知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2007年01月

教育とは

テレビの国会中継を見ていて気付いた。
教育とは教え育てると書く。

単に教えるだけでは教育とは言わない、育てて初めて教育と言うのである。
この間、凶悪な少年事件が多発した。

一つは、少年グループによるドラム缶コンクリート詰め殺人事件である。




それは1988年11月25日の午後6時頃から始まった。

18歳と16歳の少年2人はひったくりを目的としてバイクで出かけた。
8時頃に、アルバイト先から帰宅途中の埼玉県立高校で学ぶ女子生徒(
17歳)を見かけ、「あの女を蹴れ」と命令し、後から近づいて親切を装い送ってあげると助ける振りをして「俺はヤクザの幹部だ」と脅しホテルに連れ込み強姦した。

10時頃、家に帰っていた16歳の友人を含む3人を呼び出して16歳の少年の家の2階に少女を42日間にわたって監禁することになる。

28日には、別の17歳と16歳の少年に「いいモノを見せてやる」と言って呼び出して家人が寝静まってから輪姦したのであった。

少年達は昼夜の別なく少女の体を弄び、また、あまりの暴行によって気を失うと水に頭を漬けて、また犯した。

少女は隙をみて110番したが気づかれてしまい、この事をきっかけに殴る蹴るの暴力、さらにはライターの火を押しつけたり、シンナーを吸わせたり焼酎を飲ませたりして面白がっていた。

12月も10日頃になると、少女は「家に帰りたい」と言い出すと暴行を加え、さらに火傷のあとにライターのオイルをかけて火をつけた。熱がるのが面白いと何度も繰り返したという。

12月も中旬になると、少女が小便で布団を汚した事を理由に暴力が加えられ、顔は無惨にも腫れ上がり別人の顔となっていく。
食べ物も12月の末頃には牛乳1本、或いはパン1枚与える程度となっていく。紙コップに排尿させ、それを飲ませたりした。

少女は「何でもするから家に帰して」と懇願するが、少年達は裸で踊らしたり、自慰を強要して面白がった。

少女は衰弱し足の火傷が化膿して動けなくなった。
少年達はしだいに少女を持てあますようになっていった。

1月4日、主犯格の少年は3人を誘って2階に行き、集団で少女を次々に殴り顔は血だらけの状態となった。
さらに、ろうそくを顔に垂らし手に血が付くからとビニール袋を手にまき体に暴行を加えた。

少女の身体は硬直し痙攣しはじめた。
主犯格の少年は1.7舛療緩世鮖ち出すと少女の腹に落とした。他の3人は面白半分に暴力をエスカレートさせていった。

翌日、監禁から42日目に少女は息を引き取った。
少年達は死体を毛布に包み旅行鞄に入れて車で運んで盗んできたドラム缶に鞄ごと放り込みコンクリートを流し込んだ。

この少年達は主犯格が懲役20年、3名は5年〜10年、9年、7年の不定期刑で残り3名は少年院に収容された。

常識では考えられない陵辱のかぎりを尽くした凶悪犯罪で動機にはまったく酌量の余地はない。

不定期刑の一人は出所後、逮捕監禁致傷で逮捕され懲役4年の刑が確定した。

少なくとも16歳の少年の親が少年らを恐れずに警察に届けていれば少女は「なぶり殺し」に会わなくて済んだことは間違いない。



教え育てることの重要性が問われ社会問題として考えさせられる。


青テント生活

大阪城公園でテント生活をしている人にある大学の助教授と訪ねたことがある。
テントの中は綺麗に整理されていて、我々を歓迎してくれた。

今年夏には世界陸上大阪大会が長居陸上競技場で行われる。
大阪市は長居公園で暮らす人たちに散策路整備の傷害になるとして昨年から撤去を要請してきた。
29日を期限とした強制撤去を文章通告した。
2月初めには行政代執行法に基づいて強制撤去を行う方針だ。

力で追い出すのは簡単だが、それでは一時しのぎで問題解決にはならない。
力ではなく話し合いで自立に対する支援をどのようにしたらよいのか方向性を出すべきだ。


テント生活者は年齢の分だけ人生の年輪がある。
人の数だけ歴史がある。

大阪城公園でテント生活をして居た知人の一人は、元有名ホテルの料理長をしていた。
東京の池袋の割烹で腕を振るったこともある。上品な店で女性は着物姿で料理を出してくれる。もう少し品数を増やしたいと抱負を語っていた。
一度だけだが食べに行ったことがあるが腕は一流だ。

今は難波近くの料理店で腕を振るっている。

不浄の手

インドネシアはジョグジャカルタ近郊の個人の家に立ち寄った。
付近は農家、稲が青々と成長の過程だったと記憶している。

飲み物と茶菓子で歓迎してくれた。
わたしはトイレの場所を聞き外に出た。
戸は椰子の葉を編んで作られてあり、中の広さは1.5畳ぐらいだろうか、左に水を入れた水槽がセメントで作られているだけで他には何もない。
よく見ると右下の壁に直径6僂阿蕕い侶蠅あけられている。
わたしは一旦外に出て穴の反対側を見た、それは田圃に続いている。

フィリピンではバスタブがなくシャワーだけしかなかったのを思いだし、てっきり風呂だと思いこみもう一度聞き直した。
指を指して教えてくれた。
幸いにも小便だったので問題なくおわった。水槽から水を汲んで流しておいた。

同行者に以前インドネシアで仕事をしていた人がいる。わたしはトイレになぜ紙が置いてないのか尋ねた。
「インドネシアではトイレのあとは水槽から水を汲んで左手で洗うのが習慣となっている」とのこと。
「食事のときは左手は不浄の手とされ、膝の上に置く」と教えてくれた。

学校も尋ねたが、水槽が大きく風呂屋のようなトイレだった、なみなみと水が入れられていた。
泊まったホテルは洋式トイレで紙が備え付けられている。シャワーもバスタブがある。

よく考えてみると紙で拭くよりは水で洗う方が清潔なこと間違いない。
どこのトイレのも石けんが置かれていた。

文化である。

学校で花を貰ったときに、うかつにも左手で受け取った。
同行者から注意を促された。

左手は不浄の手とされているのだ。

夫婦別姓

選択的夫婦別姓制度について内閣府が行った世論調査は、
夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきで法改正は必要ないとする人は35%で2001年の調査より5.1ポイント増えた。

結婚前の姓を名乗ることが出来るように法改正してもかまわないとする人は36.6%で5.5ポイント減少した。

前回調査では20代30代は男女ともに5割を超えていたが今回調査は4割台に減少している。

夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきだが結婚前の姓を通称として使えるように法改正することはかまわないと考える人は25.1%で2,1ポイント増えている。

全体として夫婦別姓に理解を示す人は全体の半数を超えている。

容認派に実際に別姓を希望するかの質問に希望すると答えた人は20.9%にとどまっている。
また、夫婦の姓が違うと子供に好ましくない影響があると考える人も全体の66.2%ある。

法務省は「夫婦別姓を導入する民法改正案をただちに国会に提出する状況にはない」とした。

私は本人が自由に選択できる方が良いと思っている。
妻が別姓を希望するなら決して反対はしないし、
この種のことを民法で縛るのはおかしいと思っている。
かといって、積極的に夫婦別姓を人に働きかけはしたくない。

この子誰の子

民法第772条2項は、婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。と定めている。

つまり、女性が離婚後300日以内に出産した場合、生まれた子供は戸籍上、離婚前の夫の子供になる。

この規定があることから出産した子供が現在の夫との間の子供として認められなかった。

離婚後に妊娠した人や早産のため離婚後300日以内に出産を余儀なくされた女性達が現在の夫との子供であることが明らかであるにもかかわらず出生届が受理されなかったケースが増えているという。

この規定は古く、現在は医学は当時と比べれば驚くほど水準が高い、DNA鑑定でもすぐに解る。

法相は「安定的な法秩序を維持する意味で考えなければならない」として見直しが必要かどうか検討する考えを示した。


時代に合わなくなった法律はいち早く改正すべきである。


私に呉れたもの

あなたが私に呉れたもの
小さなメモ帳に丁寧に書いてそっと差しだした




     好きというのは
     耳にすること


     愛というのは
     目にすること


     だから
     好きな人と別れると
     耳を塞げば
     何も聞こえない


     でも
     愛する人と別れると
     目を閉じても
     あつい涙が出てくるもの

払わない保護者

学校給食法は、「学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする」と定めている。

同法6条2項には、「前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童又は生徒の学校教育法第22条第1項に規定する保護者の負担とする」とも定めている。

また、生活保護世帯や低所得者層には国や自治体が生活保護費や就学援助費に含めることで給食費を援助する制度がある。
制度を知らない保護者もいることから広く周知する努力が必要だ。

ブランド物を身につけた保護者が給食費を払わない、高級外車を乗り回している保護者が給食費を払わない。
催促すると逆ギレする。

子供には何の責任もない、年間22億円を超える未納がある。
そして子供は親の背中をみて育つ。

責任感や規範意識の低い保護者は、支払い督促の申し立ても有効だが、広く氏名を公表して社会の一員である意識を自覚させる必要があるのではないだろうか。



払いすぎた授業料

麻雀は中国に始まり日本には明治になってから入ってきたようだ。
日本麻雀が流行し始めたのは昭和に入ってからという。

数十年前に2〜3年ほど、熱中した時期がある。
見えない牌を見抜く能力が要求される。

将棋も囲碁も初心者にはハンディを付けてくれるが麻雀は一切無い。

安いレートでも負ければ大きい。
正月に3日間も徹夜で、外に出れば眩しくて暫く目を開けることができなかった。

誰からとなく言い出さなくなり、自然と止めてしまった。
熱中した趣味は幾つかあるがこれほど高くついた授業料はない。

たしなむ程度に飲みました

古い話ではありますが、
たしなむ程度に飲みました。

深夜に坂の上でポールを立てて飲酒検問をしていました。
順番にポールの中に入って行きます。
前の車で一杯になり旗を振って行けと合図をしています。

良かった、
これって運が良いと云うのだろうか。

初めての手紙

私は当時、昼は自転車の変速機を製造する会社に通い、夜は大阪堺市にある定時制高校に通っていた。
会社のサイクリングクラブに入り、自転車で通勤したり電車で通勤したりしていた。
電車通勤の場合は堺東駅で下車してバスに乗り継ぎバス停からは徒歩になる。

この頃の出来事を想い出せば気になっていた。
昭和38年当時の堺東駅は木造の古い駅舎だった。が、人の出入りは多かったと記憶している。通勤時のバスも満員状態だった。

ある日の帰りに、いつものようにバス停で待っていたら、二十歳代前半のお姉さん二人が私に一通の封筒を差し出した。
そして、
「いい返事してやってね」と言った。
突然の出来事に戸惑った私は会社のお姉さんだと思い黙って受け取った。

想い出せば通勤時に見かけたような気もするが、私が勤める会社のお姉さんではなさそうで同じ通りにある菓子メーカーに勤めるお姉さんではないかと思う。

私は家に帰る途中で封筒を開いた。
私への想いを便箋2枚にびっしりと書いてあった。
決して達筆とは言えないが想いは十分伝わってくる。

ところが差出人が誰だかわからない。
あれ以来、持ってきたお姉さんにも会ったことがない。
3日経ち、1ヶ月が経ち、3ヶ月が経った頃には忘れてしまっていた。

今思うに、随分と返事を待っていたことだろうと思う。
探す方法はあったのに、

手紙の主は初めてラブレターを書いたのだろうと思う。
返事の内容は別として、少なくとも私を想ってくれた人には間違いはない。
お礼の返事は書いて、あのお姉さんを捜して渡すべきだったと思うが、
今となればもう遅い。
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