知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2013年02月

日本庭園「南楽園」

広さ15.3haの庭園は上池、下池を持つ池泉回遊式庭園、 椿、梅、桜、ツツジ、花菖蒲など、四季折々の花が咲く。

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何と広い庭園か、

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所在地 愛媛県宇和島市津島町近家甲1813

小谷城跡 −追手道−

小谷城跡、下から追手道が出丸〜番所〜本丸と続く、小丸付近で水手道と合流する。

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出丸跡と金吾丸跡の間に望笙峠がある。

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望笙峠からの展望

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NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の浅井三姉妹誕生の地で知られるようになり小谷城跡を語り部ガイドが案内するコースがある。

最短コースで2時間30分、バス代500円 ガイド代 500円
最長コースで5時間00分、バス代500円 ガイド代1500円

3月24日から12月2日までとなっている、若葉咲き風頬をなぜる季節にガイドの声に耳を傾けながら登れば戦国の良き一日となるだろう。

スーパーロードサービスで!

かつて飛騨地方の女工たちが往来した野麦峠に行きたいという衝動にかられ、2007年10月14日8時過ぎに峠に立った。

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旧野麦街道をワサビ谷方面に下ると一面にクマザサが生い茂り薄暗い林が続いた。

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野麦峠の帰り、「道の駅 ひだ朝日村」に立ち寄った。30分ほどで車に戻るとヘッドライトが点いたままだった。
大丈夫だろうと思ったがバッテリーは上がっていた。

道路の前に2軒のガソリンスタンドがあるが日曜日で閉まっている。途方に暮れ座り込んだ。
どれぐらいたっただろうか、ふと思いだした。出光カードに「スーパーロードサービス」があったことを、

カード会社の丁寧な案内に安堵した、高山から業者が来てくれ事なきを得た。
1993年に取得した出光ゴールドカード、3月に有効期限がきれることから昨日新しいカードが送られてきた。

琵琶湖慕情

あれは十七歳だった。
自転車で大阪から京都、大津、彦根、米原と琵琶湖を一周したことがある。
国道一号線から八号線に入ると深夜であることから睡魔に襲われ何度かセンターラインを越える。
湖北あたりは快晴だった。

写真は高島市

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京都に着いたのが午後八時頃だった。
京都から我が家まで六十キロある。何時頃に帰ったのか記憶はない。

よく走ったものだ。若かった。

あれ以降、何度も琵琶湖に足を運んでいる。勿論、車で。

小谷城跡 −番所−

「近江の城郭を語らずして中世は語れず」と言われるほど近江には中世の城郭が数多く見られる。

小谷城は、戦国乱世の1524年浅井亮政が京極氏より自立築城してから三代長政が織田信長に抗して敗れる1573年までの五十年間、浅井氏が根城としたところであり、六角氏との戦や姉川の戦にもこの城から多くの将士が出陣したのである。

番所跡  間道も集まる要所に位置する登城者の検問所

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小谷城は、典型的な山城であり出丸、金吾丸、番所、御茶屋、御馬屋、馬洗池、桜馬場、黒金御門、大広間、本丸、中の丸、刀洗池、京極丸、小丸と続き山王丸を頂とする。

番所からの眺望

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番所から本丸方面を望む

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小谷城跡 −出丸跡−

小谷城は、浅井亮政・久政・長政の三代にわたって、小谷山全域に築かれた我が国でも屈指の規模をもつ中世城郭で、日本五大山城に数えられている。

出丸跡  主郭尾根の最先端にあり、小谷城を守る最前線の砦

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浅井家は、三代にして50年余りで滅んだが長政とお市の方との間に生まれた三人の姫は、それぞれ、長女の茶々は豊臣秀吉の側室−淀君−として、次女の初子は大津城主京極高次に嫁ぎ、三女の達子は徳川二代将軍秀忠の夫人となった。

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中之庄遺跡

中之庄遺跡は、発掘調査によって弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時期にわたる遺構が見つかった。
弥生時代では、前期から中期にかけての土抗と方形区画墓(方形に溝をめぐらせた墓)が見つかり、弥生時代前期からの生活の痕跡が残る重要な場所であることがわかった。

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飛鳥時代のものは、掘立柱建物跡11棟以上、竪穴住居跡3棟、石敷溝、苑地状遺構などが検出されている。
掘立柱建物は桁行五間、梁行二間の大型の建物を中心にして周囲に付属する建物群や石敷溝、苑池状遺構などが配置されている。

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この遺構群は、その内容や文献に書かれた事柄などの関連から判断して「菟田吾城」として登場する阿騎野の中心施設の一部であると考えられるとある。

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中学生の時、新聞に奈良で古墳が発見され発掘調査が始まっているとの記述があり、自転車で行ってみると、錆びた刀の束や土器の欠けらが出土していた。
土器の欠けらを貰えないかと聞くと、やるとは言えないので黙って持って帰れという意味のことを言うので3つほど持ち帰った記憶がある。

天下の城下町

「天下の城下町 大坂と江戸」と題した特別展が大阪歴史博物館で開催されている。
今日行ってみようと思っていたが、よく見ると3月10日に「大坂と江戸」と題した講演会が行われることから1ヵ月待つことにした。

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歴史はおもしろい。
私の場合は幕末の歴史が人と人を近くした、5、6時間がすぐに通り過ぎてゆく。

−歩く−そしてまた歩く

4時間も睡眠をとれば充分だったのが、毎日歩くようになってから7時間ぐらい眠るようになった。
寒くて風のある日は「どうしようか」と迷ってしまうが、外にでればなんてことはない。

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3キロから7キロぐらい歩いている。いつものコースから外れて歩いてみた。

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歩幅を50センチに設定していたが歩き出せば83センチある。ゆっくり歩く時もあれば階段もある平均65センチぐらいだろうか。

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歩くのは好きだ、車で走っていると見えないものが良く見える。家からさほど離れていなくても、こんなところにお寺があったんだと思うことがある。

宇陀松山城跡(秋山城・神楽岡城)

宇陀松山城は、宇陀郡を領分する宇陀三将(秋山氏、芳野氏、沢氏)の一人、秋山氏が居城として山城を築いたのに始まる

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1585年、豊臣秀長の大和郡山入部に伴い大和郡山城、高取城、秋山城の三城により支配体制を強める。以後、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親らの居城となり改修が行われ近世城郭へと移行していった。

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所在地 奈良県宇陀市大宇陀松山地区春日古城山

春日神社入り口付近から暫くは遊歩道が整備され、ゆっくり歩いても15分位で城跡に着く。
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