知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2012年06月

土山宿本陣跡

土山宿は江戸日本橋から百六里三十二町、京都三条大橋まで十五里十七町余りの位置にある。
本陣は1634年、三代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。当時の大名、旗本、公家、勅使等が宿泊したもので宿帳から多くの諸大名が宿泊したことを知ることができるとある。

土山宿本陣跡

本陣は明治維新で大名の保護を失い1870年宿駅制度の廃止に伴いなくなった。

 土山宿

土山宿

麦畑


麦畑

麦畑は見ることがなくなった。
何麦だろうか!

麦畑

  (福井県若狭町にて)

東見付跡(水口宿)

 東見付跡(江戸口)

水口宿

見付とは、近世城郭の門など、外と接し警備を行った場所をさす。

水口藩成立(1682)以降は、城下ともなり宿の東西の入り口は警備の施設も整えられ枡形土居がめぐらされ木戸や番所がおかれるとある。

 旧東海道

水口宿

西見付跡(京口)は宿の西端、林口五十鈴神社南側にあった。

伊勢神戸城跡

伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は南北朝時代飯野寺家町の地に沢城を築いたが1550年にこの地に神戸城を築いて移った。
神戸氏七代友盛は信長軍の侵攻により1568年三男信孝を養子に迎え和睦し、信孝は1580年金箔の瓦も用いた五重の天守閣を築いた。

神戸城跡

本能寺の変後、岐阜城に移り翌年秀吉と対立して知多半島自刀し1595年には天守閣も岐阜城に移され江戸時代を通して天守閣は造られず石垣だけが残された。

神戸城跡

江戸時代の城主は、一柳直盛、石川氏三代を経て1732年本多忠統が入国する。
本多氏の治世は140年七代忠貫まで続き1875年に神戸城は解体されるとある。

大手門は顕正寺の山門として移築されていた。

顕正寺山門


顕正寺山門



神戸城跡所在地  三重県鈴鹿市神戸5丁目10 
顕正寺所在地    三重県四日市市西日野町2970 

舞坂宿(東海道松並木)

舞坂宿  日本橋から67里16町45間(265km) 家数 541軒、 本陣、 2軒  脇本陣 1軒、 旅籠 28軒

 約700メートルに渡り街道の両側に大小340本以上の松並木が続く。

東海道松並木

東海道松並木



所在地 静岡県浜松市西区舞阪町舞阪

熊野街道を歩く

熊野街道は、摂津大坂の渡辺津(大阪市中央区天満橋付近)を起点に四天王寺、住吉大社を経て、和泉国から瓦屋村(泉佐野市)〜和歌山間は雄ノ山峠を経由し、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう街道だった。

京からは渡辺津までは淀川を舟で下ったという。

熊野街道

 我々は住吉大社から鳳神社までを第1回とした。

熊野街道


 泉州堺  山口家は江戸時代初期に建築された町屋で国の重要文化財に指定されている。

熊野街道

 海側は紀州街道が走っている。

熊野街道

熊野街道

五条代官所跡長屋門

1863年8月、江戸幕府の直轄地であった五條で「天誅組の変」が起きた。新しい日本をめざす尊皇攘夷思想の若者達が日本各地より結集して代官所を襲撃した。

決起は後に朝廷からも反乱とみなされ、討伐にでた幕府軍との攻防戦の末におよそ40日で東吉野に散った。
この事件が明治維新の導火線となり、時代は大きく激しく動いたとある。

五條代官所正門


1864年10月、幕府はここに代官所をあらたに立て直した。長屋門は立て直された五条代官所の正門の姿を残す歴史的記念物であることから天誅組の義挙140年の記念にあたり修復改修したとある。

京都東山界隈


 東山

higasshiyama


  八坂神社にて

higashiyama


  ねねの道

higashiyama

higashiyama


 産寧坂

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  清水寺にて

higashiyama




瑠璃光院

瑠璃光院



拝観は春秋期
所在地; 京都府京都市左京区上高野東山55番地

 悟りの窓

悟りの窓

 迷いの窓

迷いの窓


わからん どちらでもいいけど


所在地; 源光庵  京都市北区鷹峰北鷹峰町47
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