知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2014年05月

萬葉植物園

JR奈良駅から三条通を東へ行くと萬葉植物園がある。
萬葉集にゆかりの深い春日野の地に、約300種の萬葉植物を植栽する、我国で最も古い萬葉植物園として開園されました。

萬葉植物園

9000坪の園内は、萬葉園・五穀の里・ 椿園・藤の園に大きく分けられています。2度目の訪問になるがこの時期は藤の花も終わり少し物足りない感がある。

萬葉植物園

静寂な園内で澄んだ空気と新緑に身を置くと心身が洗われた気持ちになる。

萬葉植物園

 麝香藤(じゃこうふじ)

萬葉植物園

萬葉植物園


萬葉植物園過去の日記

アケビ

奈良公園内の「ささやきの小径」を通って住宅地に入ると志賀直哉旧居がある。

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住宅地でアケビを見た。
子供の頃には秋になって山に入ればアケビが割れて紫色の果実がいくらでもあった。実は美味しいのだが種が多くて食べずらかったのを記憶している。

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山野にはえる落葉つる性植物、4〜5月に開花し秋に果実が熟すと縦に裂開する。
和名アケビは果肉が裂けるので「開け実」「開けつび」など多説がある。

志賀直哉旧居

昭和3年に志賀直哉が自ら設計し、数寄屋造りに巧みな京都の大工に依頼して建築させた。
この居宅で「暗夜行路」を完結し幾多の作品を書いた。そして、文人であり美術にも造詣の深い志賀直哉を慕う文人、画家たちが多く集まるサロンにもなった。

旧志賀直哉邸門

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 玄関

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 書斎
「暗夜行路」は若い頃に読んだ記憶があるが覚えてはいない。

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 茶室

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 食堂

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 サンルーム

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奈良学園は奈良文化女子短期大学セミナーハウスとして建築細部まで旧に復して保存し一般公開している。

参道

春日大社一の鳥居を潜って万葉植物園との間で見た光景、平日にも関わらず人が多い。

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お詫び; 28日から29日と三重県に行きます。訪問できないことをお詫び申し上げます。

飛火野

 JR奈良駅

奈良駅

奈良駅から三条通を東にゆるやかな坂を登ると右に猿沢の池が左に興福寺が見えてきます。
そのまま直進すると左の奈良国立博物館を越えた右側が飛火野になります。

飛火野

奈良市街の東方を春日野という、東大寺・興福寺・奈良国立博物館・春日大社などを占める範囲で、その中で、春日大社参道の南側を特に飛火野といい、能の舞台とされています。
「飛火」の字が当てられていますが、古くは野守が狼煙を上げていた場所と伝えられています。

飛火野

時間がゆっくりと過ぎてゆくような気持ちになります。

開山堂(東福寺)

東福寺主要伽藍の北には洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋と名付けられた三本の橋が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。通天橋を渡って右に階段を登ると開山堂(常楽庵)がある。

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静寂な普門院前から市松模様の枯山水庭園や池泉式庭園を鑑賞するも良し。

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東司

「東司(とうす)」(東福寺)
東司とは便所の建物を云い、俗に百間便所(百雪隠)と称し、禅宗叢林の便所では日本最古最大で、現存する唯一の遺構である。
当時の排出物は貴重な堆肥肥料であり京野菜には欠かせない存在であった。京都の公家、武家、庶民の台所を野菜で潤していた。
叢林としても現金収入の大きな糧となっていたと云われる。

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禅僧は用便も修行であり東司に行くにも厳しい作法が定められていた。

八相の庭

東福寺方丈 八相の庭

 恩賜門

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 南庭

八相の庭とは、四庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」「五山」「井田市松」「北斗七星」の八つを、「八相成道(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)に因んで命名されたもの。

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 東庭

雲文様地割に円柱の石で北斗七星を構成して北斗の庭と呼ばれる。
北斗七星に見立てた石は東司(重要文化財)の柱石の余石を利用したもので後方には天ノ川を表した生垣が配され、夜空が足元に広がるかのような小宇宙を造りだしている。

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 五山

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 西庭

サツキの刈り込みと砂地とをくず石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化し井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み「井田市松」と呼ばれる。

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 北庭

ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたもの、サツキの丸刈りとの調和の妙も印象深く、秋には背景の紅葉の赤色と唐楓の黄金色とが織りなす色彩感あふれる空間となる。

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雪舟庭園

東福寺芬陀院 雪舟庭園

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芬陀院南庭は画聖雪舟等楊師(1420〜1506)の築造とされています。
雪舟が少年時代を過ごした備中(岡山県)の宝福寺は東福寺の末寺で芬陀院との縁は深く、雪舟が本山に参った時には芬陀院に起居していました。

庭園様式は、禅院式枯山水庭園で、作庭の時代は寛正・応仁(1460〜68)頃と認められており、京都で最古の枯山水庭とされています。

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雪舟の少年時代、涙で鼠を描いたという逸話はよく知られていますが、関白の兼良公はそれを思い出し、雪舟に亀を描くことを所望されました。
ある日、雪舟は庭にでて砂を整え、石を動かし始め、次第に亀の形になり立派な石組みの亀ができました。
雪舟は筆ではなく石組みで亀を描いたのです。

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 東庭と図南亭

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三門と勅使門(東福寺)

京都東山南端に位置する東福寺の門は、月下門(月華門)、二王門(仁王門)、三門、六波羅門、南門、中門、北門、日下門、勅使門等があります。

勅使門(開かずの門)
天皇の勅使をお迎えするときに使います。三門の前に池があり、勅使専用の橋が架かっています。

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三門
五間三戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺(柱間五間で入口が三つの門を五間三戸という)

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東福寺三門は、元応元年の大火によって失われた後、応永年間(1394年〜1428年)に室町幕府四代将軍、足利義持によって再建されました。
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