知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

女工哀歌

行ってみたいという気持ちが日々高まる所が岐阜と長野の県境にある〈野麦峠〉だ。

かつて飛騨の糸引きたちが赤い腰巻きに草鞋で信濃の岡谷や松本方面に向かった明治から大正にかけての交通の要所だった野麦峠である。

峠一面をおおうクマザサは10年に一度くらい根本から稲穂のようなものが出て実を結ぶ、飛騨の人々はこの実を粉にして団子を作って飢えをしのいだ年もあったという。この実を飛騨では〈野麦〉と言ったようだ。

またの名を〈野産み峠〉ともいう。
若い女工たちのなかには身ごもって帰る子も少なくはなく、険しい峠道を登り切った頃にはふらふらとクマザサのなかにうずくまり非情にも産み落したという。そして赤い腰巻きに包まれて笹の根本に葬られた。いつしか地蔵様が建ち人は〈野産み峠と〉呼ぶようになったとある。


女工哀歌は数多く−

− 籠の鳥より監獄よりも 製糸づとめはなおつらい −

− 年期証文一枚銭で 封じこまれてままならぬ −

− 女工殺すにゃ刃物は要らぬ 糸目テトロ(検査)でせめ殺す −

− 袂に小石を拾いこみ 死ぬる覚悟ときめたれど
   死ねば会社の恥となり
     帰れば親娘の恥となる 思えば涙が先に立つ −

− 諏訪でお女郎は三十五銭 私娼ころべば十五銭 機械女工は芋一つ −

− 旦那さまには帯もろた おかみさんには暇もろた −



子供の頃に見た映画で記憶に残っているのは、岡谷の工場で働く〈みね〉二〇歳が病気になって兄〈辰次郎〉が迎えに来る。重傷の〈みね〉を用意してきた背板に乗せて帰るのであるが野麦街道を幾夜も歩き続けて野麦峠の頂上に辿り着くと〈みね〉は「ア−飛騨が見える、飛騨が見える」と言って息を引き取ったのである。
これは実話であって明治四十二年十一月二十日午後二時のことであった。


暖かくなって雪が解けた頃に行ってみよう。

あの頃は

私は三重県飯南郡飯高町に生まれた。
今は市町村合併で松阪市となっているが〈松阪市〉は似合わないと思っている。

四方を山に囲まれリヤカーが通れる程度の地道が国道に延びていた。
家の前には川幅3辰曚匹侶摸があって、夏には良く泳いだ。〈川魚〉や〈鰻〉もびっくりするほどよく捕れた。
〈カブト虫〉や〈クワガタ〉などはいくらでもいた。
川向かいの山裾を子供を連れたいのししが通ったこともあった。

秋に山に入れば〈くり〉〈柿〉〈あけび〉〈きのこ〉などが無尽蔵と思えるほどあった。

父は山で炭焼きをしていた。
一度、炭を出した後の釜のなかで家族で泊まったことがある。もちろん電気などはなかったが暖かかったのを記憶している。
父はうさぎや山鳥を捕ってきた。獣道に針金で罠を仕掛けて捕るのである。

国道に出れば何軒かの商店があり分校もあった。分校から見下ろすと悠々と流れる櫛田川が見え、寄り添うように地道の国道が走っていた。
信号などあろうはずはなく、鉄路もなかった。唯一、日に何度か来るバスがあった。
当時は車掌が乗っていた、すべて女性で黒い鞄を首から提げて料金を徴収していた。
観光バスではないから歌わないが足を踏ん張って次の停留所の案内をしていた。

年に何度か〈いなか饅頭〉を買って貰うのが唯一の楽しみだった。

近くに荒滝不動尊がある。ここでは1月だったか舞台を作って餅まきがあった、私はなぜか積極的ではなかった。最後に米俵が投げられ大人たちが奪い合う。記憶では広く見えた場所も大人になればこんなに狭かったかと思う。

この自然豊かな〈ふるさと〉を父の仕事の関係で小学2年生の1学期が終わって大阪に行くことになる。



− ふるさとは遠きにありて思ふもの
       そして悲しくうたふもの −  室生犀星


−作滝あたり−

〈写真は作滝あたり〉

道の駅に温泉も出来ている、明後日にも行ってみようか。





いいたかの湯地図 


雑煮

結婚してから毎年元日の雑煮は私が作ってきた。
当初は鰹節やワカメでダシをとっていたが近年は袋に入ったダシの素を使った。
今年は妻が作った。
鰹節でダシをとっているのを横目で見たが、料理は手を抜けば味で解る。手順を踏めばこんなに旨い物だと悟った。
年末は29日頃から〈おせち〉作りが始まっていたが最近は食べたいものだけ作るようにしている。元日からほとんどの店が開いているからだ。

毎年末、四国に嫁いだ妹から〈ブリ〉が送られてくる。
今年はちょっと小振りではではあったが、さばくのが私の仕事だ。
やはり大きい方がさばきにくい。包丁の入れ方がまずいのか背骨に身が付いてしまう。それでも〈あら煮〉にしたら身が付いている方が食べる時には実に旨く感じる。

昨年の今日は深夜に思いたって和歌山の橋杭岩を見に行った。
名阪国道から松阪に着いても夜は明けていない、松阪城跡の石垣を見て、国道42号線を海岸沿いを走る。
橋杭岩は自然がもたらす造形美だが寒くて長くはいられない。みるみるうちに駐車場は満車になっていく。
帰りは国道筋の温泉に入って那智勝浦から国道186号線に入り十津川温泉から谷瀬の吊り橋を横目に天辻峠あたりで休憩をと思ったが雪が降り出したのでやむなく帰路についた。

橋杭岩


橋杭岩:2006年1月2日 撮影





橋杭岩地図

夜明け前

2007年に向かって夜が明ける。

−馬力を出して−
世界の人口は昨年度で64億4030万人が地球上で生活をし、日本の人口は2004年で1億2768万7000人となっている。
この日本の人口のうち1番多い1947年生まれの人々が今年定年を迎える。

若いときから定年になれば海外でのんびりと農業をしたいと思っていた。
最近になって気がついたが体力のことを考えたことがなかった。

何年前だったか妻に言ったことは、
「定年の日に離婚の話をするなら少し前に言ってくれ、俺にも段取りがある」と、

もう少し、使命を果たすまで!

人生にも余白があると信じている。
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