知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2016年05月

蓮池透講演会

5月28日、蓮池透さん(元拉致被害者家族会事務局長)の講演会があったので聴いてきました。はじめに、蓮池透さんの著書について「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」の本年1月12日の国会答弁が映像で流された。 

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講演内容
● 何故、拉致問題は膠着状態に陥っているのか
  2002年9月17日の日朝首脳会談は評価に値する 独自交渉で核・ミサイルまで踏み込んだ
  しかし・・・日本政府の被害者の人権無視
        >日朝平壌宣言への署名 「5人生存 8人死亡」を鵜呑みに
        >拉致被害者5人の「一時帰国」 原状回復が基本のはず
● 拉致問題の「解決」とは何か 「定義」を明確にすべき
● 「日朝平壌宣言に則り」と「全員を取り戻す」は矛盾
● 安倍政権の無策
  >「5人を引き止めた」は真っ赤なウソ 「ウソなら議員バッチを外す」とも
  >政治利用し総理大臣にまで上りつめた 政治的野望のため 自己中心的で国民不在
  >実行したのは、経済制裁と拉致問題対策本部(担当大臣)の設置のみ
           経済制裁の有効性 10年で成果なし
  >「あらゆる手段を尽くす」と言うが、議員外交、民間外交などは「二元外交」と否定
● 2014年ストックホルム合意は茶番
  >北朝鮮との対話・交渉路線は安倍首相の政治信条(集団的自衛権の行使)に反する
  >過去、再調査は茶番と言っていた安倍首相
  >広範囲すぎる対象者 拉致 特定失踪者 日本人遺骨 日本人妻 残留邦人
  >「拉致問題が最優先」の弊害 すべての被害者の人権は平等
  >経済制裁の復活・強化でホゴに 日本政府は有効 「対話の扉は閉ざさない」
● 北朝鮮の核実験・ミサイル発射は安倍首相にとって「渡りに船」
  >政策・現状を正当化する「後ろ盾」となる
  >安保法、憲法改正、沖縄米軍基地問題、拉致問題の膠着・遅延 等々
● マスコミの報道姿勢
  >2002年以前と以降 無視から一転過剰報道
  >その後思考停止 「家族会」「救う会」を「聖域化」「タブー化」
  >今後のビジョンを安倍首相に問いただすこともしない
● 拉致問題と過去の問題とは切っても切り離せない
  >北朝鮮とのパイプが切れた中どうするのか
  >「過去の清算」をてこに 具体的な「見返り」を提示
  >米国の干渉にどう対処するのか

−私の主張−
当初からの「対話と圧力」「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」は、ボタンの掛け違いであった。経済制裁等を行っても解決しない、朝鮮は安倍政権の本質を見抜いている。

紅丁字

紅丁字 (原産地はメキシコ 明治期に渡来)
ベニチョウジはナス科の常冂稾擇如⇒佞枠篆坊舛韮押腺儀邵△膨垢毅魁腺気療状の花が咲く。

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百日紅

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塔の大心礎(石光寺)

三段のくりこみの基底部に一直線に3つの穴が並ぶ、穴は舎利をおさめるためのもの。天武九年(681)発願の本薬師寺東塔や養老2年(718)遷造の薬師寺西塔の心柱の礎石と同じ手法ではないかといわれるが、基底部の穴のあたりが異なる。白鳳時代のもの。

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沙羅の木

沙羅の木

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御柳梅

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四阿にて

昨日は天気もよかったので公園で読書をしようと、コンビニで昼食等を買った時のこと、抽選券を6枚貰いました。何と6枚とも当たりと言うのです。ドリンク3本とアイスクリーム3個でした。

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人は、寒い日には陽のあたるベンチを探すし、暑い日は涼しい木陰を求めるものです。

与謝野晶子歌碑

       初春や当麻の寺へ文かけば
            奈良の都に住むここちする

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与謝野鉄幹歌碑

       時雨ふる日はおもひいづ
       当麻の里の染寺に
       ひともと枯れし柳の木
       京の禁裡の広前に
       ぬれて踏みける銀杏の葉

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本居長世 作曲

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小山敬三記念館

小諸出身で島崎藤村とも親交のあった小山敬三画伯は、9年間のフランスでの勉学を終え、昭和3年、マリー・ルイズ夫人を伴い日本に帰郷され、初めて居を構えたのが神奈川県茅ヶ崎市でした。

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敬三画伯は茅ヶ崎の松林の中にふる里小諸の木材等を調達し、フランスからも暖炉や家具を取り寄せるなどして、モダンな「住居兼アトリエ」が完成しました。
この家を拠点に絵画の制作に取り組まれ、美術界にかがやかしい功績を残しました。この「思い出のアトリエ」を小諸市へとの画伯の強い遺志により、令嬢中嶋蓉子から遺品とともに小諸市に寄贈されました。

小山敬三美術館

この美術館は、小諸出身の小山敬三画伯が1975年美術館を建設し作品と共に小諸市に寄贈したもので画伯の代表作品「浅間山」「城」シリーズ、肖像画をはじめ、水彩、デッサン画などの作品が展示されています。
また、建物の設計は村野藤吾氏によるもので建物、絵画、眺望の集合美をかなえた美術館と云われています。

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武器庫(小諸城)

この建物は文化14年(1817)藩主牧野康長が建てたもので、廃藩後取り壊され八幡村依田仙右衛門宅へ移し更に東京へ移築し使用していたものを、当時の外観などを原形に近づけ復元したものである。

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