高橋克己は、明治25年(1892年)、和歌山県海部郡木本村(現:和歌山市木ノ本1038番地)に7人兄弟の長男として生まれる。木本尋常小学校、旧制和歌山中学校(現:県立桐蔭高等学校)を卒業、その後第三高等学校、東京帝国大学農学部農芸学科を経て、東京帝国大学院に入学し、鈴木梅太郎教授のもと油脂成分の研究に取り組む。
大正9年、奈良県の藤岡長二郎六女・英子と結婚し、大正11年に長女・ユリが生まれ、大正13年には次女・多恵が生まれている。
卒業後、財団法人理化学研究所でさらに研究を進め、世界ではじめてビタミンAをタラの肝油から分離抽出することに成功した。
さらに、ビタミンAの性質や生理作用についても研究を重ね、多くの病気(特に夜盲症や肺結核等)の治療に効果があることを発見し、「理研ビタミン」の名称で栄養剤として商品化した。
大正13年ビタミンAに関する業績により鈴木梅太郎とともに帝国学士院賞が授与され、賞金は彼の意志により母校である和歌山中学校(現:和歌山県立桐蔭高等学校)に全額寄附され、同校ではこれを基金として「高橋賞」を設け、大正15年から昭和20年(1945年)に至る間、理化学の成績優秀な生徒に授与された。大正14年農学博士の学位が授与されるが、8日後、病のため死去32歳であった。生誕122年が経過しました。