知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2016年03月

小諸城銭蔵

江戸時代に小諸城内に設けられており、享保11年(1726)牧野康周時代の建築である。

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間口三間、奥行き二間の木造二階建、瓦葺の土蔵で主な特徴は板張りの床下に石室があり、その規模は四尺六寸五分に三尺一寸二分深さ二尺六寸五分で長方形を呈する。蓋は車付きの一枚の平らな石を用い、これを滑らせて引き開けるように造られ盗難や火災を防いだ蔵である。

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虚子句碑

この地は、高濱虚子が昭和19年から22年まで疎開されていたところであり、その旧居「虚子庵」が隣接しています。

       − 人々に 更に紫苑に 名残あり −

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高濱虚子旧居

虚子は、明治7年愛媛県松山市に生まれ、明治27年同郷の正岡子規を頼って上京、明治43年から没年までは神奈川県鎌倉に住んだ。

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近代俳句の巨匠高濱虚子は昭和19年9月折りから激しさを増した戦火を避けて、小諸に疎開、昭和22年10月まで、足掛4年をこの家で暮らした。
小諸時代は温暖の地に生まれ暮らした虚子に山国の厳しくも美しい風土を知らしめ虚子文学を真に偉大で幅広いものへと育んだ。

小山家(小諸)

この建物は、400年以上前に建てられたもので、東日本に現存する最も古い民家のひとつです。江戸時代に小諸与良町の庄屋をつとめた家で、当時のままの立派な玄関、庭に面した座敷があります。

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小諸のお殿様が時々訪れていたので、警戒が厳重な造りとなっており、玄関には中からだけ相手が見えるのぞき戸があり、いざという時に殿様が身を隠すための隠し扉や、警備の人が隠れている部屋があります。江戸時代後期に一部改築されていますが、中央広間や大床のある部屋は建築当初のままです。
三角の切妻板葺き屋根、農家に似た部屋割り、門は薬医門で、江戸時代初期の有力な町人の屋敷の姿をよく残しています。道路側に堂々とした切妻屋根を見せているのも町屋の建築としては珍しく貴重な建物です。

酢久商店/小山家

小諸の、北国街道沿いにある酢久商店は「山吹味噌」のブランドで全国的に有名な味噌屋で、この建物の奥に大きな工場があります。北国街道に面した土蔵とその奥のご自宅は幕末の建物で、入り口に掲げられている「御味噌」という看板は、たいへん凝った彫刻が施されたものです。

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小山家の屋号は「酢久」もしくは「やま九」と呼ばれ、江戸中期から酢・味噌醤油の醸造を始め、その後関東をはじめ各地から仕入れた畳表、かつお節、茶、塩などを長野県内に卸す問屋業としても成功しました。
小諸藩の御用商人として藩にお金を貸して武士に近い身分を与えられた旧家です。

藤村の井戸

明治32年、小諸義塾の教師として小諸に暮らした島崎藤村夫妻が水を汲みに来た井戸です。その頃は、ロープと桶で水を汲み上げる「つるべ井戸」でした。
「信州の小諸で暮らした7年間のことを考えてみても、先ず自分の胸に浮かんで来るのは、あの小諸の住居の近くにあった井戸端です。」と島崎藤村は書いています。

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お嬢さん育ちであった冬子夫人が、てぬぐいを頭にかぶり着物を尻っぱしょりをしてつるべ井戸から水を汲み、手桶をさげて持ち帰る姿を近所の人は毎日見ていました。冬子さんも近所の人達との井戸端会議の輪に入っていたということです。
島崎藤村はこの場所のことを次のように文章にしています。
「夜九時過に、馬場裏の提灯はまだ宵の口のように光った。組合の人達は、仕立屋や質屋の前あたりに集まって涼みがてら祭りの噂をした。この夜は星の姿を見ることが出来なかった。蛍は暗い流れの方から迷ってきて、町中を飛んで、青い美しい光を放った。」(島崎藤村「千曲川のスケッチ」より)

小諸城大手門

小諸城の正門(四之門)は、慶長17年(1612)藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築です。
二層入母屋造りの楼門で、石垣と門が一体化していない事や一階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、二階は居館形式をとっている事など多くの特徴があります。

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この門を建てる際に、大工は江戸から呼び、瓦は三河から運んだとされ、当時はまだ瓦葺きの屋根が珍しかったため「瓦門」とも呼ばれていました。

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明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室として、また、料亭として利用されてきましたが、平成20年に享保五年(1720)改造時の姿に復元されました。

高野下駅(南海高野線)

高野下駅(南海電気鉄道高野線)
何度となく通っているが初めて降りる駅、丹生川に沿って九度山駅まで歩いて見た。

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丹生川

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赤い鉄橋は南海高野線

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映画「エヴェレスト」

久しぶりに難波まで映画を観に行って来ました。それは、エヴェレスト「神々の山嶺」

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ヒマラヤ山脈を望むネパールの首都カトマンズで、山岳カメラマンの深町誠が発見した古いカメラ、そのカメラは、イギリスの登山家ジョージ・マロリーが、1942年6月8日にエベレスト初登頂に成功したのか否かという、登山史上最大の謎を解く可能性を秘めたものだった。
カメラの過去を追う深町は、その過程で、かつて天才クライマーと呼ばれながらも、無謀で他人を顧みないやり方のために孤立した伝説のアルピニスト・羽生丈二と出会う。深町は羽生の過去を調べるうちに、羽生という男の生きざまにいつしか飲み込まれていく。

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松山常次郎記念館

この建物は、藤岡龍介により伝統的な木造建築物として地域の歴史や風土、町並みに調和のとれた建物として、民家として魅力を感じさせてくれます。

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松山常次郎
実業家として、また政治家としての業績を紹介し、また、長女美知子さんは絵画界の巨匠・平山郁夫画伯の夫人でもあり、九度山の文化・観光大使として九度山町の文化・観光・物産等の魅力について紹介しています。
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