知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2011年12月

散歩

掃除もおわり、リーヤを連れて子供の頃に住んでいたところに行ってみた。
駐車場になっていた。こんなに狭かったのかと思う。

夏休みにラジオ体操をした寺にも行ったが小さく見える。
裏にあった池や畑もなくマンションが建っていた。
お寺の掲示板に、

「楽せんと楽する楽は楽ならず
     楽は苦の種 苦は楽の種」  と書いてあった。

確かにその通り。

年賀状

今年は年賀状を止めようと思っていたが思い直して投函した。
元旦に賀状がくれば後悔すると思ったから、

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初めて見た海、
あれは5歳前後だったと思うが、それまで川しか見たことがなかった。池も湖も、

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観光バスだった。
父と一緒だった。
なんだこれわ、向こうが見えないゃ。

天皇誕生日

78歳を迎えられた天皇陛下、
思い浮かぶのは東日本大震災の被災者を何度となくお見舞いと激励に行かれた姿に感動した。

天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」(抜粋)では、次のように述べられている。

「3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。
 厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。」

思い起こせば私が中学1年だったと思うが、当時、新聞配達をしていた。
陛下が皇太子の時、ご成婚された特集の新聞を、学校を早引きして配達した記憶がある。

また、母が若かった頃、昭和天皇が伊勢神宮参拝の折、朝早くに起きてバスに乗り街道でお辞儀をして顔を上げることもできず見送ったと聞いたことがある。

初めての遠出

リードを付けて散歩に連れていこうとすると前の道に出るなり足を踏ん張って歩こうとしない。
いつもは抱いて公園に連れていく。

今回はリードを外してやったら着いてきた。
公園を過ぎ遊歩道をしばらく歩いてから広い道路に出る手前でリードを付けて歩き出したら黙って着いてくる。
信号は怖がって歩かないのかと思ったが着いてきた。

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川沿いを南に歩きだすと後ろから前を歩きはじめた。
歩道橋を渡り遊歩道まで戻ると歩かなくなった、しばらく休憩した。

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「よし いくぞ」と言うと、
元気よく歩き出し、道を覚えているのか、私を引っ張って家まで帰った。
初めての遠出だった。

不眠症

近年に至って不眠症の人が増えているという。
私の場合は一過性だと思うが寝なければと思うとますます目が冴えて、やがて夜が明けて暫くすると眠たくなることがあった。

最近は寝ようと思わなくてもすぐに眠ってしまう。
朝は早いが熟睡している。

ただし、テレビは家でもホテルでも点けっぱなしが癖になっている。
不眠症の原因は多種あるのだろうが寝れないというのはつらいものだ。

暗く静かなのがいいのだろうが神経的なこともあるだろう。
5人に1人が不眠症といわれているようだが、不眠症予備軍も自覚がなくても多いようだ。

大阪は国際都市といわれて久しいが、24時間起きている街となっている。

マイカー整備

山口県は萩に行った。富山や石川は能登半島、山形県にも南伊豆や鎌倉にも行った。
まだまだ走れるが早いめにタイヤを替えた。バッテリーも、この冬は万全だ。

写真は熊本、やまなみハイウエー

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虐待

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この人形の足を持って外で埃を落としていた。

「やめんかい」
「遠くから見たら赤ちゃんを虐待してるように見えるやないか」
「警察に電話されたらどうするねん、うちに赤ちゃんはいないが」

まさに、「瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず」だ。

想い出

小さかった頃の記憶も断片的に残っているものである。
近くの山に登り「がんぴ」と言われる木を切って皮を剥いで売りに行った記憶がある。
「がんぴ」は紙の原料になる。

また、たしか同じ山だったと思うが南側の日のよくあたる峰には自然の「きのこ」がたくさん採れた。
おもしろいぐらい次から次へといろいろなきのこがあった。

10円貰って町へ一個1円の「あめ」を買いに行き帰り道で全部食べてしまった。
口のなかに残っている最後のあめを妹にやったことも、

小学一年生の時、帰ろうと裏門にさしかかると、熊の足跡が雪の上についていた。
怖くて帰れなかったこと。

まだまだ、いろいろな記憶が思い出せる。

迷惑メール

DS_9999最近、迷惑メールが多い。
どのような方法で私のメルアドを入手したのだろうか。

迷惑メールリストに入れてもアドレスを変えて送ってくる。
文字通り迷惑な話だ。
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