知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2013年02月

春日門跡(宇陀松山城)

春日門跡は、宇陀松山城下町の出入口にあたる西口関門から続く大手筋正面に位置する。
現在、門跡には虎口を構成する東西二つの石垣積の櫓台が残っている。

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春日門の建造は十六世紀末から十七世紀初頭とされ、松山城下の建設時に町人地と武家屋敷・城館とを分かつ虎口として造られたことが明らかとなっている。

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現存する櫓台は十七世紀後半の織田家宇陀松山藩時代の向屋敷・上屋敷造営に伴う再構築であることが判明したとある。

宇陀松山の町並み

「内牧屋」 霜永家

「紅梅酒」の造酒屋で青木月斗の句「紅梅の 名に偲ばるる 春酒かな」が残る。明治八、九年頃に霜永家の所有となる。
文化年間に二階部分を改修しているが一階部分は古く、出入り口にスリアケ戸の溝が残る。通り沿いの塀は昭和の改造で、式台玄関へ至る門が設けられていた。格式ある家だったことがわかる。

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南側にある袖塀には青海波の模様があり、北側は袖塀ではなく持送りをつけ、その下には役物瓦が見える。隅瓦に福の神を据え商売繁盛を願っている様子がうかがえる。
その他にも台格子、連格子、親子格子がこの家の魅力である。

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他の町屋

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松山町は伊勢本街道が通っており、近くに道の駅や温泉があり、春になれば有名な樹齢300年以上という又兵衛桜が咲き乱れることから、奥にある案内板を道の駅や新道沿いにも立てて観光者のために無料駐車場を作れば多くの人に松山町屋等を知って貰え経済効果もますのにとの感想を持って家路についた。

たばこや安兵衛 (松山地区町並み)

林家「捨生屋」

駒寄せ・格子・袖垣・座敷玄関など伝統的な意匠を持ち、江戸時代の様子を伝える佇まいと、蔵が印象的なこの家は明治時代に北側の間口二間分を増築したとみられている。

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文政十三(1830)年(棟札より)  切り妻・つし二階・桟瓦・平入


所在地 奈良県宇陀市大宇陀 松山地区

旧松山城西門(史跡)

この門は旧松山城大手筋にあたる西口関門である。建築は徳川時代初期のものと認められ正面の柱間十三尺五寸、両内開きになっていて、左右に袖垣をつけた高麗門の形である。

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門を含む地域は枡形になっていて旧位置に現存する城下町の門としては珍しいものとある。

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所在地 奈良県宇陀市大宇陀 松山地区

名香の湯(香落渓温泉)


眼下に青蓮寺湖が見渡せる名香の湯、

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源泉の成分分析ではpH値が9.5とアルカリ度が極めて高く、皮膚の角質を柔らかくし、脂肪分を洗い流してしっとりとしたお肌になることが期待できるとある。

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露天風呂からの展望

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室戸岬

高知県南東部に位置する室戸岬、室戸と聞いて脳裏に浮かぶのは第2室戸台風、風が強く大阪にも大きな被害がでた。
岬に着くと中岡慎太郎像が国道端に立っていた。

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室戸阿南海岸国定公園に指定されている。

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天赦園(池泉廻遊式庭園)

天赦園は、1672年宇和島藩二代藩主宗利が造成した浜御殿の一部を七代藩主宗紀(号;春山)が退隠の場所として改造し1866年竣工した。

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春雨亭
春山は、ここで余生を楽しみながら書道を愛し、明治22年100歳の天寿をまっとうした。

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池泉廻遊式庭園

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所在地 愛媛県宇和島市御殿町9−9

下赤阪の棚田(日本の棚田百選)

下赤坂城跡
金剛山地から延びる丘陵の自然地形を利用して築城された中世山城、鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成によって築城されたといわれている。

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金剛山地から延びる丘稜の斜面に階段状に積み重なった棚田、
例年、田植えは5月末から6月上旬頃、刈り入れが9月末から10月上旬頃に行われる。

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春先には「水を引き込んだ棚田」、初夏には「早苗が風にそよぐ棚田」、真夏には「青々とした棚田」、
秋には「黄金色の稲穂が波打つ棚田」、冬には「雪化粧の棚田」、四季折々の美しい棚田が見られる。

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