知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

民主主義って何!

次のような記事が目に入った。

『米テキサス州で22日、男性死刑囚1人に対する執行が行われ、同州で死刑制度が復活した1976年以降、400人目の執行となった。
米国では現在、38州が死刑制度を導入しているが、執行数はテキサス州が突出して多く、同州独特の「カウボーイ気質」の影響が指摘されている。
400人目となったのは、コンビニ店員を射殺するなどして死刑判決を受けたジョニー・レイ・コナー死刑囚(32)。同州では今年21人目の執行で、今月中にさらに3人の執行が予定されている。
米国では72年に連邦最高裁が「死刑は違憲」との判断を示し、死刑制度が一度は消滅。しかし、凶悪事件の増加を背景に、最高裁は76年に死刑容認に転じた。』


私は基本的に死刑廃止論者ではあるが弁護のしようのない凶悪犯罪を見ると考えざるを得ない気持ちになる。

事実、凶悪犯罪者を出さなければ次の犯罪がなかった例がある。
裁判員制度の導入を機に終身刑を議論してはどうだろうか。

今の制度は加害者の人権が被害者の人権を上回っているように思う。
民主主義とは何かを問い直す良い機会ではないだろうか。

金魚

先日、台所で紙コップに入れた金魚をみつけた。
孫が夜店ですくってきたものらしい。
このままでは明日は全部死んでしまう。

私は虫かごに水を入れてベランダの隅に置いた。
明くる日には金魚の餌を買ってきたが小さい金魚には食べられない。
親指の爪で細かく砕いて与えている。

昨日、金魚2匹が死んだ。
残っているのは金魚2匹とデメキン2匹とメダカ1匹だ。

毎日水を替えている。
水槽と言えるぐらいの入れ物があるし川砂もある。
どこまで育つか解らないが出来ることはしてやろう。

秋の気配

3日ほど前から秋を感じた。
春夏秋冬どれも甲乙つけがたいが私は秋が好きだ。

秋・夏・春・冬の順だ。
秋の夜長という。

今も良い西風が部屋まで入ってくる。
昨夜は三日月だった。
今日は半月に近い月が南の空に浮かんでいる。

秋はベランダで何も考えなくても満足する。
つまり、秋にいるだけで満足するのである。

こんな刻は一人がなお良い。
男は黙って焼酎を飲んで煙草を吸うのである。

二月堂

日曜日に東大寺周辺と奈良公園を歩いてみた。
大仏殿には入っていないが二月堂あたりへ初めて行ってみた。
二月堂、三月堂、や正倉院辺りは、今の時期は訪問者は少ない。

二月堂には無料の休憩所がある。
あまりの暑さにゆっくりする気にはなれない。

わずかな時間だったが車に乗るとハンドルが熱くて握れない。
鹿も日陰でゆっくりと、


二月堂


琵琶湖疎水


琵琶湖疏水は明治に琵琶湖から京都に引かれた水路である。

土産物屋で「哲学の道に沿って流れる水は琵琶湖から来ているんですね」と聞くと首をひねった。

銀閣寺前から哲学の道をしばらく歩いてみた。
文化人がこよなく愛し瞑想にふけった散策路である、とのことだが夏は暑くて、秋か初冬が良いように思う。

哲学の道

盆踊り


盆踊り













子供の頃、父は江州音頭を取っていた。
私は音頭も取れなければ踊れない。

この地域、踊れる人は少ない。
音頭は生で取っているし、夜店もあるから人は集まっている。


照明を


ベランダに簀の子を置いてみた。
西日がまともに当たり暑いが人工芝などより熱を吸収する。

夜にお茶など飲めるように照明を考えよう。

ベランダ

大阪で800円!


椰子の実












15年前にフイリピン旅行中に、道路脇で売っていた椰子の実、
当時25円ぐらい、それが大阪に来ると800円で売っていた。

さほど美味しいものでなく、800円の価値はない。
マンゴやバナナのほうがはるかに旨い。

気温

埼玉県熊谷市で気温が40・9度を記録した。

日本最高気温の更新は1933年7月25日に山形市の40・8度以来の74年ぶりという。

世界最高は1921年にイラクのバスラで記録した58・8度で最低は1983年、南極大陸のボストーク基地で記録したマイナス89・2度らしい。

どちらも外には出られないのでは、

賞味期限偽装

2003年7月に北海道は札幌の奥座敷と云われる定山峡温泉で行われた会議に出席した。

その前に小樽運河を見学したが、この運河を残すために奮闘した人たちがいたことを後から知った。
この地で初めて蝦夷馬糞ウニを食べた。

帰りに空港で土産を探していて「白い恋人」を買った。
大阪に着くなり子供から北海道に行ってるなら「白い恋人」買ってきてと電話が入った。
初めて「白い恋人」が有名なのを知った。

この「白い恋人」を製造している石屋製菓から賞味期限偽装やアイスクリーム製品から大腸菌群が検出した。
非情に残念な気がする。
不二家や森永の件も醒めやらぬ刻に、

すべては責任者の意識で決まる。
消費者に対する責任は基よりそこで働く人々に対しても責任があることを忘れてはならない。

南十字星

オーストラリアのシドニーで南十字星を見た。

夕方から遊覧船で川下りをしながら食事をし、引き返すときに夕日が沈む美しさは他国での感情的なものもあるのだろうがこの世のものとは想えないほど見事であった。

日が暮れてからあれが南十字星だと通訳人が指さした。
間違いなく南十字星を見た。

北半球からは見ることができない。
なぜか、
もう二度と見ることは無いような気がする。

礼儀

子供達に将棋を教えている人がいる。
それもボランティアで、

礼儀を教えるという。
将棋を通じて基本的な人作りをしている。
参加者は多く、テレビの取材も済んだと聞いた。

3ヶ月ほど前までは簡単に勝てたが最近は簡単ではなくなってきた。
一つ失敗をすると負けてしまう。

勝たせてやろうなんて余裕はない。
よく一人でやっているのを見た。

ここしばらくは連勝している。
余裕で勝っているような顔をしているが負ければ威厳が無くなるような気がする。

「お願いします」「負けました」「ありがとうございました」
負けたのが解っても考えている、
「負けたときは男らしく負けましたと早く言え」

もう半年もしないうちに勝てなくなるような気がする。

また来る日の為に

清流のほとりにテントを張った。
幸いにして、木の陰になり一日中テントの辺りは日が差し込まなかった。

山から流れる水はかなり冷たい。
子供達は水とたわむれ、小魚を捕ったり、泳いだり、昼の定番は焼き肉とスイカ割りなど、
夕方は焼きそばの予定だったが空腹感がなく取りやめた。

キャンプ場の予約が取れずにこの地になったが周りは全て自然で工作物がなく涼しい一日となった。

二年前はこの下流でテントを張ってキャンプした。
近くの温泉に入ったあと、
なかなか眠れず用意してあった太い流木を朝まで燃やした。
今回は日帰り、

キャンプ











キャンプ 














捕った魚は子供達の手で自然に帰した。

ゴミは全て持ち帰る。
次に来る人が気持ちいいように、
また来年も気持ちよく来れるように。

お箸の国

我々日本人は箸を使って食事をする。
食文化の一つである。

一方、諸外国では料理を手で持って食べる食文化もある。
日本では、子供が手で食べると「はしたない」として注意するのであるが、
私はこの手法は賛成できる。
箸を或いはフォークやスプーンを使えば料理の触感が味わえないからである。
料理を、「見る」「触る」「食べる」を満喫できるのである。

もちろん、煮えたぎった鍋料理は手では食べられないが、
食事の際に触感が味わえるというのは良いように思えてならない。

我々が唯一、手で食べるのが、「お寿司」「おにぎりとたくわん」だろうか。
それでも、コンビニでは箸が付いてくる。

食すということでは、おやつなどは箸を使わない。
大人も酒を飲むときに食べる豆類やスルメなどはすべて手を使う。

ポールモーリア

若い頃はよくコンサートに行った。

ペレスプラード、ニニロッソ、ジルベールベコー、ポールモーリア、グレンミラーなど。

ペレスプラードはマンボNO5、ニニロッソはトランペットの音響が胸にしみ渡る。
なかでも、ポールモーリアの『恋はみずいろ』『雪が降る』が良く、来日を聞くと駆けつけた。

ペレスプラードも何回も行った。
クラシックバレーやモダンバレーも観に行った。

今はまったく縁が無くなっている。
年に一回でもいいから一流の音楽を!!

原爆が落とされた日

悪魔は突然アメリカからやってきた。
1945年8月6日午前8時15分には広島に8月9日午前11時02分には長崎に、爆撃機から原子爆弾が投下された。

唯一の被爆国である日本は広島、長崎で推定21万4000人が死亡した。

「しょうがない」ではなく、「世界の核廃絶」声を大にして訴えなければならないのは日本である。

長崎の原爆資料館と広島の平和記念資料館には何十年も前に行っている。
世界の平和を訴えるのは広島・長崎・沖縄から、そして日本から、




「屍の街」 原民喜

私はあのとき広島の川原で、いろんな怪物を視た。男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で横たわっている人間たち……。だが、そうした変装者のなかに、一人の女流作家がいて、あの地獄変を体験していたとは、まだあの時は知らなかった。
「なんてひどい顔ね。四谷怪談のお岩みたい。いつの間にこんなになったのかしら」と大田洋子氏は屍の街を離れ、田舎の仮りの宿に着いたとき鏡で自分の顔を見ながら驚いている。それから、無疵だったものがつぎつぎに死んでゆく、あの原子爆弾症の脅威を背後に感じながら「書いておくことの責任を果してから死にたい」と筆をとりだす。こうした必死の姿勢で書かれたのがこの「屍の街」である。銅色に焦げた皮膚に白い薬や、油や、それから焼栗をならべたような火ぶくれがつぶれて、癩病のような恰好になっていた。これは、この著者が目撃した、惨劇の一断片であるが、こうした無数の衝撃のために、心の傷あとはうずきつづけるのだ。著者は女性にむかってこう訴えている。
生きなくてはならない一人の女の右手が、永久にうしなわれて行くのでしたら、戦争そのものへの抗議と憎悪が日本中の女の胸に燃え立つはずです。

PLの花火


花火大会




 写真は昨年8
 月1日








8月1日は毎年PLの花火大会がある。
昨年は自転車でカメラを持って狭山池を一周した。
なんと人の多いことか、遊歩道は人で埋め尽くされ自転車を降りて歩いた。

何時だったか、尼崎あたりから観光バスで来ている人もいた。

今年は家で音だけを聞いた。

もっと緑を

道頓堀川の改修が始まっている。
遊歩道には木は使われているが緑がない。

将来は道頓堀川で泳げるようにするとのことだが、溜まっているヘドロを取ったとしても海も綺麗にしなくては、

コンクリートの塊が置いてあるように見えてならない。
もっと緑を増やしてベンチを置けば多くの人が利用するのではないだろうか。

緑化は必ず人を呼ぶ。

道頓堀川

草刈り

道路の脇にある土手はコンクリートで固めてあるのもあれば芝生を植えているのもある。
河川も最近はコンクリートが多いが雑草が生えているところもある。

コンクリートよりも草のほうが人にもやさしいし地球にもやさしい。
しかし、雑草は夏に伸びる。
この時期、草刈りをするが場所によっては交通渋滞する。

多少の渋滞は我慢の範囲内であると思える。
益々、環境の大切さが問われるだろう。

清流の木陰で



清流












暑い、

清流の木陰でハンモックを吊して昼寝がしたい。
水の流れる音は実に涼しい。

とは思うがこの暑さで行くのには思案する。
そう短距離ではない。

盆休みに入ったら行ってみよう。

蝉の声

「静けさや岩にしみいる蝉の声」  松尾芭蕉


「やかましや夢もこわれる蝉の声」 弦徳

朝からやかましく蝉の声で目が覚めた。
東西南北どこでも鳴いている。

蝉の寿命は7日と聞いているが、
クマゼミの雌は一ヶ月以上生きるという。
そして6年も土の中にいるという。

もう少し静かに鳴けないものか。

労働力

外国に友人や知人がいると心強い。

1995年12月23日から1996年1月5日まで妻と共にフィリピンでホームステーした。
私は二度目のフィリピンだった。

最初は帰国して半年ぐらいはほとんどお金を使わなかった。
いや、使えなかった。


フィリピン1











フィリピン2











フィリピン3













貧富の差は大きいが子供達の表情は明るい。

世界には学校にも行くことが出来ずに働いている子供達がたくさんいる。
そしてまた、世界では今も連れ去られた子供が労働を強いられている。

伊勢湾台風

台風5号が、また九州を直撃した。

各地で1時間に80ミリの激しい雨が降り、大分県内の主要な河川が氾濫危険水位に達した。
大分市では七瀬川流域の住民およそ5000人に避難勧告を出すなど、避難勧告の対象は市内全域で1万数千人に上っている。
中津市では山国川の一部が氾濫した。

小学生の頃の伊勢湾台風を覚えている。
たしか5年生の時、父の勤め先の家に避難した。
門から見ていると「しころ」の屋根が一瞬浮かび上がった。

自然が猛威を振るうと風と水は人の手ではどうすることもできない。
たしか伊勢湾台風も神戸の地震ほどの多くの被害者がでている。

いさぎよさ

総理が農林水産大臣を更迭した。
政治団体の会計処理の問題などが理由となっている。

この内閣では、昨年12月に行政改革相が不適切な会計処理の問題で辞任し、今年5月には農相が自殺、されに7月には防衛相が辞任して4人目となる。

首相は内閣改造、自民党役員人事で人心一新を図るとしている、
当然のことだが任命責任は問われることになる。

「いさぎよさ」にかけるように思えてならない。


21世紀になっても!

アフリカ北西部の国には奴隷の習慣が今なお残っているという。
法律は1981年に奴隷制度を廃止し、人身売買を禁止する法律は2003年にできている。

政府は奴隷制は存在しないとしているが、実際は複雑に浸透しているという。
奴隷状態にある人は10万人以上との見方もあり、多くは代々の主人に引き継がれた

主人に性的関係を強要され生まれた子は奴隷とみなされる。

脱走すれば見せしめとして殺される、実際、井戸に生き埋めにされた例もあるという。

奴隷制に抵抗する人は少数、恐怖や家族のしがらみに縛られる人が多い、また自由になっても名前や出身地から奴隷とわかり差別を受けやすいという。

当然のことながら、労働を強要され賃金はなく学問も身につけるすべはない。
21世紀になっているというのに、

国連は1990年を国際識字年と名打った。
これらも手を打つべきではないか!
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