知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2015年11月

炭酸源泉(有馬温泉)

湯泉神社

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炭酸泉源

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有馬温泉道標

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有馬温泉歴史コースを歩き終え、路線バスでゆっくりと宝塚駅まで帰りました。

温泉寺(有馬温泉)

奈良時代、温泉で人々を病から救おうと行基が724年に建立しました。温泉寺には行基・有馬温泉中興の祖・仁西の像が祀られており、1月2日の入初式には温泉の初湯で沐浴される。本堂の波夷羅大将立像は国の重要文化財に指定されている。

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ねがいの泉

極楽寺
594年、聖徳太子によって創建され、1996年庫裏再建のため解体、発掘の結果、豊臣秀吉湯山御殿跡の遺構が発見され、1997年神戸市の指定史跡第2号(伝豊太閤湯山御殿跡)に指定されました。

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有馬温泉の歴史は古く、神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が三羽の傷ついた鳥が湧き出した泉で傷を癒やしているのを見つけて温泉を発見したのが始まりと伝えられています。
「日本書紀」にも舒明天皇(631年)や孝徳天皇(647年)が御幸したとの記述があり、、日本最古の温泉といわれています。
有馬温泉が世に広く知られるようになったのは奈良時代に行基が温泉寺を建立し、また、鎌倉時代には僧仁西が十二の宿坊を建ててからといわれ、さらに太閤秀吉公は、湯治のためにたびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰退した有馬の改修を行い湯山御殿を建てました。
江戸時代になってからは、その効能により全国でも評判の湯治場となった有馬には多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒といわれる繁栄をするに到りました。

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「ねがいの泉」
このデザインは「景」をモチーフとしており、「その昔、大洪水により有馬温泉が壊滅していたとき、1191年のある日、僧仁西が夢のお告げで温泉の復興を命じられ、落景山までやってきたが泉源の位置がわかりませんでした。
途方に暮れている仁西に、老人に姿を変えた熊野権現が景を授け、その景の落ちたとことから温泉がこんこんと湧き始めました。」という。有馬温泉にまつわる伝説に由来しているという。

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念仏寺

天文七年(1539)の創建で、太閤の正室、ねねの別邸跡と伝えられています。苔の庭が美しく樹齢270年の沙羅の大木(ナツツバキ)があります。

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「拝む手が尖る世間の角をとる」」

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銀の湯(有馬温泉)

銀の湯は、有馬温泉郷にある温泉入浴施設です。温泉は炭酸泉源から引いているものにラジウム泉をブレンドした銀泉です。

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シチダンカ
「幻のアジサイ」と呼ばれるシチダンカ(七段花)は江戸時代後期、シーボルトが「フロラ・ヤポニカ」で紹介しています。しかし、それ以降は実物を見た人がなく、永らく「幻のアジサイ」「幻の花」と呼ばれていました。1959年六甲山で130年ぶりに発見され、その後、挿し木によって増殖されるようになりました。
紅葉谷ハイキングコースの「癒しの森」の入口付近に群生しています。

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峠の吊り橋(錦織公園)

11月初旬天気も良く暖かい日だったのでクロスバイクで大阪府営錦織公園の紅葉はどうかと行ってみました。
海抜80メートル位なので少し早いとは思っていたがやはり早かった。

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いつも下から見上げていた「峠の吊り橋」二の谷から上ってみた。

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「尾根の花径」から「はんのき阪」を下って帰りました。

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妬湯(うわなり湯)

この温泉は間欠泉で、湯の量は少なく最近では昭和30年代に湧出し、現在は湧出していない。この温泉の由来は定かではないが江戸時代の本(摂津名所図絵、有馬手引書・和漢三才図絵)には女子が盛装してこの温泉の前に立つと激しく湧いて止まらないとか、自分の憎い心や悪口を言ってののしればたちまち湧くと記されているとある。

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妬泉源

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金の湯

有馬温泉には有馬温泉散策コースとして、6コースある。私は歴史コースを選んだ。

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金の湯

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太古の昔より続く有馬の歴史を探訪するコースで、途中、寺社が隣接する界隈があり、また、数々の史跡も残されており、有馬の湯は大地の奥深くから湧き出す二泉(金泉・銀泉)があり、環境省が療養泉として指定する9つの主成分のうち7つもの多様な成分が含まれる良質な湯として知られています。

有馬温泉「ねねの像」

有馬川に架かるねね橋の袂にある「ねねの像」

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湯けむり広場にある豊太閤像

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有馬温泉の歴史
有馬温泉の歴史は古く、神代の昔、大己貴命と小彦名命の二神が三羽の傷ついた鳥が湧き出した泉で傷を癒やしているのを見つけて温泉を発見したのが始まりだといわれています。
日本書紀にも舒明天皇や孝徳天皇が御幸したとの記述が有り、日本最古の温泉といわれています。有馬温泉が世に広く知られるようになったのは、奈良時代に行基菩薩が温泉寺を建立し、また、鎌倉時代には仁西上人が十二の宿坊を建ててからといわれ、さらに太閤秀吉公は、湯治のためにたびたび有馬を訪れ、戦乱や大火で衰退した有馬の改修を行い、湯山御殿を建てました。
江戸時代になってからは、その効能により全国でも評判の湯治場となった有馬には多くの人々が湯治に訪れ、有馬千軒といわれる繁栄をするにいたり、その繁栄は今日の礎となっている。

有馬温泉へ

宝塚駅前から有馬温泉へは阪急バスがある。約1時間の道程であった。

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先日、コンビニで買い物をしたときに400円ほど多く請求された。指摘すると店員は平謝り、足し算は解りやすい。 買い物が多ければ解らなかっただろう。
しかし、15円の品物を17個買ったらいくらになるのか。暗算できる方法がある。
11〜19のかけ算

15×17=255         (例) 17×16=272
(15+7)×10=220          (17+6)×10=230
5×7=35                7×6=42
220+35=255             230+42=272     (あくまで11〜19)までのかけ算です。
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