知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2016年01月

影向垣

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影向垣(ようごうがき) 影向とは神仏の来臨のこと

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愛染桂

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愛染桂

樹齢1200年の老木で天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれています。境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで故川口松太郎氏が第一回直木賞受賞)「愛染かつら」を書かれたことは有名です。

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北向観音堂

北向観音は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院で近くにある天台宗常楽寺が所有する。

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寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創されたといい。安和2年(869年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興し鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建されたと伝えられる。

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北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来し、これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれ、 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうといわれる。

足湯(別所温泉)

この辻を左にゆくと足湯がある。

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足湯「ななくり」 この天気では入る気にはならない。

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湯かけ地蔵

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上田の在の信心深い春蔵が、佐渡に流刑された日蓮聖人を慕って佐渡のとある沼地を通りかかると「春蔵、春蔵」と呼ぶ声が聞こえた。辺りには誰もいない。
「泥にまみれて永いこと此処にいる。一度信濃の湯につかりたい。身を清められたらお前の願いを叶えよう」
春蔵は驚いて沼に入り泥の中から一体の地蔵尊を採り出し、急ぎ信濃に帰り別所の湯に入れた。それからの春蔵は美しい女人と結ばれ子宝にも恵まれて幸せな日々を送ったという。

別所温泉

上田駅で満員状態だったが「大学前駅」で殆どの乗客が降りていった。

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別所駅

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天長2年(825)比叡山延暦寺の円仁が北向観音堂建立にあたり好んで入浴したので大師湯と名付けられたと伝えられる。

大師湯

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昔矢傷を負った雉子が湯あみして傷をいやしたので「雉子湯」と呼んでいたことも、

一夜明ければ

長野県は上田駅前のホテルに宿泊し、一夜明ければ辺りは真白になっていた。

18日8時30分頃の上田駅前

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上田鉄道別所線で別所温泉へ

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真田の郷

小諸に来ています。

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大河ドラマ「真田丸」が始まっています。上田に移動します。

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天王寺公園

天王寺駅前にある天王寺公園、暫く来なかったら随分と変わってしまっている。

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子供連れが多く遊んでいた。

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突き当たりが天王寺動物園入り口だ。

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天王寺公園は、明治42年に開設された公園です。 旧住友家の名園慶沢園や茶臼山、市立美術館・天王寺動物園があります。

稲むらの火

これは昭和12年文部省発行、小学校国語読本巻十(五年生用)に「稲むらの火」として濱口梧陵が津波の時、村人を救った事跡が登載されました。

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巻十 稲むらの火

 「これは、たゞ事でない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出て来た。今の地震は別に烈しいといふ程のものではなかった。
しかし、長いゆつたりとしたゆれ方とうなるやうな地鳴りとは老いた五兵衛に、今まで經験したことのない不気味なものであった。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下した。村では豊年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には一向氣がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸い附けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には廣い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ。津波がやって来るに違ひない。」と五兵衛は思った。此のまゝにしておいたら、四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまふ。もう一刻の猶予は出来ない。

 「よし。」
と叫んで家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出して来た。そこには、取入れるばかりになってゐるたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救へるのだ。」と、五兵衛は、いきなり其の稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。かうして、自分の田のすべての稲むらに火をうけてしまふと、松明を捨てた。まるで失神したやうに、彼はそこに突立ったまゝ、沖の方を眺めてゐた。
 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなって来た。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。荘家さんの家だ。」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追ふやうにかけ出した。
高台から見下ろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻の歩みのやうに、もどかしく思はれた。やつと二十人程の若者が、かけ上がつて来た。彼らはすぐ火を消しにかゝらうとする。五兵衛は大声に言った。「うつちやておけ。大変だ。村中の人に来てもらふんだ。」
 村中の人は、追々集つて来た。五兵衛は、後から後から上がって来る老幼男女を一人一人数へた。集まって来た人々は、もえてゐる稲むらと五兵衛の顔とを、代わるがわる見くらべた。
 其の時、五兵衛は力一ぱいの声で叫んだ。「見ろ。やつて来たぞ」

たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、一筋の線が見えた。其の線は見る見る太くなった。廣くなつた。非常な速さで押寄せて来た。
 「津波だ。」と誰かが叫んだ。海水が絶壁のやうに目の前に迫つたと思ふと、山がのしかゝつて来たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとゞろきとを以て、陸にぶつかつた。人々は我を忘れて後へ飛びのいた。雲のやうに山手へ突進して来た水煙の外は、一時何物も見えなかつた。
 人々は、自分等の村の上を荒れ狂つて通る白い恐ろしい海を見た。二度三度村の上を海は進み退いた。
 高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は、波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、たゞあきれて見下ろしてゐた。
 稲むらの火は、風にあふられて又もえ上り夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかへつた村人は、此の火によつて救はれたのだと気がつくと、無言のまゝ五兵衛の前にひざまづいてしまつた。

稲むらの火の館

濱口梧陵ゆかりの地に、数寄屋造りの木造家屋を活用し濱口梧陵の偉業を学ぶ「濱口梧陵記念館」と来たるべき地震・津波に備え、「稲むらの火」や実践的な地震・津波防災を学ぶ「津波防災教育センター」です。

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濱口梧陵は広村(現在の和歌山県広川町)で分家濱口七右衛門の長男として生まれ、12歳の時に本家の養子となり、銚子での家業であるヤマサ醤油の事業を継ぎました。
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