知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2015年10月

土塔の復元

発掘調査では十三層の形状が明らかにならなかった為、ひとつの可能性を模型で表しています。十二層には直径約6メートルの円形に粘土が並んでいたことから、十三層は饅頭形の土壇の上に八角形の木造建物が復元されています。

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また、出土した遺物から木造建物には陶製の相輪があったと考えられています。

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建物の形状は、法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)や、栄山寺八角堂(奈良県五條市)室生寺五重塔(奈良県宇陀市)を参考に造られています。

土塔(供

土塔は全面に瓦が葺かれていました。その数約60.000枚です。また、各層の垂直面にも瓦を立てて風雨による盛土の崩壊を防いでいましたが、葺かれていた瓦の製作年代から、室町時代瓦葺きの補修が行われていました。

南西面

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南東面

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昭和10年頃の土塔、西面

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土塔からは、文字を記した瓦が約1.300点出土しています。大半は人名で、行基と共に土塔を建立した「知識」と呼ばれる人々の名を記したと考えられ、男女を問わず僧尼や士族の名も見られます。

土塔

土塔は大阪府堺市出身の奈良時代の僧・行基が建立したとされる四十九院のひとつ、大野寺の仏塔です。
平安時代に書かれた「行基年譜」には神亀4年(727)の起工とあり、鎌倉時代の「行基菩薩行状絵伝」にも、本堂・門とともに「十三重土塔」と記された塔が描かれています。

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発掘調査によって、土を盛り上げた一辺53.1メートル、高さ8.6メートル以上の十三重の塔で、各層には瓦が葺かれていたことがわかりました。

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西面

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南西面

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東面

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「行基年譜」の記述と同じ「神亀4年」と記された軒丸瓦も出土しています。現在の姿は全体を盛土で保護し、十二層まで復元したものです。土塔に使われた瓦を焼いた窯跡が2基見つかっています。また、北方には行基が天平13年(741)以前に造った「薦江池」ではないかと考えられる「菰池」という池もあります。

ことば

日本には四季があって、春夏秋冬、様々な言葉が使われる。日本言語文化である。

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季節は「秋」
秋思(しゅうし)   冬へと近づく秋 しんみりと、もの思いにふけるさま
錦秋(きんしゅう) 紅葉が色づき、錦のように美しい秋のこと
花野        秋の七草をはじめ、たおやかで可憐な秋の草花が咲き乱れた野原のこと

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山茶花ちらし   秋から冬にかけて咲く山茶花、その花を散らして降る冷たい雨のこと
秋麗(あきうらら)柔らかな日差しに秋を思う、厳しい冬を前にした時期に訪れる穏やかな晴れの日
山装う       鮮やかな紅葉に彩られた山のようす、中国・宋の時代の漢詩が語源

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秋果(しゅうか)  秋の果物のこと、春に花をつけた果樹の多くがこの季節に豊かな実を結ぶ
冬隣(ふゆどなり) 立秋を控え冬の厳しさがすぐ近くに迫っている晩秋をさす
一葉の秋(ひとばのあき) 一枚の葉が風もないのに、はらりと散る秋の訪れを感じさせるようす
                                               その他多数あります

泉州堺

泉州堺には、仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群のほか、由緒ある神社仏閣や歴史的な町並み、先人ゆかりの地、伝統産業など長い歴史の中で継承されてきた数多くの歴史文化が残されています。

堺駅周辺にて、

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泉州堺には鉄道駅が3駅ある。いずれも南北に走っている。堺駅「難波駅−和歌山市駅」(南海本線) 堺東駅「難波駅−極楽橋駅」(南海高野線) 堺市駅「天王寺駅−和歌山駅」(JR阪和線)

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千利休が与四郎と言われていた頃、武野紹鷗という茶人に弟子入りしました。紹鷗は塵ひとつない綺麗な庭を与四郎に掃除させたところ、与四郎が木を揺すって落ち葉を散らし庭に風情を出したことに感心し、弟子にした話が残っています。

武野紹鷗

武野紹鷗は文亀二年(1502)大和で生まれ、のち堺に移りました。皮屋の号を持つ豪商のひとりです。

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若い頃、京で三条西実隆に和歌を、村田珠光の流れを継ぐ茶人に茶の湯を学び、堺に帰って津田宗及、今井宗久、千利休らに珠光の「わび茶」を伝えました。
宗久を娘婿にして、財産・茶器を譲ったと伝えられています。茶人の北向道陳らと交友し、南宗寺の大林宗套に禅を学びました。
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