知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

宇治七名水

桐原水
お茶の町宇治にはいたる所に名水が湧き出していました。
その中でも特に有名だったのが「宇治七名水」と呼ばれた井戸でした。その多くは失われていますが宇治上神社に湧く桐原水からは今も清水が湧き出しています。

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与謝野晶子(宇治その4)

   【宿り木】
       あふけなく大御女をいにしへの
               人に似よとも思ひけるかな   与謝野晶子


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平等院鳳凰堂(世界遺産)

京都南郊の宇治の地は、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。
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鳳凰堂には52049枚の瓦が使用されており、建立当時は木製瓦を使った木瓦(こがわら)葺きだったが約半世紀後の康和3年(1101)の修理で粘土瓦を使った総瓦葺きに改修された。粘土瓦は平等院の荘園であった「玉櫛荘(たまくしのしょう)」(現在の大阪府八尾市)の向山瓦窯跡で1100年初頭に製造されたとされ、2012年9月に始まった改修作業でも平安期の陶器瓦がまだ1560枚そのまま屋根に残っていることが確認された。

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庭園 は 中島に鳳凰堂の建つ阿字池を中心とした浄土式庭園、(国指定の名勝)、平成2年からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、現在は創建当初の姿に復元整備されている。鳳凰堂への入堂も池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に復されている。

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与謝野晶子(宇治その3)

   【総角】
       こころをば火の思ひもて焼かましと
                  願ひき身をば煙にぞする   与謝野晶子


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小倉百人一首第六十九番

        あらし吹く み室の山のもみじ葉は
                   竜田の川の 錦なりけり   能因法師 

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−激しい風によって吹き散らされた三室の山のもみじ葉は、やがて竜田の川に散り、ほら、水面を錦織の布のように鮮やかに彩っているよ−

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与謝野晶子(宇治その2)

   【椎が木】
       朝の月涙の如し真白けれ
             御寺のかねの水わたる時     与謝野晶子

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与謝野晶子(宇治その1)

   【橋姫】
       しめやかに心の濡れぬ川ぎりの
            立舞ふ家はあわれなるかな       与謝野晶子

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さわらびの道(宇治)

さわらびの道

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         妹らがり今木の嶺に茂り立つ
                嬬松の木は古人見けむ

この歌は、菟道雅郎子(うじのわきいらつこ)の宮所で歌われたもので作者は不詳、
「妻の家へ今着たという名の今木の峰に枝葉を茂らせて立つ松、夫の訪れを待つように、今も立っている松の木を昔の人もきっと見たことであろう」という意味で宮所は宇治神社あたり、今木峰は朝日山の古名とされている。

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大吉山展望台

与謝野晶子の歌碑が見当たらない、仏徳山(通称大吉山)に歩いて行き下山してきた人に聞いたところ東屋の左にあると聞いた。随分登ったところに東屋があり歌碑もあったが作者不詳の歌碑だった。
眼下には宇治川を挟んで平等院が見える。

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   『そらみつ 倭(やまと)の國 あおによし 奈良山越えて 山代の 管木(つつき)の原 ちはやぶ
     る 宇治の渡瀧つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳に 闕(か)くる事無く 萬歳(よろづよ)
      に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣帛(ぬさ)取り向けて われは越え行く 
        相坂山を』

「この歌の作者は不詳で、「大和の国の奈良山を越え、山城の国の管木の原、宇治川の渡し場、滝つ屋の阿後尼の原と続く道を、いつまでも欠かさず、永久に通いたいと、山科の石田の神社の神に幣帛を手向けて祈り私は越えて行く相坂やまを」 という意味である。

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総角(源氏物語 宇治十帖(三)

紫式部が11世紀に書いたといわれる源氏物語は全体で54帖からなっていますが、45帖から55帖までは、宇治を主要な舞台にしていることから「宇治10帖」と呼ばれています。


総角(あげまき)
八宮の一周忌がめぐってきた。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
       総角に長き契りを結びこめ
             おなじ所によりもあはなむ

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大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意志が堅く、妹の中君をこそ薫君に委ねたいと望まれた。
薫君は中君と匂宮とが結ばれることによって、大君の心を得ようとされたが、意外な結果に事が運ばれてしまう。
匂宮は中君と結ばれたが気儘に行動され得ない御身分故、心ならずも宇治への訪れが遠のく。大君は「亡き人の御諌めはかかる事にこそ」と故宮をしのばれ、悲しみのあまり病の床につき、薫君の手あつい看護のもとに、冬、十一月に、薫君の胸に永遠の面影を残して帰らぬ人となった。

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宇治橋断碑

宇治橋の守り寺と呼ばれている橋寺は、推古12年(604)に聖徳太子の発願により秦河勝(はたのかわかつ)が建立したと伝えられる。宇治橋はしばしば流出し、弘安9年(1286)には西大寺の僧興正菩薩叡尊によって再興されますが、叡尊は宇治川の中州に十三重石塔を建立するとともに、橋寺で大放生会を営んだことから放生院とも呼ばれるようになりました。

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橋寺には宇治橋が初めて架けられたことを記念した石碑がありますが上の三分の一ほどが我が国の碑文の中でも最も古いもので、宇治橋断碑と言われています。

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宇治橋

千三百年以上も昔、大化二年(646)に初めて架けられたと伝えられる我が国最古級の橋です。その長い歴史のなかで、洪水や地震などの被害はもちろん戦乱に巻き込まれたことも数え切れなく、この橋はその都度架け直されてきました。
ここ宇治が、交通の重要な場所であり、また、宇治橋は、古今和歌集や源氏物語をはじめとする文学作品、絵画や工芸品といった美術作品に描かれるなど、古くから景勝の地・宇治の象徴として親しまれてきました。

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宇治橋は古くより旅人が行き交わったところ、橋の袂には古くから茶店ができ、旅人をもてなしました。
徳川将軍家のお茶壺道中の一行を茶師たちが迎え、送り出したのもこの場所です。橋上の「三の間」では、毎年10月に行われる宇治茶まつりの「名水汲み上げの儀」が行われます。

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宇治橋より上流を望む

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現在の宇治橋は、長さ135.4メートル幅25メートル、平成8年に架け替えられたもので、木製の高欄に擬宝珠があしらわれるなど、宇治の名所ともなっています。

小倉百人一首第七十三番

        高砂の をのへの桜 咲きにけり
              外山のかすみ 立たずもあらなむ   権中納言匡房

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−遠くの高い山の頂に山桜が美しく咲いたなぁ 近いところの山の霞よ、どうか立たないでおくれ あの美しい山桜が見えなくなってしまうから−

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小倉百人一首第六十八番

        心にも あらでうき世に ながらへば
                  恋しかるべき 夜半の月かな   三条院

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−自分の本心に反して、この思うままにならないつらい世の中に生き永らえていたならば、その時はきっと恋しく思い出すに違いない。今夜のこの美しい月のことを−

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小倉百人一首第六十三番

        今はただ 思い絶えなむ とばかりを 
                人づてならで 言ふよしもがな   左京大夫道雅

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−今となってはただもうあなたのことはきっぱり思い切ってしまおう、というその一言だけを、他人に頼んでではなくて、直接あなたに言う方法があってほしいものだなぁ−

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クレマティス(四)

サーロモン(クレマティス)

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ビッグアップル(ヤマボウシ ミズキ科)

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アークトセカ カレンディユラ(キク科)

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クレマティス(三)

ユートピア

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アップル レッド

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プリンスチャールズ
遅咲き大輪系のクレマチスで、1.5〜2.5メートル程ツルが伸び、花色は薄紫で白紫色の筋がはいります。花芯は黄色、非常に花付きの良い品種で横向きに咲きます。
花後にツルを半分ほど残して剪定するともう一度花を楽しむことができます。

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クレマティス(二)

エトワール ローズ

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ブラック プリンス

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アヴァンギャルド

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クレマティス

クレマティスは、キンポウゲ科クレマチス属の植物の総称で、多くはつる性の多年草です。テッセンという名で一般に知られていますが、テッセンは江戸時代に中国から渡来したクレマティス属の一つの原種です。
約250種が殆ど世界中に分布し、日本のカザグルマやハンショウズルもクレマティスの仲間です。「つる性植物の女王」として、古くから愛好家の多い植物です。

エトワール バイオレット

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エリオステモン

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白麗(HaKurei)

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バラ園(弐)

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ジョセフィン ブルース

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かれん

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スワニー

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バラ園

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ゴールデン ボーダー

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ナニワイバラ

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アベ マリア

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ラブ

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ゴールド リング

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食虫植物

ミッキーマウスノキ
2メートル程に育つ常僂猟稾擇如花が春から夏にかけて咲きます。最初は萼片が黄緑色ですが、徐々に赤く変化していきます。そして黒い石果と呼ばれる実を付けます。この実こそがこの木の最大の特徴です。ある方向から見るとミッキーマウスに似ていることからミッキーマウスノキと呼ばれるようになりました。
正式な名前は「オクナ・セルラタ」といいます。

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食虫植物 
虫を捕らえて自らの栄養としている植物で、世界中で約560種もあるといわれ、虫の捕らえ方は様々でウツボカズラの仲間は葉の先を袋に変え、虫をその中に誘い込み捕らえます。モウセンゴケの仲間は葉に取りもちのようなネバネバの液体を出し虫を逃がしません。また、ハエトリグサは虫がとまるとその葉を閉じて挟み込んで捕らえます。

ウツボカズラ
食虫植物として有名で細長い葉の先にフタがついた袋をつくります。この袋の口には虫を誘引する腺があり滑りやすく、訪れた虫は足を滑らし袋内に落ちます。袋の底には消化酵素やバクテリアが溶け込んだ水が溜まっていて、落ちた虫は溺死した後、消化され袋の内壁より吸収され養分になります。

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モウセンゴケの仲間(Drosera)
やせた湿地などに生育する食虫植物です。約90種が知られていますがその内半分以上はオーストラリアに分布しています。葉の表面に生えている無数の腺毛から粘液を分泌し、とりもちのように小さな昆虫を捕らえます。昆虫が粘液に捕まると、葉が徐々に巻いていき、獲物を包み込みます。昆虫は消化液によって消化され、モウセンゴケの栄養として吸収されます。
名前にコケとありますが、コケの仲間ではありません。腺毛が鮮やかに赤色をしており、群生している様子が毛氈の見えることから毛氈苔の名がつきました。

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パンノキ

ヒメフウロ(フウロソウ科)

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パンノキ
ポリネシア原産の熱帯植物で、日本には昭和初期頃に渡来して以降、観葉植物として観賞用に利用されています。
直径20〜30僂砲發覆覯娘造禄呂垢伐色くなり、太平洋の島々では食用とされています。果肉を蒸したり、焼いたり煮たりと火を通して食べることから、果物というよりは主食の一つとして食べられています。
「パンノキ」の名前もこのことに由来しています。味はパンと言うよりもサツマイモに似ているそうです。

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小説「ロビンソン・クルーソー」にも登場するパンノキですが、一つの果実で成人男性の一日分のカロリーと栄養を賄えます。
成木になると、一本の木に多いもので300もの実を付けるそうです。

マドンナリリー

ヒメイヨカズラ(絶滅危惧毅体燹

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マドンナリリー(ユリ科) 原産地 ヨーロッパ
キリスト教では、白いマドンナユリは純潔の象徴、19世紀に育てやすい日本のテッポウユリがヨーロッパに伝わり、マドンナユリはほとんど栽培されなくなりました。現在では世界的にも希少なユリとなりました。

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楽寿館

6万屬砲よぶ楽寿園は、小浜池を中心とする富士山の基底溶岩流の末端にあるという溶岩地形と、その溶岩中から数ヵ所にわたって地下水が湧出している現象が天然記念物として指定されている。
また、それとあわせて特殊な地形・地質に人工を加えて生み出された固有の美観が、名勝として指定されている。
しかし、昭和30年代から環境変化の激しい国土の中で湧水現象が変化しつつあり検討中である。

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明治23年に小松宮彰仁王の別邸がここに築かれ、その後、明治44年李王世殿下の別邸、昭和に入って個人の所有となったが昭和27年三島市立公園「楽寿園」として公開された。
この建物の建築様式は、全体的に京風の数寄屋造りで、今では数少ない明治時代中期の貴重な建築物である。建築用材も吟味されており、現在では入手困難なものも少なくない。特筆すべきは、応接用の部屋であった「楽寿の間」の装飾絵画である。幕末から明治にかけての一流の日本画家の競作が一堂に集められており、県指定文化財となっている。

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小浜池
昭和37年以前は常に満水の状態でしたが、渇水した状況が1年のうち大半を占めるようになっています。
昭和30年代中頃からの高度経済成長により周辺環境が変わり(人口増加・工場の増加・道路の舗装・河川工事・田圃の減少・山林伐採等)様々な原因が重なり小浜池は現在の姿となっています。
例年、梅雨時から11月頃まで水が湧くことがあり、富士山の積雪や台風・梅雨時に雨が多いと湧水することがあります。
7〜8年に一度満水になると言われています。150僂魃曚┐襪繁水と案内し、水底の溶岩が綺麗に見ることができます。

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