長谷川家は江戸時代以来、三井家・小津家・長井家等とともに松阪を代表する江戸店持ちの豪商でした。
創業の祖とされる三代政幸は、延宝三年(1675)30歳で独立、「丹波屋次郎兵衛」を名乗って江戸大伝馬町で木綿仲買商を始め、貞享三年に木綿仕入問屋になりました。
創業後、政幸は松阪へ戻り江戸店の経営はすべて支配人に任せています。そして松坂木綿を中心とする伊勢国産の木綿や尾張・三河国産の木綿を松阪本家で仕入れ江戸で販売するなど、その殆どを木綿一筋に江戸時代を歩んできました。
その後、分店・新店・向店を開業、また、分家の武右衛門家を亀屋開業、六郎次家を戎屋の屋号で江戸大伝馬町で開店しました。
松阪においては、紀州藩の御為替組御用を務めながら士分格で苗字・帯刀を許された「独礼格地士(どくれいかくぢし)」として五十人扶持を下賜されていました。
創業の祖とされる三代政幸は、延宝三年(1675)30歳で独立、「丹波屋次郎兵衛」を名乗って江戸大伝馬町で木綿仲買商を始め、貞享三年に木綿仕入問屋になりました。
創業後、政幸は松阪へ戻り江戸店の経営はすべて支配人に任せています。そして松坂木綿を中心とする伊勢国産の木綿や尾張・三河国産の木綿を松阪本家で仕入れ江戸で販売するなど、その殆どを木綿一筋に江戸時代を歩んできました。
その後、分店・新店・向店を開業、また、分家の武右衛門家を亀屋開業、六郎次家を戎屋の屋号で江戸大伝馬町で開店しました。
松阪においては、紀州藩の御為替組御用を務めながら士分格で苗字・帯刀を許された「独礼格地士(どくれいかくぢし)」として五十人扶持を下賜されていました。