知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2012年07月

大正ロマン館


1923年(大正12年)に篠山町役場として建設された。
当時は最もモダンな洋風建築だった。

大正ロマン館


現在は無料休憩所、観光案内所、レストランとして利用されている。

所在地 篠山市北新町97

道標(平野街道)

この道標は、1866年に建てられたもので西面は「右八尾・久宝寺・信貴山」とあるのは多くの人たちが信貴山にお参りしたことを示すとある。

南面に「大阪」とあるのは鶴の橋を渡り大阪に向かう人たちの標し。

道標



所在地 大阪市生野区桃谷3丁目18−32

すでに今日は九州・四国・東海の都市では猛暑日の予報となっている。
8月1日から7日迄のの統計では今年例年にない暑さになるようだ。

MG_64


我が家も、西の窓には緑のカーテンを作っているが夕方には葉が縮み萎れている。
水をやるとすぐに生気を取り戻す。

忠義の人(真田幸村)

天王寺公園茶臼山の北にある安居神社に真田幸村戦死跡之碑がある。

安居神社境内

真田幸村戦死跡之碑


時は1615年5月7日、大坂夏の陣、茶臼山に陣取った幸村は南の徳川家康本陣を突撃で混乱に陥れあと一歩まで追い詰めたが家康方の増援に阻まれ退却を余儀なくされる。

傷ついた幸村は安居神社で腰をおろして手当てしているところを徳川方の越前兵に討ち取られた。
最後まであきらめず可能性に賭けて家康の首を狙い敵に「日本一の兵(つわもの)」と讃えられた。

真田幸村銅像


銅像の前に立ち、じっと眺め手を合わせ一礼をする人がいた。
なかなか立ち去ろうとはしない。
幸村を偲び想いに耽っているように見えた。

上町台地(真田丸)

大阪環状線玉造駅西口をでて玉造筋を越えると商店街がある。
路地を西に向かうとゆるやかな上り阪、宰相山が見えてくる。その一角に三光神社がある。

三光神社


階段を上ると左に真田幸村の銅像がある。

真田幸村銅像


銅像の横に「真田の抜穴」がある。中には入れないが左(南)に曲がっている。
大坂城に通じていたという説もあるが城は右側、敵を欺くためにとも考えられるが、
左折れすればすぐ行き止まり戦争中の防空壕かもしれない。

防空壕と思えば夢がない。地形からみれば可笑しいがいやいや抜穴だ。

真田の抜穴


さらに西に行くと心眼寺がある。

心眼寺


ここは幸村の出城(真田丸)あった跡地。

心眼寺


大阪冬の陣 真田幸村ここにあり、

門扉には六文銭が、

心眼寺


さらに西にある円珠庵(鎌八幡)にも行ってみたが撮影禁止になっているため省略する。



所在地 三光神社 大阪市天王寺区玉造本町1−90
     心眼寺   大阪市天王寺区餌差町2−22

夕暮れ時

ベランダにでると、

夕暮れ

宰相山公園

宰相山公園の階段を上って行くと鳩が集団で私の足下まで近寄ってきた。
餌をやっている人がいるのだ。

宰相山公園


所在地 大阪市天王寺区玉造本町14

蘇生

冬の寒い時期に室内に入れるのを忘れていたハイビスカス、
それも三度も、しまった今度は枯れたと。

見事に蘇生した。

ハイビスカス


今年からは忘れまい。

熊野街道(小栗街道)を歩く


熊野街道を歩く2回目は鳳大社から始めた。

熊野街道


熊野街道


この石灯籠は、もともと住吉神社の境内にある「住吉の高灯籠」とともに大阪湾を航行する船に現在位置を知らせる灯台の役目を果たし大阪湾安全航行シンボルとなっていた。

形式からみて約300年前のものと推察されるといわれている。

熊野街道


陸上自衛隊 信太山駐屯地を左にみて、

熊野街道


熊野街道


今回は岸和田までとした。

熊野街道


午前中は曇り空だったが午後はアスファルトの照り返しが体力を消耗させる。
今回は休憩を含め約5時間半の行程だった。

警察官の飲酒運転

鹿児島県警は酒を飲んで軽乗用車を運転したとして、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、交通課課長代理の警部補(48)を現行犯逮捕した。

飲酒運転   


警部補は2009年から小中学校で交通安全に関する啓発活動や飲酒運転の取り締まりなどの業務を担当していた。

法律を遵守させる側の警察官が飲酒運転とは、あってはならない事案が起きている。


飲酒運転
私の知っている警察官(当時は警部)は酒豪だった。したがってクルマは持たないと言っていた。
民間人であっても飲酒運転については自覚の問題だ。

若い頃はクルマで通勤しているからと、当たり前のように飲酒運転の日々だった。
自覚がなかった。

高速道路入り口から坂道になっている。料金所近くまで行かなければパトカーがいるかどうかわからない。
缶コーヒーを一気に飲んで煙草を肺の奥深くまで吸い込んで料金所に向かう。
案の定、赤色灯が廻っている。
当時の飲酒検問は警察官の鼻に息を吹きかける方法だった。

何時も「気をつけて帰ってください」だった。
それをいいことに飲酒運転を続けていた。

私が事故を起こさなかったのは飲酒時はスピードを出さなかったことだと思っている。
何時の時だったか、自覚した。あれ以来飲酒運転はしていない。
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