知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2012年08月

あらぎ島

あらぎ島を見下ろすこの道は高野街道、以前歩いた堺の大小路から紀ノ川を越えた高野街道は有名だが有田方面からこの地を通って高野山に至る道も高野街道である。

あらぎ島


同時に紀州の殿様、頼宣公が龍神温泉に湯治に通ったこの道が龍神街道、この地の住民にとって塩鯖などの食料品などを運んだ生活道であり「さば街道」と呼ばれた。
和歌山城と龍神温泉の中間地点になる。

所在地 和歌山県有田郡有田川町三田

高原の風

  生石高原
  標高870メートルの山にススキの草原が広がる。

生石高原

  空気が澄んだ晴天の日には遠くは六甲山や淡路・四国まで見えるという。

生石高原

生石高原
 生石高原 




  和歌山市内を望む

生石高原


所在地 和歌山県海草郡紀美野町中田899−29

癒す

人類は如何なる環境にも順応する一定の力を持ち備えている。

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或いは、破壊された環境を修復する能力をも持ち備えているのである。
それは鎖の頭は鎖の尻尾、鎖の尻尾は鎖の頭のようにお互いが繋がっているからである。

それでも体をまた心を癒す必要のある生身の人間である。

展望台の猫

表六甲ドライブウェイの鉢巻展望台で2匹の猫を見た。
黒い猫はよく寝ていたのでそっとしておいた。

鉢巻展望台


山の中だが、ここに住んでいるのだろうか。
多分、猪もいるだろうに、何を食べているのだろうか。雨の日はどうしているのだろうか。

鉢巻展望台

湯治の宿

はるか南北朝の時代から湯治場であった湯ノ口温泉、
この季節、四方を緑に囲まれた源泉掛け流しの湯

入鹿温泉と湯ノ口温泉を繋ぐトロッコで行く奥熊野の湯

トロッコ列車

湯ノ口温泉

湯ノ口温泉



所在地 三重県熊野市紀和町湯ノ口10番地

伝説の明神池


   注ぐ谷なし出る川なき池  神秘と伝説の明神池

明神池


平家落ち武者の里


所在地 奈良県吉野郡下北山村池峰

鶴之橋跡

「つるのはし」は、日本書紀に「仁徳天皇猪甘津に橋をつくる、この処を小橋と名付く」とあって文献上では我が国最古の橋であるといえるとある。
このあたりに鶴がよく飛んできたことから鶴橋と呼ばれるようになった。

鶴之橋跡


江戸時代の「猪飼野村明細帳」によると橋の全長二十間(36.4メートル)幅七尺五寸(2.3メートル)の板橋となっている。

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近代に入ってからは、明治七年石橋に掛け替えられ、同32年国庫補助により欄干付き全長七間(12.7メートル)幅一間(1.8メートル)の石橋に改修された。
大正12年には鶴橋耕地整理組合の手によって新平野川が開削され不要となった旧平野川は昭和15年に埋め立てられて鶴之橋は廃橋となった。

清々しい朝


−  ラジオ体操の歌 

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 青空仰げ

ラジオの声に 健やかな胸を
このかおる風に開けよ
それ1 2 3


ここ2日間の早朝は、気持ちの良い清々しい朝を迎えた。
空気が澄んでいて、ひんやりとしていて 気持ちがいい。

でも日が昇り太陽が照りつけると湿度は低いものの今日も35度を超えるようだ。
昔と違うのは夜の暑いことだ。

子供の頃にラジオ体操に行ったあの清々しい朝を想いだした。

火垂るの墓


神戸市と西宮市近郊を舞台に、親を亡くした幼い兄妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとする、野坂昭如原作のアニメ映画「火垂るの墓」、

火垂るの墓


昭和20年6月5日早朝、神戸市から阪神地方を襲った大空襲により母親を亡くし 14歳の兄と4歳の幼い妹は西宮に住む遠縁の家に疎開するものの、しばらく後に家を出て近くの池の横穴に兄と妹二人の生活を始める。しかし戦中戦後の食糧難のために妹は栄養失調で死に、その1ヶ月後、兄も駅の構内で眠るように餓死してしまう。

御影公会堂


8月になると毎年のように映していた「火垂るの墓」、そして沖縄を舞台にした「さとうきび畑の唄」、どちらも戦中の混乱のなかで生き抜く物語だが涙が止まらない。

デカンショ


丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)
花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)

デカンショデカンショで半年暮らす
あとの半年寝て暮らす

丹波篠山鳳鳴の塾で
文武鍛えし美少年

丹波篠山山奥なれど
霧の降るときゃ海の底

酒は飲め飲め茶釜でわかせ
お神酒(みき)あがらぬ神はない

デカンショ


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