知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

ハイ、チップ

古い話だが初めての海外だった。

ひとりだった。
入管審査が終わり出て行くと空港職員らしき人がパスポートを求め
「どこ行きますか」 
日本語だった。

表に友人が待ってると言った。
「放送してあげます」と、 
止めるひまもなかった。

私を迎えに来ているのはMさんという女性、顔も年も知らない。
「はい 3000円」 男は表までカバンを運んだ。
ずいぶん長い時間さがしたがMさんは見あたらない。

男は「タクシー」と言った。
「はい タクシー2000円 チップ2000円」

ホテルまで距離があるから2000円は安いと思うがチップは腑におちない。
まいいか 「壕には入れば壕に従え」だ。

咲いていた

今朝、白木蓮が咲いているのを観た。

ハクモクレン

毎年通勤途中で観るが今年は暖冬で早く咲いたようだ。
中国が原産で漢名を玉蘭と云う。

写真は2005年4月6日に撮影したもの

支払われた賃金

日本で働く外国人労働者から給料を支払って貰えないと相談が飛び込んできた。

彼はフィリッピンから来て中堅建設会社の曾孫受けで働いていたが3ヶ月に渡って86万円の未払い賃金があり、刻銘に記帳していた。

私は社長に会うため午後11時まで待った。そして3回に分けて支払うよう文章をこしらえて署名捺印させた。
しかし、約束の日が来ても振り込みはなかった。
再度行くと社長は怖かったので書いたと言うではないか、私は再度約束させた。しかし、その約束もまたもや破られた。
3度目は奥さんに合わせと迫ったが彼は必ず支払うと言うのでとりあえず帰ることにした。
そして、送られてきた金額は2万円であった。

私は元請けに行き事情を話し、建設業法に違反していることを指摘した。
話は早かった。
下請けの社長も来ていた。元請けは各部長が3人も来た。下請けの社長は84万円を支払った。
恰幅のいい社長だったが不服そうな顔をしていた。
当然ではあるが孫請けには契約どうりの支払いをしている。
その上に曾孫受けが支払わなかった賃金を支払うのだから、
それでも元請けの手前支払わないわけにはいかない。

彼はすでにオーバーステーだった。賃金が支払われなかっても訴えるところがなかった。

分水嶺

分水嶺とは雨水が異なる方向に流れることをいう。
山岳地帯では山稜が境界になるので分水嶺と名付けられた。
水系の境界である。
自然の場合、地震、強い風等によって水系が変わる場合がある。

人生にも分水嶺がある。
この場合、転向という言葉が適当なのだろうか。

長年信じていたことに疑念、疑惑、疑問を感じるところから始まる。
正邪を判断する場合、物差しが必要になる。
物差しが正確でない場合は結果を誤ることになる。

ことが生活に直結している場合はなおさらである。
早い機会に大悟すことが肝要だ。

言葉

良い言葉を聞いた。

自分の心に畑を作れ

しっかり耕して、種をまく。
水をやり、肥料を伏してりっぱに育てる。

実ったものは皆にわけてやる。
分けると言うことは人のやくに立つと云うこと。

保育園児

保育園児

保育園の参観に行って感じた。
家では気ままに過ごしている子供も団体では従順になる。








それでも小さい子供は大変だ。
微熱を出して寝ている子供もいる。
なかなか食事が終わらない子や自由気ままな行動をする子供もいる。

よほど子供が好きでないとこの仕事はできない。

劣化ウラン弾

恐るべき放射性廃棄物劣化ウラン、
アメリカには大量に貯蔵されている。
これらの廃棄には莫大な費用が要る。

91年の湾岸戦争に劣化ウラン弾が大量に使用された。
結果、イラクでは被爆した人たちにようって枯れ葉剤同様奇形児が誕生している。

アメリカ帰還兵も同じだ。
イラクに入った22万人のうち69%に被害が出ているという。
アメリカ政府はこれら因果関係を認めていない。

その後、95年のボスニア、99年のコソボ、そしてアフガン、イラクと劣化ウラン弾は使われた。
今回のイラクでは湾岸当時の5倍の量が使われたという。

五右衛門風呂

小学校に入った頃の私の仕事は、やぎの餌を取りに行くことと乳絞りであった。

もう一つは、家の前の川から風呂に水をくむこと、
前の川と言っても川までは急な坂道となっていてバケツでの作業だ。
もちろん燃料は山からとってきた枯れ木である。

あの頃のことを思えば今の風呂は、
蛇口をひねれば水が出る。ボタンひとつでお湯がわく。
火吹き棒なんて最近は見ることもない、なつかしいもの。

風呂に入るときは「げす」なるものを底にはめる。木の板である。子供の力では浮力があってはめられない。
みんな懐かしい思い出。

最近は携帯電話で、
保育園の子供の様子を見たり、ペットの様子を見たり、
また、風呂を沸かすこともできると聞いた。

前事不忘 後事之師

『前事忘れざるは後事の師』  −前事不忘、後事之師−

前事とは過去のこと、昔のこと。
中国の南京大屠殺記念館には大きく書かれている。

過去のあやまちを教訓としなければ、同じあやまちを二度も三度も起こしかねない。
あやまちをあやまちと認めなければ、個人であれ組織であれ、躍進はありえない。

この記念館で生存者二人から当時の体験談を聞いた。
今は年配者だが、二人はまだ子供の頃のはなし。
聞くに堪えない話で36名の団員の顔は真剣そのものだった。

魯迅に想う

訪中に際して、魯迅について調べたが現地ではついに話す機会がなかった。

本名:周樹人 1881年江南の紹興で生まれる。
1902年官費留学生として来日、仙台の医学校に入学する。
が、見た映画で、日本兵に処刑される中国人、それを見た中国人が何の表情もないことに衝撃を受け、祖国を救うのは医学ではなく、改造すべきは中国人の精神ではないかと。

そして東京に戻り文学を志す。留学生活を終えて帰国した魯迅は、故郷で教鞭を執っている時に、辛亥革命が起き清朝が倒れる。魯迅も革命運動に新しい時代を築くために努力する。
日本が内政干渉したことへの政府の対応に抗議した市民や学生に軍が発砲し47名の死者がでた。1926年の3.18事件だ。

魯迅

「もし、かくのごとき青年を殺し尽くしたとするも、屠殺者もまた断じて勝利者とはなり得ぬことを知らねばならぬ。中国は、愛国者の滅亡とともに滅亡するであろう」(魯迅評論集)
政府は体制を揺るがす危険分子として指名手配した。
魯迅には敵が多かった。
本当の敵は人を抑圧するものであり、誰でも持っている愚かさだった。
愚かさを自覚していない者、自覚していても改めない者は敵になった。



それが革命であれ、何であれ、自分と同士は守らなければならない。
こころざし半ばで倒されてはならない。時には敵に協力することも必要だが戦略的でなければならない。

いずれにしても、悪が栄えた歴史はない。
人生は短い、民衆から慕われる闘いは英知と行動力が要求される。

首飾り

フィリピンで自分より少し若い男性から着けていた首飾りを貰ったことがある。
ルソン島中部地域だった。
大事にしていたと思う、伝統あるものと言っていた。

私も若い韓国人男性に着けていた総絞りのネクタイをあげたことがある。

プレゼントはいろいろあるが身につけているものを貰えば忘れない。

子育て

子供

子供を育てる母親は様々、良いお母さんもいれば悪いお母さんもいる。

自分が産み育てた我が子を殺すようなニュースがあった。
模範になるようなお母さんは特には紹介されない。



四六時中、怒っていても、昼食を作ってくれなくても幼い子供は何とも思っていないようだ。
いくら怒られてもお母さんには飼い犬のように服従する。
子供は母親の傍がよいのである。

子供の教育は難しい。
叱り方、褒め方はタイミングを間違ってはならない。

親はなくても子は育つとは言うが、
できることなら、よい子に育てたいのは誰しも同じ。

やはり、「親の心 子知らず」は科学がいくら発達しても同じか。

むやみに物を与えるのは考え物だ。
我慢することも教えなければいけない。

ただ、言いたいことは充分に聞いてやらなければいけない。

叱られる

最近の建設現場は地域住民との約束事が多い。
作業時間や騒音、資材納入の時間帯や車両時速など、当然にガードマンの需要も多くなる。

高齢者が多い中で若い女性ガードマンがいる。
ある建設現場で13時を廻って走ってきて、
昼礼に間に合わない、「怒られる」と言っていた。
「出ても意味がない」とも言っていた。
遠くへ昼食に行ったのだろうか、私に食事は何処でするのかと聞いていた。


若い女性のドライバーも鉄筋工もいた、最近はいろいろな業種に女性が活躍している。

氷まつり

瀋陽から長春に、長春からハルピンまで電車に乗ったが、
とにかく遅い感じがする。
食堂車で食事をしていればこの速度でいいんだと思う。

が、時間がゆっくりと流れているような気持ちにもなってくる。


中国のハルピンは、9月初旬でも長袖のシャツを着ていても朝は肌寒い。
ホテルは二重窓になっており、冬の寒さはある程度想像できる。
6時に起きて散歩してみた。

ハルビン市では、毎年恒例の氷祭りが開催され夜空を彩る花火と幻想的な氷の世界となる。
1985年から始まった。

東京ドームおよそ6個分28万平方辰良瀉呂砲蓮氷の滑り台や実物大の建物が作られていて訪れた人たちは実際に氷に触れることができる。
会場には氷でできた万里の長城やロシアの赤の広場の彫刻も展示されたことがある。

これらの氷は松花江から切り出すとの説明を受けた。
あの松花江が凍るとはとても信じられないような川幅だ。

真冬に行ってみたいような気もするが、あまりにも寒いからいいかとも思う。

正義の人は

世の中には矛盾というものがある。
どの分野にもどの地域にもどの団体にもある。
多かれ少なかれある。

また、正と邪がある.
邪に立ち向かう者は臆病であってはならない。
なぜなら邪の方が恐れているからである。

勇敢に闘わなければならない、英知を出し合って。

ほとんどの場合、表にでるのは内部告発である。

覚悟の人

長い人生のうちには何度かは決断の時がある。
自分の人生が変わる時の決断もある。

すべて自己責任で決断しなければならない。
中途半端な決断なら最初から違う方法をとるべきである。

一端決断したことはどんなことがあっても覚悟の人でなければいけない。
手段はいろいろあるが目的は1つだ。
目的のための覚悟ができていなければ失敗する確率が高い。

失敗の許されない決断であれば、絶対に覚悟の人でなければ成功しない。

左伝

『安きに居りて危うきを思う』  −居安思危−

春秋左氏伝(左伝)は春秋時代の歴史書であり、そのなかに、
『安きに居りて危うきを思う。思えば則ち備えあり、備えあれば患いなし』とある。

安泰な時こそ、気持ちを引き締めて将来の為に備えなければならない。

大阪駅 10番ホーム

大阪駅10番ホームにトワイライトエキスプレスが停まっていた。
札幌行きの豪華寝台特急だ。


トワイライトエキスプレス


大阪駅を正午に出発して日本海を北上、翌朝9時7分に札幌に着く寝台列車。




来年の2月にはこの列車に乗って北海道に行こう。

城づくり

加藤清正は城作りの名人と昔に聞いたことがある。
何が違うのかといえば、基礎である。

熊本城の基礎は他城に比べて強固に出来ている。したがって、石垣も簡単には崩れないと云われている。

基礎が大事なのは建物だけではなく、土木工事ももちろんである。

重量物を吊り上げるデッカー車は足を出して車体を支えるが地面が柔らかければ車は倒れてしまう。
過古来、何度も事故が起きている。

人も同じである。
基礎がしっかりしている人は逆境に強い。

ジュゴンの住む南の海

沖縄には7回行ったことがある。
5回は米軍基地問題や第二次大戦中の沖縄戦の学習が中心だった。

辺野古沖に予定されているヘリポート基地建設に関して辺野古には3回行った。
沖縄にはジュゴンが生息する海がいくつかあるが辺野古沖もその一つだ。

太平洋南西部には約50頭ぐらいのジュゴンがいるが激減しているという。全体で10万頭と言われているがオーストラリアに8割が生息している。国の天然記念物に指定されている。
主食はアマモなどの海草で、愛くるしい顔と温和しいことが特徴だ。

リゾート地建設の波が海を汚染しアマモが育たなくなったことも原因の一つと言われている。南の暖かい海に住むジュゴンは好奇心旺盛だが音にはきわめて敏感と言われている。

日本は米軍再編に要する莫大な費用を負担することになっている。
先の六カ国協議をみても日本はこのままでは孤立していくように思えてならない。

本土から沖縄に移住する人が増えている。
環境の良いところには人が集まる。

緊急援助

外務省国際協力局からメールマガジンが送られてくる。
今回は特別号として、「洪水被害に対する緊急援助について 」を読んでみた。

1、我が国政府は、インドネシア・ジャカルタ特別州及びその周辺地域において大規模な洪水が発生したことを受け、インドネシア政府に対し、約1、500万円相当の緊急援助物資(毛布、スリーピングマット、プラスチックシート、ポリタンク)を供与することを決定した。
2、今回の災害は、2月1日にジャカルタ特別州及びその周辺地域にて、豪雨による洪水が発生し、多くの住民が被災したものである。5日夜までに判明している被害状況は、死者18人、行方不明者2人、被災者約34万人に上っている模様である。
3、一連の災害により、多くの被災者が現在不自由な避難生活を強いられている状況にあり、インドネシア政府は、被災者の支援に全力を挙げているが、そのような中で、今般、我が国政府に対して支援を要請してきたものである。
4、我が国としては、今回の災害による被災者に対し、人道的観点及び我が国とインドネシア両国の友好関係に鑑み、同国に対し緊急援助を行うこととした。

インドネシアは教育里子が住んでいる国で訪問したことがある。
特に、ジャワ島の人々は温厚で優しい人がほとんど、機会があればまた行ってみたい国の一つでもある。

4万年とは

3年前に、スペインで起きた「マドリード列車同時爆破テロ事件」の初公判が特別法廷で始まった。

殺人罪などで起訴された29人の被告に対し、検察は主犯格7名に禁固40000年を求刑するという。

内訳は死者1名につき禁固30年、負傷者1人につき禁固18年を累計して禁固約4万年を求刑する方針という。

この事件では191名の死者がでた。

法律は禁固刑の上限は40年となっているそうだが裁判所はどのような判決をくだすのだろうか。

佐和山城跡

一度登ってみたいと思っていた佐和山城跡、2月だったか雨で霧が出てどこか解らなかった。しかたなく、彦根城に行ったがこの時期は殺風景このうえない。
新緑あざやかな5月にでなおした。

佐和山城跡





佐和山城跡 本丸跡
〈2005年5月2日撮影〉








佐和山城は鎌倉時代に佐保氏が築城した。
ふるくは佐保山と呼ばれていた。
石田三成の城で有名だが関ヶ原の後、井伊氏によって破城され石材は彦根城築城に使われた。
本丸跡からは眼下に彦根城が見え、遠くは琵琶湖に浮かぶ竹生島が見渡せる。

佐和山城跡地図



おまわりさん

東武東上線のときわ台駅で線路に入った女性を助けようとして電車にはねられた常盤台交番の宮本巡査部長が12日亡くなった。

宮本さんが勤務していた常盤台交番や板橋署には事故があった6日以降、回復を祈る手紙や電話が数多く寄せられ、花束や千羽鶴も100を超えたという。

交番前で女性が鶴を折り始めると道行く人も鶴を折る人が増えていったと報道があった。

宮本さんの死から一夜明けた昨日から記帳台には地域の人々が次々と訪れている。

宮本さんを知る地域の人々は、涙を流す人々が多い。

母子家庭の母親は、息子が宮本さんに補導された経験がある。宮本さんは悩んでいた息子に「自分の好きなことをしっかりやりなさい」と励ましてくれたと聞いた。
母子家庭なのでありがたかった。と話したなど多くの地域住民から慕われていた。

どんな人にも平等に接し、補導した子供を父親のように諭してくれた、と多くの住民が宮本さんを偲んだという。

犯罪を犯す警察官もいるが、多くの警察官は正義の人、宮本さんのような警察官もいることを忘れてはならない。

子供の頃、お巡りさんに憧れた。真っ白なシャツに紺の制服が男らしさを感じた。
危険が付きまとう、たいへんな仕事である。

はじしらず

北陸は加賀温泉郷の山中温泉に「お花見 久兵衛」という宿がある。
行き届いた接客と、隅々までの気配りは満足できるよい宿であった。

が、恥知らずというのか、非常識な客というのか、温泉に入ると煙草の吸い殻が捨てられていた。
フィルターの白い部分と煙草の葉がふやけて散らばっている。

日本社会には、もっともっと人に迷惑をかける恥知らずが多く居るが、捨てた客は自宅では決してそのようなことはしないだろう。

年は大人であっても人間性は子供以下と言われても仕方ないだろう。
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