知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2011年03月

パトロール丸3年

子供を事件や事故から守るパトロールも丸3年となった。
当初は週2回だったが3回にして隣の市も含め月曜から土曜まで主に午後パトロールしている。

午後、市内の小学校を訪ねた。
特に危険とおもわれる重点箇所を聞いて申し送りした。

役所からは時間やコースを決めずにランダムに廻ってほしいと言われているので何も決めずに廻っている。

安全神話

原発の安全神話は壊れた、

タービン建屋の地下に溜まった汚染された水は圧力容器内の水が流れた可能性が高い、
圧力容器本体が壊れた可能性は低いが(鋼鉄製で厚さが16臓法¬閉機能は失われているとしている。

経産省や専門家の見解は、
破損箇所として制御棒の差し込み部分や溶接部などにひび割れが生じ強度の弱い部分から漏水した可能性が高いとしている。

一乗谷

一乗谷朝倉氏遺跡

特別史跡 特別名勝 重要文化財指定

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舞鶴港

 舞鶴西港

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舞鶴といえば、

  岸壁の母
     双葉百合子    藤田まさと作詞・平川浪竜作曲

  母は来ました 今日も来た
  この岸壁に 今日も来た
  とどかぬ願いと 知りながら
  もしやもしやに もしやもしやに
  ひかされて

「また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ
帰れないなら大きな声で
お願い
せめて、せめて一言」

  呼んで下さい おがみます
  あゝおっ母さん よく来たと
  海山千里と 云うけれど
  何で遠かろ 何で遠かろ
  母と子に

「あれから十年
あの子はどうしているじゃろう
雪と風のシベリアは寒いじゃろう
つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて
この肌で温めてやりたい
その日の来るまで死にはせん
いつまでも待っている」

赤レンガのまち舞鶴

旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、海軍が建設した建造物を中心に多くの赤レンガ建物が風雪に耐え現存する。

舞鶴

温かい食事

渓流釣りは春先頃は結構足下から体が冷える。
長年、昼食は冷たいおにぎりで済ませていた。

体を温めるには、日本酒が早いウイスキーは少々飲んでも温まらない。

食事より「あまご」を釣りたいという気持ちが先行していた。
ある時期からは温かい食事を用意するようになった。
雑炊や豚汁など、冷えた体は直ぐに温まる。
釣りを楽しむ余裕ができたのだろうか。

避難生活を送っている被災者は何日も冷たいおにぎりで満腹感のない食事を体験した人は多くいる。
避難所の朝食、温かい食事はホッとするだろう。

地震連鎖

東北を中心とした大地震から2週間たった。
警察庁の発表では死亡者が10035人、行方不明者は17443人。

死者・行方不明者は1896年の地震の21959人を上回る可能性があり、明治以降では関東大震災に次いで2番目の規模となるようだ。

地震・津波・原発事故・汚染・風評被害と連鎖している。
なぜ大阪で水や電池・カセットボンベなどが売り切れてなくなるのか理解できない。

ついに!

福島第一原発3号機で、ケーブルの敷設をしていた作業員3人が被曝した。
被曝線量は170〜180ミリシーベルトで、うち2人からは足の皮膚にベータ線熱傷が見つかり病院に搬送されたという。

一方、関東で水がないと聞いていたが、大阪南東部周辺のスーパーやコンビニでも水やカセットボンベなどがない現象がでてきた。

金沢ぶらり旅

1583年前田利家入城後は加賀藩主前田家の居城として本格的な建造がおこなわれた。

櫓の数は20棟を数えたと伝えられる。

金沢城

 兼六園 池は凍り付いていた。
兼六園

 にしの茶屋街
にし茶屋街

 ひがしの茶屋街
ひがしの茶屋街

 2008年2月撮影

情報

宮城県の避難所で小学生達が避難者に役立とうと皆が知りたい情報を携帯テレビや口コミを入手して情報を書き留め掲示板に貼りだしている。

例えば銭湯は何処に行けば入れるとか、仮設住宅の入居の申し込みはなど、情報先も記入されているという。

専門家も高く評価し、ぜひ記入した用紙は残して欲しいという。

たしかによい資料となるだろう。
人の役にたちたいという気持ちがよいアイデアを生む、情報先を書くというのはなかなか思い浮かばない。
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