知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2016年04月

旧つたや旅館(北国街道 小諸)

「つたや」が旅籠を始めたのは江戸時代初めの1657年で、屋号は「つたや七左衛門」でした。

ギャラリーつたや

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この建物は大正時代に建てられたもので、大正の雰囲気を伝えるモダンなデザインです。「つたや旅館」は江戸時代から昭和の初めまで商人宿として賑わった宿です。俳人の高濱虚子が滞在したこともあり、各部屋には小説家や書家の書き残した書などが飾られています。

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与良家(小諸)

与良家は昔から大地主の農家の屋敷で屋根は草葺きですが現在はトタンで覆ってあります。400年以上前の建築と推定されています。

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主屋は寄棟造、平入りで、間口11間半(約20メートル)奥行き5間(約9メートル)の建物です。表側は縁側の無い古い農家の形式を伝えており土壁と引き戸の配置が美しい建物です。
家の入り口には広い土間があり、土間と居間は建てられた当時のままで、其の時の手斧仕上げの柱が残っています。

山崎屋長兵衛商店(小諸)

大正モダンの代表的な洋風建築で木造モルタル造りです。荒町銀座周辺は大正当時ハイカラな建物が次々と建てられ、銀座会が小諸のなかでも特におしゃれで華やかな街だったことが想像できます。

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明治38年の「小諸商人繁盛記」によると、山崎屋長兵衛商店は、かんざし、珊瑚、くし、香水、化粧品、煙管などのお洒落小物やアクセサリーを売る店で、お嬢さんから芸者さんまで、また結婚式の時などこの店に買いに来たと書かれています。

狭山池祭り

今年、狭山池は築造1400年を迎えた。4月2日(土)恒例の「狭山池祭り」は晴天に恵まれ多くの人で賑わっていた。
平成の大改修で、狭山池周遊路が完成して朝早くから散歩、ジョギングする人が絶えない狭山池公園であるが桜の時期は人で埋まる。

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下記写真は北堤周遊路であるが、平成大改修前は一般道路でもあり両側には桜の古木が立ち並んでいたが改修の折に伐られその後、植えられた若い桜になっている。
また、東面の狭山遊園地(現在は閉園)の入り口道路にも桜の古木の並木道があったが切られた。現在、古木が残っているのは大阪狭山駅ホームにある桜古木のみとなっている。

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1400年間にわたってその機能を維持・継承されてきた我が国最古のダム形式のため池で、『古事記』『日本書紀』にも記述が見られ、現在の大阪狭山市、堺市、松原市、羽曳野市、大阪市等にわたる広大な灌漑範囲を潤してきました。

北国街道 与良館(旧松屋)

江戸時代の漆器家で、第二次大戦後は家具問屋・松屋が営業していました。戦時中、与良町に疎開していた高濱虚子は「小諸雑記」の中で「松屋は客に対してとてもいい感じの店である」と書いています。

小諸市の施設として昔の建物の姿に修復され、敷地全体は「小諸高濱虚子記念公園」、主屋は「北国街道与良館」として、交流やまちづくりの拠点となっています。

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主屋の奥にある蔵は、江戸時代に小諸城の西側にあった銭蔵です。銭蔵は小諸藩の金庫だったので、千両箱を隠していたという石の蓋のついた秘密の地下室があります。
また、敷地の一番奥の小屋は、昭和21年頃につくられた虚子の仕事場「排小屋」を修復したものです。この頃、虚子の主幹していた俳句雑誌「ホトトギス」600号祈念句会が小諸で催されました。
与良町の昔の家はどこも、奥に長く傾斜したゆとりある敷地に主屋、中庭、蔵、離れの順で建物が並び、その周囲には田園風景が広がっています。

この施設は、与良町の伝統的な町屋の形をよく伝え、与良は水の豊かなところなので敷地に水路のある家もあり、高濱虚子は多くの俳句を残しています。虚子の歩いた路は「虚子の散歩道」として保全が進められています。
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