銅門は、小田原城二の丸の表門で南側の馬屋曲輪やお茶壺曲輪とは住吉堀によって隔てられており、江戸時代には馬出門土橋から城内に入り銅門を通って二の丸御殿や本丸・天守へと進むようになっていました。
銅門(あかがねもん)は明治5年に解体され、現在の銅門は昭和58年から行われた発掘調査や古写真・絵図などを参考に平成9年に復元されたものです。
銅門の形式は、石垣による桝形、内仕切門、櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で本来の工法で復元されました。
天守閣に通じる登城ルート上に設けられ、扉の飾り金具に銅を使用していたことからその呼び名がついたと云われている。
櫓門の梁;マツ 柱・扉;ヒノキ
銅門(あかがねもん)は明治5年に解体され、現在の銅門は昭和58年から行われた発掘調査や古写真・絵図などを参考に平成9年に復元されたものです。
銅門の形式は、石垣による桝形、内仕切門、櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で本来の工法で復元されました。
天守閣に通じる登城ルート上に設けられ、扉の飾り金具に銅を使用していたことからその呼び名がついたと云われている。
櫓門の梁;マツ 柱・扉;ヒノキ