知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2013年11月

鯖の素焼き

その昔、若狭の小浜から鯖が京都へと運ばれた道が「さば街道」といわれた。
写真の鯖は、若狭の義兄から送られた素焼きです。我が家は少し温めて醤油で頂きます。

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葛城の道(船宿寺)

最も古い官道といわれる竹ノ内街道から葛城の道が終わるあたりに船宿寺がある。

奈良時代の神亀年間、行基菩薩が山中の船形岩の上に藥師瑠璃光如来をまつる庵を建て船宿寺と名付け、寺内には地泉回遊式庭園がある。

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船路井櫻之詩

  葛城三十八景

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船路という地名にはどのような意味があるのだろうと思い尋ねてくると、それは古歌の中に詠まれていました。
船路の山には老櫻があり、その付近からきれいな水がこんこんと湧き出ていました。
櫻の花を眺め湧き出る水に手を浸し過ぎゆく春を惜しみました。

御所(ごせ)寺内町

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御所駅から東に歩くと葛城川を挟んで西は御所の商業都市(西御所)で東が御所寺内町(東御所)となる。
江戸時代初期に形成された陣屋町です。その後も奈良中南部の中心地として繁栄しました。

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二つの町が形成され、江戸時代の検地絵図がいまでも使えるほど町のかたちはよく残っていて家々の間を流れる水路(背割り下水)まで、ほぼ当時の姿をとどめているといわれています。

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飛び超え石

「まつち」は大和と紀伊國との境の地である。
真土山の西には国境となる落合川の流れがある。その流れが狭まり「飛び超え石」とも呼ばれる大岩の窪みを流れている。
萬葉の時代の旅人はこの岩を跨ぎつつ、都の家族や旅先への思いを馳せた。(写真左大和右紀伊國)

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大和街道

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大師井戸(冷水)

横笛の歌

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大師井戸(ひやみず)
弘法大師は高野山草創のみぎりこの地をお通りになり、飲料水の不自由を哀れに思われこの井戸を作られたという。
干ばつで付近に水が無くなってもこの井戸水は絶えたことがないと云われている。
昭和28年に水道が出来るまで近辺三十余戸感謝し飲料す。冷たいので別名「冷水」の名あり、中段より下原形なり、深さ一米周囲五米、裏の坂は万葉の古道で冷水坂という。

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横笛の恋塚


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説明によると、平家に仕えた名門武士、斉藤時頼(滝口入道)が雑仕横笛(ぞうしよこぶえ)と恋におちたが、実らぬ恋と悟って時頼は出家し嵯峨の往生院に入りました。
後に高野山で多門坊淨阿(たもんぼうじょうあ)と称し、仏門修行の毎日を送りました。 
横笛も跡を追い、奈良の法華寺で生涯を終えたとか、桂川に諸説はがありますが、治承三年(1179年)高野山に入った時頼のあとを慕いここに庵を結び、恋しい人にあうこともなく十九歳で病の為に亡くなったと伝えられています。里人により庵のそばに葬られたという塚、それが横笛の恋塚です

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「かつらぎ町今むかし話」によると……
たまたま天野を通った僧から、横笛の話を聞いた
滝口入道は心のあかしの和歌を横笛におくった。


   そるまでは  うらみしかども  あずさ弓  まことの道に  入るぞうれしき

横笛は、この和歌を受けて

   そるとても  なにかうらみん  あずさ弓  引きとどむべき  心ならねば

と優しく答えました。



   横笛の、病のとこに、滝口入道から送られてきた和歌は、

高野山 名をだに知らで 過ぎぬべし   うきよよそなる わが身なりせば


   それにこたえて横笛は、


やおや君 死すればのぼる 高野山  恋もぼだいの たねとこそなれ
                                          と、今もかわらぬ思いを伝えました

西行堂(天野の里)


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「西行(1118〜90)俗名 佐藤義清は、田中莊領主の出身(那賀郡打田町)、鳥羽上皇の北面の武士。23歳で出家して法号円位、諸国を行脚して花と月と旅を主題に心の思いを率直に表現した平安後期の天才歌人、遁世修行を行うなかで多数の秀歌を残した。山家集は遁世者の感懐をみごとに歌いあげている。
「新古今和歌集」の代表的な歌人の一人でもある。出家後も、昔の同僚で時の権力者、平清盛との人脈を活用、熱心な交渉者として、高野山のために働いた。
西行の妻と娘が住まいとした庵を、天野の里人は西行堂として昔から守り続けてきた。
妻は、西行出家の二年後この地を訪ねて庵を建てました。娘も十五歳の時、出家して母とともに生涯を過ごした。」
との説明がある。(堂は西行を慕った村人が建てたとも)

天野の里

和歌山県は標高450メートルに位置し周りを山に囲まれた「かくれ里」、日本の里100撰にも選ばれた「天野の里」に紅葉を見に行こうと案内してもらいました。

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また「歴史の里 天野」は1700年前の丹生都比売神社や1200年前の空海にまつわる史跡が数多く点在します。

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かつては、「高野のかくれ里」と呼ばれた天野盆地には昼前に着いたがマウンテンバイクのハンドルを握る手が手袋がなくては痺れました。

紀の川水管橋

この水管橋は紀の川用水土地改良区が農林水産省から委託管理を受けていることから、紀の川の水を汲み上げて農業用水に使っているのだろう。

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