知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

劣化ウラン弾

恐るべき放射性廃棄物劣化ウラン、
アメリカには大量に貯蔵されている。
これらの廃棄には莫大な費用が要る。

91年の湾岸戦争に劣化ウラン弾が大量に使用された。
結果、イラクでは被爆した人たちにようって枯れ葉剤同様奇形児が誕生している。

アメリカ帰還兵も同じだ。
イラクに入った22万人のうち69%に被害が出ているという。
アメリカ政府はこれら因果関係を認めていない。

その後、95年のボスニア、99年のコソボ、そしてアフガン、イラクと劣化ウラン弾は使われた。
今回のイラクでは湾岸当時の5倍の量が使われたという。

五右衛門風呂

小学校に入った頃の私の仕事は、やぎの餌を取りに行くことと乳絞りであった。

もう一つは、家の前の川から風呂に水をくむこと、
前の川と言っても川までは急な坂道となっていてバケツでの作業だ。
もちろん燃料は山からとってきた枯れ木である。

あの頃のことを思えば今の風呂は、
蛇口をひねれば水が出る。ボタンひとつでお湯がわく。
火吹き棒なんて最近は見ることもない、なつかしいもの。

風呂に入るときは「げす」なるものを底にはめる。木の板である。子供の力では浮力があってはめられない。
みんな懐かしい思い出。

最近は携帯電話で、
保育園の子供の様子を見たり、ペットの様子を見たり、
また、風呂を沸かすこともできると聞いた。

前事不忘 後事之師

『前事忘れざるは後事の師』  −前事不忘、後事之師−

前事とは過去のこと、昔のこと。
中国の南京大屠殺記念館には大きく書かれている。

過去のあやまちを教訓としなければ、同じあやまちを二度も三度も起こしかねない。
あやまちをあやまちと認めなければ、個人であれ組織であれ、躍進はありえない。

この記念館で生存者二人から当時の体験談を聞いた。
今は年配者だが、二人はまだ子供の頃のはなし。
聞くに堪えない話で36名の団員の顔は真剣そのものだった。

魯迅に想う

訪中に際して、魯迅について調べたが現地ではついに話す機会がなかった。

本名:周樹人 1881年江南の紹興で生まれる。
1902年官費留学生として来日、仙台の医学校に入学する。
が、見た映画で、日本兵に処刑される中国人、それを見た中国人が何の表情もないことに衝撃を受け、祖国を救うのは医学ではなく、改造すべきは中国人の精神ではないかと。

そして東京に戻り文学を志す。留学生活を終えて帰国した魯迅は、故郷で教鞭を執っている時に、辛亥革命が起き清朝が倒れる。魯迅も革命運動に新しい時代を築くために努力する。
日本が内政干渉したことへの政府の対応に抗議した市民や学生に軍が発砲し47名の死者がでた。1926年の3.18事件だ。

魯迅

「もし、かくのごとき青年を殺し尽くしたとするも、屠殺者もまた断じて勝利者とはなり得ぬことを知らねばならぬ。中国は、愛国者の滅亡とともに滅亡するであろう」(魯迅評論集)
政府は体制を揺るがす危険分子として指名手配した。
魯迅には敵が多かった。
本当の敵は人を抑圧するものであり、誰でも持っている愚かさだった。
愚かさを自覚していない者、自覚していても改めない者は敵になった。



それが革命であれ、何であれ、自分と同士は守らなければならない。
こころざし半ばで倒されてはならない。時には敵に協力することも必要だが戦略的でなければならない。

いずれにしても、悪が栄えた歴史はない。
人生は短い、民衆から慕われる闘いは英知と行動力が要求される。

首飾り

フィリピンで自分より少し若い男性から着けていた首飾りを貰ったことがある。
ルソン島中部地域だった。
大事にしていたと思う、伝統あるものと言っていた。

私も若い韓国人男性に着けていた総絞りのネクタイをあげたことがある。

プレゼントはいろいろあるが身につけているものを貰えば忘れない。

子育て

子供

子供を育てる母親は様々、良いお母さんもいれば悪いお母さんもいる。

自分が産み育てた我が子を殺すようなニュースがあった。
模範になるようなお母さんは特には紹介されない。



四六時中、怒っていても、昼食を作ってくれなくても幼い子供は何とも思っていないようだ。
いくら怒られてもお母さんには飼い犬のように服従する。
子供は母親の傍がよいのである。

子供の教育は難しい。
叱り方、褒め方はタイミングを間違ってはならない。

親はなくても子は育つとは言うが、
できることなら、よい子に育てたいのは誰しも同じ。

やはり、「親の心 子知らず」は科学がいくら発達しても同じか。

むやみに物を与えるのは考え物だ。
我慢することも教えなければいけない。

ただ、言いたいことは充分に聞いてやらなければいけない。

叱られる

最近の建設現場は地域住民との約束事が多い。
作業時間や騒音、資材納入の時間帯や車両時速など、当然にガードマンの需要も多くなる。

高齢者が多い中で若い女性ガードマンがいる。
ある建設現場で13時を廻って走ってきて、
昼礼に間に合わない、「怒られる」と言っていた。
「出ても意味がない」とも言っていた。
遠くへ昼食に行ったのだろうか、私に食事は何処でするのかと聞いていた。


若い女性のドライバーも鉄筋工もいた、最近はいろいろな業種に女性が活躍している。

氷まつり

瀋陽から長春に、長春からハルピンまで電車に乗ったが、
とにかく遅い感じがする。
食堂車で食事をしていればこの速度でいいんだと思う。

が、時間がゆっくりと流れているような気持ちにもなってくる。


中国のハルピンは、9月初旬でも長袖のシャツを着ていても朝は肌寒い。
ホテルは二重窓になっており、冬の寒さはある程度想像できる。
6時に起きて散歩してみた。

ハルビン市では、毎年恒例の氷祭りが開催され夜空を彩る花火と幻想的な氷の世界となる。
1985年から始まった。

東京ドームおよそ6個分28万平方辰良瀉呂砲蓮氷の滑り台や実物大の建物が作られていて訪れた人たちは実際に氷に触れることができる。
会場には氷でできた万里の長城やロシアの赤の広場の彫刻も展示されたことがある。

これらの氷は松花江から切り出すとの説明を受けた。
あの松花江が凍るとはとても信じられないような川幅だ。

真冬に行ってみたいような気もするが、あまりにも寒いからいいかとも思う。

正義の人は

世の中には矛盾というものがある。
どの分野にもどの地域にもどの団体にもある。
多かれ少なかれある。

また、正と邪がある.
邪に立ち向かう者は臆病であってはならない。
なぜなら邪の方が恐れているからである。

勇敢に闘わなければならない、英知を出し合って。

ほとんどの場合、表にでるのは内部告発である。

覚悟の人

長い人生のうちには何度かは決断の時がある。
自分の人生が変わる時の決断もある。

すべて自己責任で決断しなければならない。
中途半端な決断なら最初から違う方法をとるべきである。

一端決断したことはどんなことがあっても覚悟の人でなければいけない。
手段はいろいろあるが目的は1つだ。
目的のための覚悟ができていなければ失敗する確率が高い。

失敗の許されない決断であれば、絶対に覚悟の人でなければ成功しない。

左伝

『安きに居りて危うきを思う』  −居安思危−

春秋左氏伝(左伝)は春秋時代の歴史書であり、そのなかに、
『安きに居りて危うきを思う。思えば則ち備えあり、備えあれば患いなし』とある。

安泰な時こそ、気持ちを引き締めて将来の為に備えなければならない。

大阪駅 10番ホーム

大阪駅10番ホームにトワイライトエキスプレスが停まっていた。
札幌行きの豪華寝台特急だ。


トワイライトエキスプレス


大阪駅を正午に出発して日本海を北上、翌朝9時7分に札幌に着く寝台列車。




来年の2月にはこの列車に乗って北海道に行こう。

城づくり

加藤清正は城作りの名人と昔に聞いたことがある。
何が違うのかといえば、基礎である。

熊本城の基礎は他城に比べて強固に出来ている。したがって、石垣も簡単には崩れないと云われている。

基礎が大事なのは建物だけではなく、土木工事ももちろんである。

重量物を吊り上げるデッカー車は足を出して車体を支えるが地面が柔らかければ車は倒れてしまう。
過古来、何度も事故が起きている。

人も同じである。
基礎がしっかりしている人は逆境に強い。

ジュゴンの住む南の海

沖縄には7回行ったことがある。
5回は米軍基地問題や第二次大戦中の沖縄戦の学習が中心だった。

辺野古沖に予定されているヘリポート基地建設に関して辺野古には3回行った。
沖縄にはジュゴンが生息する海がいくつかあるが辺野古沖もその一つだ。

太平洋南西部には約50頭ぐらいのジュゴンがいるが激減しているという。全体で10万頭と言われているがオーストラリアに8割が生息している。国の天然記念物に指定されている。
主食はアマモなどの海草で、愛くるしい顔と温和しいことが特徴だ。

リゾート地建設の波が海を汚染しアマモが育たなくなったことも原因の一つと言われている。南の暖かい海に住むジュゴンは好奇心旺盛だが音にはきわめて敏感と言われている。

日本は米軍再編に要する莫大な費用を負担することになっている。
先の六カ国協議をみても日本はこのままでは孤立していくように思えてならない。

本土から沖縄に移住する人が増えている。
環境の良いところには人が集まる。

緊急援助

外務省国際協力局からメールマガジンが送られてくる。
今回は特別号として、「洪水被害に対する緊急援助について 」を読んでみた。

1、我が国政府は、インドネシア・ジャカルタ特別州及びその周辺地域において大規模な洪水が発生したことを受け、インドネシア政府に対し、約1、500万円相当の緊急援助物資(毛布、スリーピングマット、プラスチックシート、ポリタンク)を供与することを決定した。
2、今回の災害は、2月1日にジャカルタ特別州及びその周辺地域にて、豪雨による洪水が発生し、多くの住民が被災したものである。5日夜までに判明している被害状況は、死者18人、行方不明者2人、被災者約34万人に上っている模様である。
3、一連の災害により、多くの被災者が現在不自由な避難生活を強いられている状況にあり、インドネシア政府は、被災者の支援に全力を挙げているが、そのような中で、今般、我が国政府に対して支援を要請してきたものである。
4、我が国としては、今回の災害による被災者に対し、人道的観点及び我が国とインドネシア両国の友好関係に鑑み、同国に対し緊急援助を行うこととした。

インドネシアは教育里子が住んでいる国で訪問したことがある。
特に、ジャワ島の人々は温厚で優しい人がほとんど、機会があればまた行ってみたい国の一つでもある。

4万年とは

3年前に、スペインで起きた「マドリード列車同時爆破テロ事件」の初公判が特別法廷で始まった。

殺人罪などで起訴された29人の被告に対し、検察は主犯格7名に禁固40000年を求刑するという。

内訳は死者1名につき禁固30年、負傷者1人につき禁固18年を累計して禁固約4万年を求刑する方針という。

この事件では191名の死者がでた。

法律は禁固刑の上限は40年となっているそうだが裁判所はどのような判決をくだすのだろうか。

佐和山城跡

一度登ってみたいと思っていた佐和山城跡、2月だったか雨で霧が出てどこか解らなかった。しかたなく、彦根城に行ったがこの時期は殺風景このうえない。
新緑あざやかな5月にでなおした。

佐和山城跡





佐和山城跡 本丸跡
〈2005年5月2日撮影〉








佐和山城は鎌倉時代に佐保氏が築城した。
ふるくは佐保山と呼ばれていた。
石田三成の城で有名だが関ヶ原の後、井伊氏によって破城され石材は彦根城築城に使われた。
本丸跡からは眼下に彦根城が見え、遠くは琵琶湖に浮かぶ竹生島が見渡せる。

佐和山城跡地図



おまわりさん

東武東上線のときわ台駅で線路に入った女性を助けようとして電車にはねられた常盤台交番の宮本巡査部長が12日亡くなった。

宮本さんが勤務していた常盤台交番や板橋署には事故があった6日以降、回復を祈る手紙や電話が数多く寄せられ、花束や千羽鶴も100を超えたという。

交番前で女性が鶴を折り始めると道行く人も鶴を折る人が増えていったと報道があった。

宮本さんの死から一夜明けた昨日から記帳台には地域の人々が次々と訪れている。

宮本さんを知る地域の人々は、涙を流す人々が多い。

母子家庭の母親は、息子が宮本さんに補導された経験がある。宮本さんは悩んでいた息子に「自分の好きなことをしっかりやりなさい」と励ましてくれたと聞いた。
母子家庭なのでありがたかった。と話したなど多くの地域住民から慕われていた。

どんな人にも平等に接し、補導した子供を父親のように諭してくれた、と多くの住民が宮本さんを偲んだという。

犯罪を犯す警察官もいるが、多くの警察官は正義の人、宮本さんのような警察官もいることを忘れてはならない。

子供の頃、お巡りさんに憧れた。真っ白なシャツに紺の制服が男らしさを感じた。
危険が付きまとう、たいへんな仕事である。

はじしらず

北陸は加賀温泉郷の山中温泉に「お花見 久兵衛」という宿がある。
行き届いた接客と、隅々までの気配りは満足できるよい宿であった。

が、恥知らずというのか、非常識な客というのか、温泉に入ると煙草の吸い殻が捨てられていた。
フィルターの白い部分と煙草の葉がふやけて散らばっている。

日本社会には、もっともっと人に迷惑をかける恥知らずが多く居るが、捨てた客は自宅では決してそのようなことはしないだろう。

年は大人であっても人間性は子供以下と言われても仕方ないだろう。

大坂の城

大坂夏の陣(1615)で炎上した大坂城再建は徳川秀忠によって行われた。

工事は30数カ国の大名による大規模なものであった。
豊臣時代の本丸があったところに7辰寮垢蠹擇鬚靴橡楷櫃鮹曚、
秀吉の天守閣は40団だったが、58辰療啓薐佞建てられた。

徳川は豊臣をしのぐ築城によって権威を示した。

大阪城

時は流れ、
東区馬場町にある大阪城は、元々は金城とも錦城とも云われていた。現在の天守閣は1931年大阪市が建造したものである。

〈写真は西の丸庭園より
     天守閣を望む〉



そもそも、この土地には石山本願寺があったが、1550年8月、11年余りにわたる織田信長との一向一揆の際火災が起こり、全伽藍は灰に帰した。

信長の死後、豊臣秀吉は天下統一の本拠として、この地に新しい形式の城と町造りを目指して、1583年、浅野長政、増田長盛を工事奉行に山村正清を大工棟梁にし、築城にあたっては、関西30余国の大名に命じ一日平均数万人の人夫を動員して、3年を費やして1585年完成した。

本丸、二の丸、三の丸の石垣は三里八丁もの長さであり、切合わせという手法で築かれ幾里もある周囲の石垣が、全部根本で一つに固められているのがこの城の特徴である。
天守閣の内部は金箔で飾られ、軒瓦にはすべて金を張り、秀吉の桐紋が輝き、高欄の上に鶴、下に虎の純金の彫刻をはめ、切妻の金具はすべて黄金であったという。
現在の大阪城跡は当時の東の丸、西の丸、三の丸にあたる。秀吉の死後、1598年秀頼が伏見城から移り増築したが、1614年の大坂冬の陣で外郭が壊され、外堀が埋められ、翌年、夏の陣で落城の際炎上した。

その後、松平忠明が配されて入城しさらに1619年徳川幕府の直轄領とし、大坂城代に内藤信正を任じ、1620年、西国、北国の大名に命じて城の修復を行わせた。火災のたびに修復を重ね、1858年の修理に際しては天守の櫓を残してすべて再建されたが、1868年、失火によってその大部分が焼失した。


本来、城は原始人が敵や野獣を防ぐ原始的な防御物から始まり、やがて農耕、牧畜などの経済活動によって一定の土地に定住すると住まいを守る住居防備の形態を生じ、住いの集合体である集落の防備へと発達し、城郭都市へと拡大されていく。
一方、経済の発達とともに、人間社会の階級化が進み権力者が生れると権力者の住居を特に防備する私的住居防備が発達していく。他方、純然たる戦闘上の防御物も普通の木柵や鹿砦のような簡単なものであったが、やがて中国の万里の長城のような防塞とか敵襲に備えて要地に構築される城塞に発達していった。

現在の大阪城には太平洋戦争当時の防空壕が残っている。
1吐弾の投下で石垣と天守閣が少々ずれているし、近くには銃弾の痕も残っている。

鬼畜の所行

幼い子供が親の手によって殺される。

ほとんどの加害者は「しつけの為」というが、
虐待である。
我が子をあれほどまでに傷をつける。
まさに鬼畜の所業である。

3歳の長男を虐待したとして傷害罪に問われた父親の判決があり、
「養育態度は親としての自覚に欠けた自己中心的かつ場当たり的な・・・・・・」

被告は自宅台所で長男がつまみ食いしたことに腹を立て、熱したフライパンを腕に押し当ててやけどを負わせるなどしたとある。


逆に、子が親を殺すという事件も後を絶たない。

あまり知られていないが、釈迦の教えで「父母恩重経」と云い、高田好胤氏が解説した本がある。
母の恩、父の恩は重い。
特に母はどんな想いで我が子を育てるか詳しく書かれている。



浮いたお尻

田舎では川で泳いだが、
大阪では溜池で泳いだ。
小学生は溜池での遊泳は禁止されていた、が、内緒で泳いだ。
父の帰りを待って泳ぎに行ったことが懐かしい。

4年生の課外授業で海水浴があった。
私は海水パンツを買って欲しいと何度も頼んだが結局は買って貰えなかった。
随分と貧乏だったのだろう。

しかたなく普通のパンツで海に入った。
初めての海は波があって泳げなかった。
そして、パンツに空気が入って尻が浮くのである。

潮に流される。
初めての海水浴はさんざんだった。

南の国のお姉さん

妹を頼って日本に来たフィリピン国籍のSさんは大阪東部の小さな会社で働くこことなった。

ある日の午前中のこと、誤って左手をローラーに巻き込まれた。
診断の結果、二本の指を切断せざるを得ないとのこと。
随分と長い期間に渡って通院した。

社長は日本の保健は時間がかかると言って労災の手続きを延ばしていた。
Sさんはビザが切れて時間が経っていた。
何度もかけ合ったが同じ事しか言わないと、私に相談が持ち込まれた。

社長に会った私は次のことを約束させた。
すぐに労災保険の手続きをすること。
労働省は早くから、ビザが切れていても入管には通報しないとしていた。
引き続き雇用するように交渉したが、今のままでは仕事が出来ないことから本人の希望も聞き入れて退職一時金を支払うことで合意した。
労災保険からは毎月入金があり、等級が決まった頃には美しい義手が出来上がっていた。

帰国した彼女は祖国で子供服などを売る小さな店をはじめていた。

多くの外国人労働者から相談が寄せられたが解決できなかったのは一件だけ、本人が突然居なくなって未解決となっている。

法務省によると2005年末の外国人登録者は201万1555人で就労者は約80万人と推計されている。
外国人雇用状況報告によると2005年6月現在に報告された外国人労働者は34万人、雇用事業所数は3万弱でいずれも増加傾向にあるという。
出身地は東アジアが43%で中南米の30%と続く。

「外国人雇用状況報告制度」は報告が任意のうえ、対象も原則として50人以上の事業所に限定していて名前などの個人情報は対象外となっている。
政府は少子高齢化に伴い外国人労働者の受け入れを拡大していることから、厚労省は事業主に対して外国人労働者の人数、国籍、名前などの報告を義務付ける制度を創設する。
不法就労の防止や社会保険への加入促進が期待されるとしている。

たんに外国人労働者を管理する制度にならなければよいが、

雰囲気で!

書きかけの文章がなかなか進まない。
書斎は静かなのだが、

以前に行ったことのあるホテルを思いだした。
2時間少しの行程だ。

午前11時過ぎに着いた。まずは温泉に入る。
そして昼食、

ラウンジに行ってコーヒーを注文して、
持ってきたパソコンに向かった。

誰も居ない広いラウンジで唯一人、
不思議なものだ、すらすらと活字が並んで行く。

私は雰囲気が大事なのだ。
環境がそうさせるのか。

泊まっても良いと思いながら行ったが、
脇目も振らず帰ってきた。

人間性に問題が!

厚労相による「子供を産む機械」発言で野党は辞任を求めて予算委員会を審議拒否していたが昨日復帰した。

いくら謝っても基本的な考え方はそう簡単には変わらないと思う。
国民は少子化対策の審議を優先させるべきだとの声が多いことは当然である。

1950年の蔵相発言は「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような経済の原則にそったほうへ持って行きたい」と発言し、
子供の頃に聞いたのは「貧乏人は麦を食え」だった。

憲法に基づいて罷免された閣僚は多くいる。
最高学府で学び国会議員となって大臣にまで上り詰めた人があまりにも情けない。

教えは受けたが育っていないと言えはしないか、
つまり、人格(人間性)に問題があるとしか言えないと思う。
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