「柳の渡し」は、大淀町北六田と南岸の吉野町六田とを結んだ渡しで、平安時代に醍醐寺の開祖・聖宝浬源大師(832〜909)が開いたとされ美吉野橋がかかるまで、「桜の渡し(桜橋)」「椿の渡し(椿橋」「檜の渡し(千石橋)」と共に大いに賑わった。

その北側には柳が茂り、天明六年(1786)建立の道標を兼ねた石灯篭や石造の道標が残る。

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これらは現在地よりやや上流にあった元来の渡し場から移設したものであるとのこと。

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六田の淀の清流の風情は万葉集に詠まれている。

音聞(おとにきき)目者未見(めにはいまだみぬ)吉野川(よしのがわ)
           六田之興杼乎(むつたのよどを)今日見鶴鴨(けふみつるかも)