旧前坊家住宅 (旧所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山二五七六)
この住宅は吉野山の門前町筋にあって金峯山寺仁王門と発心門(金鳥居)のほぼ中頃、大道を北面して屋敷を構え、代々吉野水分神社の神官を務めたと伝える家です。
この建物の建築年代は主屋(切妻造一部二階建)廊下及び離座敷の建築年代を示す資料は明らかでありませんが、解体中の各種の部材調査から総合的に判断すれば、主屋の居室、表側の四室の柱が、経年的からみて十八世紀に遡るものとみられる以外、主要軸部材は十九世紀中頃であり、また転入材もあるところからみて弘化年間(一八四四〜七)頃に主屋の大修理・改造を行い順次、渡廊下及び離座敷を建てたものと考えられる。
主屋は大道に北面して懸造(吉野建)で、離座敷は主屋後方に建て、この間を渡廊下で接続した逆コの字型の建物配置です。
移築前の屋根は母屋と離座敷の一部、庇の桟瓦葺き以外は波形鉄板葺きでしたが全て杉皮葺きに復原した他はおおむね移築前と同じです。
この住宅は吉野山の門前町筋にあって金峯山寺仁王門と発心門(金鳥居)のほぼ中頃、大道を北面して屋敷を構え、代々吉野水分神社の神官を務めたと伝える家です。
この建物の建築年代は主屋(切妻造一部二階建)廊下及び離座敷の建築年代を示す資料は明らかでありませんが、解体中の各種の部材調査から総合的に判断すれば、主屋の居室、表側の四室の柱が、経年的からみて十八世紀に遡るものとみられる以外、主要軸部材は十九世紀中頃であり、また転入材もあるところからみて弘化年間(一八四四〜七)頃に主屋の大修理・改造を行い順次、渡廊下及び離座敷を建てたものと考えられる。
主屋は大道に北面して懸造(吉野建)で、離座敷は主屋後方に建て、この間を渡廊下で接続した逆コの字型の建物配置です。
移築前の屋根は母屋と離座敷の一部、庇の桟瓦葺き以外は波形鉄板葺きでしたが全て杉皮葺きに復原した他はおおむね移築前と同じです。