Change)は、気候変動枠組条約に基づいて1997年12月11日に国立京都国際会館で開かれた地球温暖化防止京都会議(第3回気候変動枠組条約締約国会議)での議決した議定書である。

この議定書は28条から成り立ち、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語に等しく翻訳された。

この議定書は125カ国が批准したが米国ブッシュ政権は2001年にこの議定書から離脱した。
京都議定書が発効するためには、批准した先進国のCO2の排出量が1990年時点の55%以上なければならないため発効ができない状態が続いていたが、
ロシアのプーチン大統領が2004年11月に京都議定書の批准案に署名したことによって米国抜きでもCO2の排出量が61%を超えることになったため2005年2月16日京都議定書が発効した。

米国は朝鮮やイランを「悪の枢軸」と名指し「ならずもの国家」と決めつけているが、京都議定書は上記の通り、核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、国連の核廃絶決議案には反対、国際刑事裁判所(ICC)の署名は撤回した。
さらに、中東地域における核兵器非武装地域の設立に反対している。これは賛成107反対2(米国・イスラエル)となっている。

南アメリカ諸国にみられるように、世界では反アメリカ、非アメリカ諸国が増え続けている。
先の選挙でアメリカ国民は共和党にNOを示した。
イラク戦争は間違いだったとするアメリカ国民が増え続けた。

それでもブッシュ政権はイラクに増兵する。
世界からアメリカこそが孤立するのだろう。




寒い日は鍋と温泉

子供の頃はこの地域にも〈つらら〉があったが、近年は温暖化の影響か随分と暖かい日が続いている。
それでも風が強い日は体感温度も下がる。

寒い日は鍋料理が何よりも有り難い。
しっかりダシを取れば尚旨いし、後の雑炊も一段と、

やはり、風呂は温泉に限る。
近年は温泉が沢山掘られ、近くに6軒の店舗が開いている。
それぞれ特色がいかされているが露天風呂がうれしい。
露天風呂や塩風呂、檜風呂、サウナ、など、マサージもある。

寒い日は温泉に入って鍋で一杯やるのが明日の活力になるような気がする。


道後温泉





年に何回かは離れた温泉もよし、何泊かで遠くへ行くのもよし、温泉は人を笑顔にする。

失恋も

人は若いころに、落第と失業と監獄を経験すれば良いと書いた本を読んだことがあった。

私は落第の経験がある。
原因は授業時間が2時間足りなかった。辞めようと思っていたが担任の熱意にうたれ留年したが去年の教科書で一つ下の生徒と勉強するのはつらい。

失業の経験はない。
解雇の経験もない。

監獄に行った経験は無いが警察署の留置場に15日間拘留された経験がある。

いずれも「経験があれば人の痛みが良く判る」と書いてあった。

かといって、破廉恥な犯罪は言語道断だ。
戦前に戦争に反対して監獄に放り込まれたとか、在日の人たちが指紋押捺制度に反対して指紋押捺を拒否し逮捕された時期もあった。
私も法務省交渉に二度行ったがこの制度は廃止された。

私はこの三つに失恋を付け加えた。
失恋の経験はないが判るような気がする。たぶん男も女も失恋の辛さは同じだと思う、経験していれば頭でも体でも感じるから経験は大事だ。

人に話をするときは失恋を付け加えている。
経験は自己を育て人をも育てる。

人生いろいろ

 <良い文学には余情がある>と云う

 <よい梵鐘には余韻がある>と云う

 <良い絵画には余白がある>と云う


大阪城








それでは良い人生には余生があるのだろうか!
そもそも余生とはなんなんだろう!
良い人生とはどの様なものだろう!


よく勉強して良い学校に入り、良い会社に就職して、良き妻を娶ること・・・
故郷に錦を飾ること・・・

人のため社会のために役立つことに努力すること・・・


大震災

1995年1月17日の早朝は地震によって起こされた。
すごい縦揺れで私はすぐに箪笥を抑えた。

しばらくしてテレビを点けると神戸が大変なことになっているではないか。
高速道路は横倒しになり、寸断された高速道の上には観光バスの車体半分がでていた。
ビルも横倒しになり、病院は4階が無くなっている。
黒鉛があがり、あちらこちらで火災が発生していた。
淡路島北部を震源とした直下型の大地震だった。

何日かして、仕事で神戸を通ったときに見たものは民家は倒壊してほとんど屋根しか見えなかった。これでは助からないと思った。
亡くなった人の多くは土壁が落ちてその埃を吸った人が多かったと聞いた。
また、火事による犠牲者もいた。

この震災で6434人が犠牲になった。

多くのボランティアが直後から支援に立ち上がった。
私は13万5000円の義援金を送った。

次は南海地震が何時来てもおかしくない。

天災は避けようが無い。
願うのは地震予知の正確な技術を早く開発して貰いたい。
テレビやインターネット、公共施設で、また、エレベーターのなかで、運転中の車にも、
予知が正確になれば尊い命が救われる。


有給休暇

年間の休日が土曜日曜及び国民の休日を含めて125日ある。
これらは13年前に労使協定に基づいて実施されれいる。
労使の交渉によって賃金を下げることなく制度化している。

私の場合は有給休暇が年間24日、何かのために常に1年分は残してきた。
昨年12月30日から9日まで正月休暇とした。
3日間働いて有給消化のため21日まで休んでいる。

さらに、1年分残しても3月始め迄に7日間の消化が必要だ。
休暇中にしなければならないことが沢山ある。

この業界の当初の休日は正月3日間だけだったと聞いている。
基本給は低く、月300時間に及ぶ残業でやっと生活できる状態だった。
その名残の仮眠室が残っていた。
家に帰れば子供は寝ているし、出るときも寝ているという状態が長年続いた。

残業しなくても食える賃金を! この要求から始まった。
長い闘いの結果、現在は日本全国で一番の賃金労働条件となっている。

夢をみる

夢とは実に妙なものである。

30代の頃だったか、誰かはわからないが追いかけられる夢を毎夜のようにみた。
追いかけられるから逃げるのであるが相手の方がいつも早い。追いつめられる。
暴力を受けた時は箪笥で頭を打っている。
そして目が覚める。

あまりにも疲れるので昼に考えたことは、「飛ぶ」だった。

また追いつめられた。「飛ぶんだ」と自分に言った。
まるで鶏だった。両手を広げて上下すると上に上にと上がっていくではないか。
両手を早く動かすと早く上昇する。
相手が見上げている。だんだんと小さくなる。

勝ち誇った気分になった。

2〜3夜は同じ夢をみたが自信がついてきた。
ただ、上昇するだけだった。スーパーマンのようには飛べなかった。
これで、あの苦痛から抜け出した。

〈 夢とは実に妙なものである 〉

護摩壇山

標高1372辰慮酲狠纏海錬隠暗戮竜げ杭垢あるといわれる。

南に鉾尖岳、西に城ヶ森山、北に白口峰と連なり、日高川の水源をなしている。

真冬に、この駐車場に車を止めて車外に出るなり余りの寒さにそのまま帰った記憶がある。
冬には樹氷が見える。

護摩壇山





 〈写真は展望塔より
    奈良県側を望む〉







龍神温泉に向かった、行ってみる価値は十分にある。
見えている道路は〈高野龍神スカイライン〉高野町から龍神村まで、上方至 高野山・下方至 龍神温泉


護摩壇山地図

朝鮮からの年賀状

私はアジアが好きである。
小学生の頃からインドシナの文化などを紹介した月刊誌を買ってもらって読んでいた。

大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華民国、フィリピン、インドネシアに行ったことがある。
中国では南京の南京大屠殺記念館の館長から年賀状を貰ったことがある。
フィリピンの友人からも長年にわたって年賀状や手紙が来ていたが近年は便りがない。
インドネシアの教育里子からの手紙が一番多かった。

朝鮮の友人からは毎年送られてくる。中国の年賀状と似ていて日本のハガキとは随分と違う。

高山植物




 〈白頭山で見た高山植物〉








3通の年賀状が来たが1通には「今年はぜひ平壌でお会いできる日を楽しみにしております」と書いてある。

昨年9月に訪朝する予定であったが事情があって行くことができなかった。
今年はぜひとも行ってみたいと思っている。

終わらない殺人

戦争の世紀と言われた20世紀が終わり、21世紀も戦争で始まった。

国内では殺人が止まらない。
2007年は1ヶ月もたたないうちにバラバラ殺人事件が3件が報道された。

兄が妹をバットで頭を叩き、首を絞めて殺した。
妻が夫をワインの瓶で叩き殺した。
もう1件は犯人が捕まっていない。

3件ともに体をバラバラにしている。
死体を隠すのに重くて運べないからバラバラにしたとの意見もあったが、
人を殺すには怨念のようなものがない限り有り得ないと思う。

ただ殺すだけでは、なお許せない非常に強い怨念がバラバラにさせるのだろうか。
殺人は子供の頃からの教育だけでは解決できないような、宗教の世界のような気もする。

招かれざる客

昨年秋に、生まれて4〜5ヶ月位のダックスフンドが我が家にやってきた。
名前を〈リーヤ〉という。

リーヤ

檻に入れられた〈リーヤ〉は私の顔を見上げたが無視した。

それは飼い主に問題があった。
動物を飼ってはならないマンションで秘密に飼っていたのだ。

子供の頃から捨て犬を拾ってきて何度も飼った記憶が残っている。

私は犬が好きではあるが、家の上で飼うのは少し考えるところがある。

ところが、最近はすっかり懐いてしまった。
私が帰ると「ク〜ン、ク〜ン」と鳴くのである。
檻から出して〈おやつ〉をやるとき、「お座り」を教え次に「待て」と「よし」を教えた。
すぐに覚えた。

そして今日、公園まで散歩に連れて行った。
もし居なくなれば寂しさを感じるのだろう。
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