知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2016年10月

妙本寺(鎌倉市)

この寺一帯の谷を比企谷(ひきがやつ)といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。
比企一族は二代将軍・頼家の後継者の際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされました(比企の乱)。

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その後、乱から逃れていた末子能本が一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。これが妙本寺の始まりと云われています。
4月から8月にかけて、さくら、カイドウ、シャガ、ノウゼンカズラ等が花をつけます。

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栴檀

暖地の海岸近くに自生する。本来の自生は四国までとされるが、公園などに植えられたものの逸出、野生化で関東地方〜宮城でも自生が見られる。
樹高は、10〜15メートルくらいで花の時期は、新緑とともに樹の梢にもやがかかったように紫色の花が咲く。
「栴檀は双葉より芳(かんば)し」とする栴檀は日本で言う白檀のこと。

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葉は互生し、2〜3回羽状複葉。小葉は卵形または卵状長楕円形で、縁は鈍い鋸歯がある。複葉の全体は大きいが、小葉は小さい。
花は5〜6月に、今年の枝の基のほうの葉腋から複集散花序を出す。花は小さく2センチほど。萼片、花弁は5枚、雄しべは紫色で花糸が合生し筒状になる。

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本覚寺(鎌倉市)

本覚寺のある場所は幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂を建てたと云われている。その後、鎌倉の公方・足利持氏が寺を建て寄進したのが本覚寺であると伝えられる。

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日蓮大聖人辻説法跡

日蓮大聖人は建長五年(1253)、安房(千葉県)から鎌倉に来て、訪ねた名越家は郎党に命じて、快く自分の土地の松葉ヶ谷に草庵を建てました。
鎌倉時代、この辺りは武家屋敷と商家町が混在した地域と考えられ、毎日のようにこの辺り(小町の辻)を訪れて、法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられています。

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大銀杏(鶴岡八幡宮)

建保7年(1219)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。しかし、当時の樹齢を考えると、人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため真偽は不明。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり現在の樹は2代目であるとする説もある。1955年より神奈川県の天然記念物に指定され、樹齢800年とも1000年余とも云われていた。

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2010年3月10日に、強風のために大銀杏は根元から倒れた。元の場所に残された根から若い木が勢いよく伸び出し、移植した幹からも萌芽し葉を付けている。

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鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮

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「康平6年(1063)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年(1081)2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。」とある。

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鶴岡八幡宮から若宮大路を望む

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