知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2013年01月

金剛登山

金剛山に登った。
登ったと言ってもロープウェイだが、金剛山駅から山頂まで約1.5キロ。

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アイゼンの用意がなかったので用心してゆっくりと、上りはまだしも下りは滑りやすい。

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中学生の団体が下から登ってきた。元気が良い。「もう頂上か」とか言っていた。

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10000回以上登っている人が3人いた、毎日登っても何年かかるのだろう。

宇和島市闘牛場(無形民俗文化財)

宇和島における闘牛の起源は定かではないが、幕末(安政)の頃、興業化された闘牛に人々があまり熱中するので宇和島藩がこれを憂慮し問題にした文章が残っているようだ。

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明治・大正期には闘牛の禁止や規制が繰り返されたが庶民の闘牛熱は盛んで大正から昭和初期最盛期を迎えた。
宇和島城にある郷土資料館(山里倉庫)には露天闘牛場の写真が展示されている。

宇和島地方の闘牛は、獅子文六の「てんやわんや」や井上靖の「闘牛」で全国的に有名になり、それまで「突き合い」と呼ばれていたのがしだいに「闘牛」と呼ばれるようになった。

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LIFE OF PI

昨日、「ライフ オブ パイ」を3Dで観てきた。

何十年前になるのだろうか、ヒッチコック監督の「鳥」を観た。
当時どのようにして撮影したのか裏話を聞きたいと思った。

「ライフ オブ パイ」も動物が相手の映画である。今回も撮影秘話を知りたいと思った。

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龍馬の生まれたまち記念館

南国土佐、坂本龍馬が生まれた地、その誕生地の上町に、龍馬を中心とした歴史、観光、文化の推進とコミュニティー育成のまちづくりを目指して「龍馬の生まれたまち記念館を建設したとある。

観光者が龍馬の横に座って一緒に写真が撮れるようになっている。

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この記念館からすぐの中村街道沿いの上町一丁目バス停辺りに龍馬生誕地がある。

上り立ち門(宇和島城)

宇和島城の城門の一つで搦手口から城への登り口に位置している。建築様式は薬医門形式の切妻、本瓦葺きで丸瓦には伊達家の九曜の紋がついている。

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諸矢倉、追手門、搦手門などの失われた今日において、上り立ち門は天守閣とともに宇和島城の大切な遺構となっている。

山里倉庫

この建物は旧宇和島城内の調練場の一廓にあって武器庫に使用されていた。伊達家八代藩主宗城の時代に建造された。
旧城内唯一の遺構である。

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建造年代 1845年(弘化二年)   構造形式 木造切妻造り
面積    六九.二九坪        解体移築 昭和四十二年八月
現在は郷土資料館として資料、民具類を展示している。

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私が訪れた時には担当者が常駐しており丁寧な説明を受けた。

魚見の丘

供養塔、 秋分の日に二つの尖塔の間から日が昇るように建てられているという。

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 詩:古谷和夫氏

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 魚見の丘からの展望

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所在地 愛媛県宇和島市遊子

段畑(重要文化的景観)

愛媛県は宇和海に突き出た水荷浦、
生活水を担い運んだことに由来する幅1メートル高さ1.5メートル前後の畑が開墾された。

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宇和島では段々畑のことを段畑(だんばた)と呼んでいる。

当初は開墾した土地に雑穀を栽培したと考えられるが、段々畑化していくのは江戸時代の終わり頃(天保年間)とある。
段畑の石垣化は明治末から大正にかけて盛んとなり、サツマイモから桑へと変わり養蚕が進んだことに端を発す、

昭和30年代にはサツマイモやジャガイモは暴落し30ヘクタールあった段畑は2ヘクタールまで減少するが地元有志による「段畑を守ろう会」が結成されて5ヘクタールまで復活する。


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犬涙流す

私が2日ほど家を空けた時のこと、娘からメールが入った。

「お父さん 大変や、お母さんが「リーヤ!パパは? リーヤ!パパは?」と何回もいうてたら、リーヤが首をかしげて泣きだし涙で目の下濡れてる。頭下げて沈みまくり、こんなの見たのはじめて」

犬にも感情はあるのだろう、私を想いだしたのだろうか。

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お月見の寺

行基寺回遊式庭園は、1705年源朝臣松平義行公が行基寺再建と同時に兒穫他阿砲茲蟶酊蹐気譴親本庭園とある。

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大自然を背景に書院からの眺望は濃尾三河はもとより雄大な自然に洗心される。

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