知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

佐和山城跡

一度登ってみたいと思っていた佐和山城跡、2月だったか雨で霧が出てどこか解らなかった。しかたなく、彦根城に行ったがこの時期は殺風景このうえない。
新緑あざやかな5月にでなおした。

佐和山城跡





佐和山城跡 本丸跡
〈2005年5月2日撮影〉








佐和山城は鎌倉時代に佐保氏が築城した。
ふるくは佐保山と呼ばれていた。
石田三成の城で有名だが関ヶ原の後、井伊氏によって破城され石材は彦根城築城に使われた。
本丸跡からは眼下に彦根城が見え、遠くは琵琶湖に浮かぶ竹生島が見渡せる。

佐和山城跡地図



おまわりさん

東武東上線のときわ台駅で線路に入った女性を助けようとして電車にはねられた常盤台交番の宮本巡査部長が12日亡くなった。

宮本さんが勤務していた常盤台交番や板橋署には事故があった6日以降、回復を祈る手紙や電話が数多く寄せられ、花束や千羽鶴も100を超えたという。

交番前で女性が鶴を折り始めると道行く人も鶴を折る人が増えていったと報道があった。

宮本さんの死から一夜明けた昨日から記帳台には地域の人々が次々と訪れている。

宮本さんを知る地域の人々は、涙を流す人々が多い。

母子家庭の母親は、息子が宮本さんに補導された経験がある。宮本さんは悩んでいた息子に「自分の好きなことをしっかりやりなさい」と励ましてくれたと聞いた。
母子家庭なのでありがたかった。と話したなど多くの地域住民から慕われていた。

どんな人にも平等に接し、補導した子供を父親のように諭してくれた、と多くの住民が宮本さんを偲んだという。

犯罪を犯す警察官もいるが、多くの警察官は正義の人、宮本さんのような警察官もいることを忘れてはならない。

子供の頃、お巡りさんに憧れた。真っ白なシャツに紺の制服が男らしさを感じた。
危険が付きまとう、たいへんな仕事である。

はじしらず

北陸は加賀温泉郷の山中温泉に「お花見 久兵衛」という宿がある。
行き届いた接客と、隅々までの気配りは満足できるよい宿であった。

が、恥知らずというのか、非常識な客というのか、温泉に入ると煙草の吸い殻が捨てられていた。
フィルターの白い部分と煙草の葉がふやけて散らばっている。

日本社会には、もっともっと人に迷惑をかける恥知らずが多く居るが、捨てた客は自宅では決してそのようなことはしないだろう。

年は大人であっても人間性は子供以下と言われても仕方ないだろう。

大坂の城

大坂夏の陣(1615)で炎上した大坂城再建は徳川秀忠によって行われた。

工事は30数カ国の大名による大規模なものであった。
豊臣時代の本丸があったところに7辰寮垢蠹擇鬚靴橡楷櫃鮹曚、
秀吉の天守閣は40団だったが、58辰療啓薐佞建てられた。

徳川は豊臣をしのぐ築城によって権威を示した。

大阪城

時は流れ、
東区馬場町にある大阪城は、元々は金城とも錦城とも云われていた。現在の天守閣は1931年大阪市が建造したものである。

〈写真は西の丸庭園より
     天守閣を望む〉



そもそも、この土地には石山本願寺があったが、1550年8月、11年余りにわたる織田信長との一向一揆の際火災が起こり、全伽藍は灰に帰した。

信長の死後、豊臣秀吉は天下統一の本拠として、この地に新しい形式の城と町造りを目指して、1583年、浅野長政、増田長盛を工事奉行に山村正清を大工棟梁にし、築城にあたっては、関西30余国の大名に命じ一日平均数万人の人夫を動員して、3年を費やして1585年完成した。

本丸、二の丸、三の丸の石垣は三里八丁もの長さであり、切合わせという手法で築かれ幾里もある周囲の石垣が、全部根本で一つに固められているのがこの城の特徴である。
天守閣の内部は金箔で飾られ、軒瓦にはすべて金を張り、秀吉の桐紋が輝き、高欄の上に鶴、下に虎の純金の彫刻をはめ、切妻の金具はすべて黄金であったという。
現在の大阪城跡は当時の東の丸、西の丸、三の丸にあたる。秀吉の死後、1598年秀頼が伏見城から移り増築したが、1614年の大坂冬の陣で外郭が壊され、外堀が埋められ、翌年、夏の陣で落城の際炎上した。

その後、松平忠明が配されて入城しさらに1619年徳川幕府の直轄領とし、大坂城代に内藤信正を任じ、1620年、西国、北国の大名に命じて城の修復を行わせた。火災のたびに修復を重ね、1858年の修理に際しては天守の櫓を残してすべて再建されたが、1868年、失火によってその大部分が焼失した。


本来、城は原始人が敵や野獣を防ぐ原始的な防御物から始まり、やがて農耕、牧畜などの経済活動によって一定の土地に定住すると住まいを守る住居防備の形態を生じ、住いの集合体である集落の防備へと発達し、城郭都市へと拡大されていく。
一方、経済の発達とともに、人間社会の階級化が進み権力者が生れると権力者の住居を特に防備する私的住居防備が発達していく。他方、純然たる戦闘上の防御物も普通の木柵や鹿砦のような簡単なものであったが、やがて中国の万里の長城のような防塞とか敵襲に備えて要地に構築される城塞に発達していった。

現在の大阪城には太平洋戦争当時の防空壕が残っている。
1吐弾の投下で石垣と天守閣が少々ずれているし、近くには銃弾の痕も残っている。

鬼畜の所行

幼い子供が親の手によって殺される。

ほとんどの加害者は「しつけの為」というが、
虐待である。
我が子をあれほどまでに傷をつける。
まさに鬼畜の所業である。

3歳の長男を虐待したとして傷害罪に問われた父親の判決があり、
「養育態度は親としての自覚に欠けた自己中心的かつ場当たり的な・・・・・・」

被告は自宅台所で長男がつまみ食いしたことに腹を立て、熱したフライパンを腕に押し当ててやけどを負わせるなどしたとある。


逆に、子が親を殺すという事件も後を絶たない。

あまり知られていないが、釈迦の教えで「父母恩重経」と云い、高田好胤氏が解説した本がある。
母の恩、父の恩は重い。
特に母はどんな想いで我が子を育てるか詳しく書かれている。



浮いたお尻

田舎では川で泳いだが、
大阪では溜池で泳いだ。
小学生は溜池での遊泳は禁止されていた、が、内緒で泳いだ。
父の帰りを待って泳ぎに行ったことが懐かしい。

4年生の課外授業で海水浴があった。
私は海水パンツを買って欲しいと何度も頼んだが結局は買って貰えなかった。
随分と貧乏だったのだろう。

しかたなく普通のパンツで海に入った。
初めての海は波があって泳げなかった。
そして、パンツに空気が入って尻が浮くのである。

潮に流される。
初めての海水浴はさんざんだった。

南の国のお姉さん

妹を頼って日本に来たフィリピン国籍のSさんは大阪東部の小さな会社で働くこことなった。

ある日の午前中のこと、誤って左手をローラーに巻き込まれた。
診断の結果、二本の指を切断せざるを得ないとのこと。
随分と長い期間に渡って通院した。

社長は日本の保健は時間がかかると言って労災の手続きを延ばしていた。
Sさんはビザが切れて時間が経っていた。
何度もかけ合ったが同じ事しか言わないと、私に相談が持ち込まれた。

社長に会った私は次のことを約束させた。
すぐに労災保険の手続きをすること。
労働省は早くから、ビザが切れていても入管には通報しないとしていた。
引き続き雇用するように交渉したが、今のままでは仕事が出来ないことから本人の希望も聞き入れて退職一時金を支払うことで合意した。
労災保険からは毎月入金があり、等級が決まった頃には美しい義手が出来上がっていた。

帰国した彼女は祖国で子供服などを売る小さな店をはじめていた。

多くの外国人労働者から相談が寄せられたが解決できなかったのは一件だけ、本人が突然居なくなって未解決となっている。

法務省によると2005年末の外国人登録者は201万1555人で就労者は約80万人と推計されている。
外国人雇用状況報告によると2005年6月現在に報告された外国人労働者は34万人、雇用事業所数は3万弱でいずれも増加傾向にあるという。
出身地は東アジアが43%で中南米の30%と続く。

「外国人雇用状況報告制度」は報告が任意のうえ、対象も原則として50人以上の事業所に限定していて名前などの個人情報は対象外となっている。
政府は少子高齢化に伴い外国人労働者の受け入れを拡大していることから、厚労省は事業主に対して外国人労働者の人数、国籍、名前などの報告を義務付ける制度を創設する。
不法就労の防止や社会保険への加入促進が期待されるとしている。

たんに外国人労働者を管理する制度にならなければよいが、

雰囲気で!

書きかけの文章がなかなか進まない。
書斎は静かなのだが、

以前に行ったことのあるホテルを思いだした。
2時間少しの行程だ。

午前11時過ぎに着いた。まずは温泉に入る。
そして昼食、

ラウンジに行ってコーヒーを注文して、
持ってきたパソコンに向かった。

誰も居ない広いラウンジで唯一人、
不思議なものだ、すらすらと活字が並んで行く。

私は雰囲気が大事なのだ。
環境がそうさせるのか。

泊まっても良いと思いながら行ったが、
脇目も振らず帰ってきた。

人間性に問題が!

厚労相による「子供を産む機械」発言で野党は辞任を求めて予算委員会を審議拒否していたが昨日復帰した。

いくら謝っても基本的な考え方はそう簡単には変わらないと思う。
国民は少子化対策の審議を優先させるべきだとの声が多いことは当然である。

1950年の蔵相発言は「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような経済の原則にそったほうへ持って行きたい」と発言し、
子供の頃に聞いたのは「貧乏人は麦を食え」だった。

憲法に基づいて罷免された閣僚は多くいる。
最高学府で学び国会議員となって大臣にまで上り詰めた人があまりにも情けない。

教えは受けたが育っていないと言えはしないか、
つまり、人格(人間性)に問題があるとしか言えないと思う。

父上の仇

その昔、徳川時代では父上や兄上が理不尽に殺された時は、仇を討つのは子の義務とされていた時代、その妻子に仇討ちが許されていた。

それには条件があり、まず奉行所に届けて許可状を貰うこと。そして仇人を探しあてればその土地の奉行所が仇人を捕らえ仇討ちの場所を設定することになっていた。
敵討の許可が行われたのは武士階級であったが、それ以外の身分の者でも敵討を行う者はおり、孝子の所業として大目に見られた。
また武家の当主が殺害された場合、その嫡子が相手を敵討ちしなければ家名の継承が許されないとする慣習も見られた。

敵討ちは決闘であることから、相手のも迎えうつことが許される。討つ側が討たれることもある、返討ちと云う。

さらには、重ね敵討ちの禁止が定められていた。
仇討ちで本懐を遂げても相手方のも妻や子がいる、つまり報復行為を禁じたものである。

時がたち1874年(明治6年2月7日)明治政府は敵討ち禁止令を発布した。
時の司法卿江藤新平は、
「人を殺すは国家の大禁にして、人を殺すものを罰するは、政府の公権に候処、古来より父兄のために讐を復するを以って師弟の義と為す風習あり、右は至情不得止と雖も、畢竟私情をもて大禁を破り、私義を以って公権を犯す者にして、固より擅殺の罪を免れず、・・・・・・」とした。

法体系が整備されていない時代でもあった。
その後、江藤新平は法務卿として明治の法体系を着実に進めていった。

暗峠を越えて

生駒山地を越えて大阪と奈良を結ぶ街道は、古くから中垣内越え、暗峠越え、十三峠越え、亀ノ瀬越えがあり、別にいくつもの枝道があったと伝えられている。


暗峠


















暗峠越えは八里八丁と云われ、標高455の峠には「河内屋」「油屋」など20件近くの茶店や旅籠があり、伊勢参りの人々で賑わったと言われている。


近鉄枚岡駅から登り坂の連続だ。峠までかなりきつい坂で狭いところは軽自動車1台分しか車幅がない。
登りは煙草を吸うことすら忘れていた。

天気も良く、多くの人たちが峠越えをしている。「こんにちわ」が気持ち良い。


この国道は奈良時代以前から利用されていたようだ。
30万の兵と言われている大坂夏の陣にはこの街道も利用したのだろうか

結局、生駒駅まで歩いた



暗峠地図

蜘蛛の巣

体長1造砲睨たない女郎蜘蛛が通路に巣を張った
ちょうど頭の髪の毛に当たる高さである

私も忘れていて不覚にも三日間続けて巣を破った
翌日には修繕されていた

それが四日目から当たらなくなった
頭が当たる部分だけ巣を張らないのである

学習している !

人類の歴史600万年
科学 医療など 凄い勢いで発展してきたが、
今なお 戦争や民族紛争が起こっている

I can kill you

「I can kill you」と言いました。
「殺すぞ」ではなく「殺せるぞ」と言ったのです。

富田由美さん(仮名)は、高校の下校途中に米兵に性暴力を受けたが誰にも話すことができなかった。
約10年後の1995年米兵による少女暴行事件が起きたのがきっかけで「私自身が警察に届け出なかった。警察に行っていればみんなが危険を知って気を付けることができたかもしれない。そうすれば小学生の事件は起きなかったのではないか」と自分を責め続けた。

1996年、大学で若い世代として沖縄に関する講演をしたとき、体験を初めて話した。
「これから一緒に働いていく若い人たちに正直に話したかった」 会場は質問も出ないほど静まりかえり、泣き出す人もいた。
富田さん自身も「話してよかったという思いと、ほんとうに良かったのかという思い」が格闘した。
「再び被害者を出したくない、証言が基地撤去につながるのなら」その気持ちが背中を押したという。

富田由美さんは沖縄県知事宛に手紙を書いた。
一部、抜粋する。

『1995年9月に米兵による少女暴行事件から10年、去る7月3日、またもや米兵による少女に対するワイセツ行為事件が起こりました。いったいいつまでこんなことが続くのでしょうか。いったい何人の女性が犠牲になれば、気がすむのでしょうか?

私は被害者の一人として訴えます。私は、高校2年生のときに米兵によるレイプを受けました。学校帰りにナイフで脅され、自宅近くの公園に連れ込まれ3人の米兵にレイプされたのです。本当に怖かった。「もう終わりだ、自分は死ぬのだ」と思いました。
何度叫ぼうとしても声も出せずにいました。

あれから20年以上の月日が流れたいまでも、私は事件による心の傷に苦しんでいます。被害者にとって、時の長さは関係ありません。被害を受けたその瞬間から命の尽きるまで、まるで寄せくる波のように苦しみが押し寄せて来るのです。それは穏やかな波のようなときもあれば、嵐のように荒れ狂うときもあります。しかし、心の傷がなくなることはないのです。

今回被害にあったのは、まだ小学生です。被害にあった女の子の気持ちを考えると、いても立ってもいられなくなります。どれほど恐ろしかったことでしょう。私は基地を押し付けようとするすべての人に書いたのです。「あなたのお子さんであったならどうされるのでしょうか?」と。

稲嶺知事、こんなにも多くの被害が起こる原因はいったい何でしょうか。私達「被害者」が「沖縄人」がいったい何をしたというのでしょうか。基地があると言うだけで、朝から子供を遊びに出すこともできないことが、私達の望む沖縄の姿なのでしょうか。
米兵たちは今日も我が物顔で、私達の島を何の制限もされずに歩いています。仕事として「人殺しの術」を学び、訓練している米兵が、です。』



強姦のうえ殺された女性は数多くいる。また、被害者が告発せず表に出ていないレイプ事件はどれほどにのぼるのだろうか。
1945年以降、レイプ事件のなかった年はあるのだろうか。
多くの事件が容疑者不明となっている。

ママ起きて

ある小学校で参観があった。

親子で走る競技で子供は先に走っていた、運動不足の母親は遅れて走っていた。
母親は足がもつれ前に倒れた。
先に走っていた子供が気付き立ち止まるなり大声で泣き出した。

担任が近づき「美代ちゃん、どうしたの どこか痛いの」と声を掛けた。
子供は大声で、「ママ生理やねん、二日目やねん、かわいそう」と泣きながら言った。

母親は赤面、
「子供は正直」とはこのことである。

労働者の権利

フィリピンの法律は会社の従業員の過半数以上を獲得した労働組合でないと会社との交渉権がない。
日本は1人でも交渉権がある。

大企業労組に加盟する労働者が1995年別の労組に加盟して同労組に脱退届けを提出した。
会社は、労使協約を理由に脱退しないように求め、250万円の解決金を支払い脱退を撤回させた。

労働者は2001年に再度脱退を申し入れていた。
東京高裁は労働者の請求を棄却したが、最高裁は、
「労組脱退の自由を奪い、永続的な服従を強いた約束は公序良俗に反して無効」との判断を示した。

上部団体の下部組織に対する「行動を起こすな」との圧力に屈せず、僅か60名の下部組織は果敢に闘い3名の解雇を無条件に撤回させた例もある。

その後60名の労働者は、労働者の権利を守ろうとしない上部団体を脱退して自ら労働組合を結成した。
その名を「大阪自主労働組合」と云う。

“闘いなくして勝利なし”である。

感じます

  冬の万両に降る雨は、 なぜか寂しく感じます



  春の土筆に降る雨は、 なぜか希望を感じます



  夏の稲葉に降る雨は、 なぜか力を感じます



  秋の楓に降る雨は、 なぜか悲しく感じます

教育とは

テレビの国会中継を見ていて気付いた。
教育とは教え育てると書く。

単に教えるだけでは教育とは言わない、育てて初めて教育と言うのである。
この間、凶悪な少年事件が多発した。

一つは、少年グループによるドラム缶コンクリート詰め殺人事件である。




それは1988年11月25日の午後6時頃から始まった。

18歳と16歳の少年2人はひったくりを目的としてバイクで出かけた。
8時頃に、アルバイト先から帰宅途中の埼玉県立高校で学ぶ女子生徒(
17歳)を見かけ、「あの女を蹴れ」と命令し、後から近づいて親切を装い送ってあげると助ける振りをして「俺はヤクザの幹部だ」と脅しホテルに連れ込み強姦した。

10時頃、家に帰っていた16歳の友人を含む3人を呼び出して16歳の少年の家の2階に少女を42日間にわたって監禁することになる。

28日には、別の17歳と16歳の少年に「いいモノを見せてやる」と言って呼び出して家人が寝静まってから輪姦したのであった。

少年達は昼夜の別なく少女の体を弄び、また、あまりの暴行によって気を失うと水に頭を漬けて、また犯した。

少女は隙をみて110番したが気づかれてしまい、この事をきっかけに殴る蹴るの暴力、さらにはライターの火を押しつけたり、シンナーを吸わせたり焼酎を飲ませたりして面白がっていた。

12月も10日頃になると、少女は「家に帰りたい」と言い出すと暴行を加え、さらに火傷のあとにライターのオイルをかけて火をつけた。熱がるのが面白いと何度も繰り返したという。

12月も中旬になると、少女が小便で布団を汚した事を理由に暴力が加えられ、顔は無惨にも腫れ上がり別人の顔となっていく。
食べ物も12月の末頃には牛乳1本、或いはパン1枚与える程度となっていく。紙コップに排尿させ、それを飲ませたりした。

少女は「何でもするから家に帰して」と懇願するが、少年達は裸で踊らしたり、自慰を強要して面白がった。

少女は衰弱し足の火傷が化膿して動けなくなった。
少年達はしだいに少女を持てあますようになっていった。

1月4日、主犯格の少年は3人を誘って2階に行き、集団で少女を次々に殴り顔は血だらけの状態となった。
さらに、ろうそくを顔に垂らし手に血が付くからとビニール袋を手にまき体に暴行を加えた。

少女の身体は硬直し痙攣しはじめた。
主犯格の少年は1.7舛療緩世鮖ち出すと少女の腹に落とした。他の3人は面白半分に暴力をエスカレートさせていった。

翌日、監禁から42日目に少女は息を引き取った。
少年達は死体を毛布に包み旅行鞄に入れて車で運んで盗んできたドラム缶に鞄ごと放り込みコンクリートを流し込んだ。

この少年達は主犯格が懲役20年、3名は5年〜10年、9年、7年の不定期刑で残り3名は少年院に収容された。

常識では考えられない陵辱のかぎりを尽くした凶悪犯罪で動機にはまったく酌量の余地はない。

不定期刑の一人は出所後、逮捕監禁致傷で逮捕され懲役4年の刑が確定した。

少なくとも16歳の少年の親が少年らを恐れずに警察に届けていれば少女は「なぶり殺し」に会わなくて済んだことは間違いない。



教え育てることの重要性が問われ社会問題として考えさせられる。


青テント生活

大阪城公園でテント生活をしている人にある大学の助教授と訪ねたことがある。
テントの中は綺麗に整理されていて、我々を歓迎してくれた。

今年夏には世界陸上大阪大会が長居陸上競技場で行われる。
大阪市は長居公園で暮らす人たちに散策路整備の傷害になるとして昨年から撤去を要請してきた。
29日を期限とした強制撤去を文章通告した。
2月初めには行政代執行法に基づいて強制撤去を行う方針だ。

力で追い出すのは簡単だが、それでは一時しのぎで問題解決にはならない。
力ではなく話し合いで自立に対する支援をどのようにしたらよいのか方向性を出すべきだ。


テント生活者は年齢の分だけ人生の年輪がある。
人の数だけ歴史がある。

大阪城公園でテント生活をして居た知人の一人は、元有名ホテルの料理長をしていた。
東京の池袋の割烹で腕を振るったこともある。上品な店で女性は着物姿で料理を出してくれる。もう少し品数を増やしたいと抱負を語っていた。
一度だけだが食べに行ったことがあるが腕は一流だ。

今は難波近くの料理店で腕を振るっている。

不浄の手

インドネシアはジョグジャカルタ近郊の個人の家に立ち寄った。
付近は農家、稲が青々と成長の過程だったと記憶している。

飲み物と茶菓子で歓迎してくれた。
わたしはトイレの場所を聞き外に出た。
戸は椰子の葉を編んで作られてあり、中の広さは1.5畳ぐらいだろうか、左に水を入れた水槽がセメントで作られているだけで他には何もない。
よく見ると右下の壁に直径6僂阿蕕い侶蠅あけられている。
わたしは一旦外に出て穴の反対側を見た、それは田圃に続いている。

フィリピンではバスタブがなくシャワーだけしかなかったのを思いだし、てっきり風呂だと思いこみもう一度聞き直した。
指を指して教えてくれた。
幸いにも小便だったので問題なくおわった。水槽から水を汲んで流しておいた。

同行者に以前インドネシアで仕事をしていた人がいる。わたしはトイレになぜ紙が置いてないのか尋ねた。
「インドネシアではトイレのあとは水槽から水を汲んで左手で洗うのが習慣となっている」とのこと。
「食事のときは左手は不浄の手とされ、膝の上に置く」と教えてくれた。

学校も尋ねたが、水槽が大きく風呂屋のようなトイレだった、なみなみと水が入れられていた。
泊まったホテルは洋式トイレで紙が備え付けられている。シャワーもバスタブがある。

よく考えてみると紙で拭くよりは水で洗う方が清潔なこと間違いない。
どこのトイレのも石けんが置かれていた。

文化である。

学校で花を貰ったときに、うかつにも左手で受け取った。
同行者から注意を促された。

左手は不浄の手とされているのだ。

夫婦別姓

選択的夫婦別姓制度について内閣府が行った世論調査は、
夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきで法改正は必要ないとする人は35%で2001年の調査より5.1ポイント増えた。

結婚前の姓を名乗ることが出来るように法改正してもかまわないとする人は36.6%で5.5ポイント減少した。

前回調査では20代30代は男女ともに5割を超えていたが今回調査は4割台に減少している。

夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきだが結婚前の姓を通称として使えるように法改正することはかまわないと考える人は25.1%で2,1ポイント増えている。

全体として夫婦別姓に理解を示す人は全体の半数を超えている。

容認派に実際に別姓を希望するかの質問に希望すると答えた人は20.9%にとどまっている。
また、夫婦の姓が違うと子供に好ましくない影響があると考える人も全体の66.2%ある。

法務省は「夫婦別姓を導入する民法改正案をただちに国会に提出する状況にはない」とした。

私は本人が自由に選択できる方が良いと思っている。
妻が別姓を希望するなら決して反対はしないし、
この種のことを民法で縛るのはおかしいと思っている。
かといって、積極的に夫婦別姓を人に働きかけはしたくない。

この子誰の子

民法第772条2項は、婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。と定めている。

つまり、女性が離婚後300日以内に出産した場合、生まれた子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になる。

この規定があることから出産した子供が現在の夫との間の子供として認められなかった。

離婚後に妊娠した人や早産のため離婚後300日以内に出産を余儀なくされた女性達が現在の夫との子供であることが明らかであるにもかかわらず出生届が受理されなかったケースが増えているという。

この規定は古く、現在は医学は当時と比べれば驚くほど水準が高い、DNA鑑定でもすぐに解る。

法相は「安定的な法秩序を維持する意味で考えなければならない」として見直しが必要かどうか検討する考えを示した。


時代に合わなくなった法律はいち早く改正すべきである。


私に呉れたもの

あなたが私に呉れたもの
小さなメモ帳に丁寧に書いてそっと差しだした




     好きというのは
     耳にすること


     愛というのは
     目にすること


     だから
     好きな人と別れると
     耳を塞げば
     何も聞こえない


     でも
     愛する人と別れると
     目を閉じても
     あつい涙が出てくるもの

払わない保護者

学校給食法は、「学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする」と定めている。

同法6条2項には、「前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童又は生徒の学校教育法第22条第1項に規定する保護者の負担とする」とも定めている。

また、生活保護世帯や低所得者層には国や自治体が生活保護費や就学援助費に含めることで給食費を援助する制度がある。
制度を知らない保護者もいることから広く周知する努力が必要だ。

ブランド物を身につけた保護者が給食費を払わない、高級外車を乗り回している保護者が給食費を払わない。
催促すると逆ギレする。

子供には何の責任もない、年間22億円を超える未納がある。
そして子供は親の背中をみて育つ。

責任感や規範意識の低い保護者は、支払い督促の申し立ても有効だが、広く氏名を公表して社会の一員である意識を自覚させる必要があるのではないだろうか。



払いすぎた授業料

麻雀は中国に始まり日本には明治になってから入ってきたようだ。
日本麻雀が流行し始めたのは昭和に入ってからという。

数十年前に2〜3年ほど、熱中した時期がある。
見えない牌を見抜く能力が要求される。

将棋も囲碁も初心者にはハンディを付けてくれるが麻雀は一切無い。

安いレートでも負ければ大きい。
正月に3日間も徹夜で、外に出れば眩しくて暫く目を開けることができなかった。

誰からとなく言い出さなくなり、自然と止めてしまった。
熱中した趣味は幾つかあるがこれほど高くついた授業料はない。

たしなむ程度に飲みました

古い話ではありますが、
たしなむ程度に飲みました。

深夜に坂の上でポールを立てて飲酒検問をしていました。
順番にポールの中に入って行きます。
前の車で一杯になり旗を振って行けと合図をしています。

良かった、
これって運が良いと云うのだろうか。
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