知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2018年12月

大和路の恋(山辺の道)

大和路の恋 
 
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歌 水森かおり  作詞 仁井谷俊也  作曲 弦哲也  編曲 前田俊明

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玄賓庵

桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓(げんぴん)僧都の庵と伝えられ、世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。玄賓は弘仁九年(818)に亡くなった。

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玄賓庵は奈良県桜井市茅原にあり、JR桜井線三輪駅下車、徒歩約30分で山辺の道沿い

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山辺之道(四)

山辺の道

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         狭井河よ雲立ちわたり畝火山
                 木の葉騒ぎぬ風吹かむとす   伊須気余理比売

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山辺之道(参)

         わが衣色に染めなむうまざけ
                 みむろの山はもみぢしにけり   柿本人麻呂

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磯城瑞籬宮(山辺の道)

磯城瑞籬宮(シキミズガキノミヤ)伝承地)

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磯城瑞籬宮は、第十代崇神天皇が営んだ宮とされています。記紀によりますと崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような疫病が発生しました。
これは三輪山の神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)のしたこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い神の子孫となる大田田根子を探しだしました。そして彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。

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また、東海や北陸、西国、丹波へと四方に将軍を派遣し国内の安泰につとめ、民をよく治めたことから、初めて国を治めた天皇としてたたえられたと記されています。

記紀万葉物語(崇神天皇の条)

金屋の石仏

金屋の石仏(山辺の道)

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この中におさめられた二体の石仏は右が釈迦、左が弥勒と推定されています。高さ2.2檀約80僂瞭麕腓里稜竿調笋防眥Δ気譴燭海諒像は、古くは貞観時代、新しくても鎌倉時代のものとされ、重要文化財指定を受けています。
赤茶色の石は、石棺の蓋であると考えられています。

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山辺之道(弐)

金屋のあたりは古代の海石榴市があったところです。その頃は三輪・石上を経て奈良への山辺の道・初瀬への初瀬街道・飛鳥への磐余の道・大阪河内和泉から竹の内街道などの道がここに集まり、また大阪難波からの舟の便も有り大いに賑わいました。
春や秋の頃には若い男女が集まって互いに歌を詠み交わし遊んだ歌垣は有名です。後には伊勢長谷詣が盛んになるにつれて宿場町として栄えました。

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         むらさきは灰さすものぞつば市の
                 八十のちまたに逢へる児や誰   作者未詳

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山辺之道(壱)

          夕さらずかはず鳴くなる三輪川の
                   清き瀬の音を聞かくし良しも   作者未詳

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仏教伝来の地

ここ泊瀬川畔一帯は、最古の交易の市・海石榴市などの史跡を残し「しきしまの大和」と呼ばれる古代大和朝廷の中心地でありました。
そしてこの付近は難波津から大和川を遡行してきた舟運の終着地で、大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしてきました。
「欽明天皇の十三年冬十月、百済の聖明王は西部姫氏達率怒唎斯致契等を遣わして釈迦仏金銅像一躯、幡蓋若干、経論若干巻を献る」と日本書紀に記された仏教伝来の百済の使節もこの港に上陸し、すぐ南方の磯城嶋金刺宮に向かったとされています。

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この場所は仏教が初めて日本に送られてきた記念すべき地であります。また「推古天皇十六年、遣隋使小野妹子が隋使裴世清を伴って帰国し飛鳥の京に入るとき、飾り馬七十五頭を遣して海石榴市の路上で額田部比羅夫に迎えさせた」と記されているのもこの地でありました。

山辺の道

山辺の道は大和の古代道路のひとつで、奈良盆地の東南にある三輪山のふもとから東北部の春日山の麓まで、盆地の東縁、山々の裾を縫うように南北に通ずる古道で歴史上の記録では日本最古の道として知られています。

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海石榴市(つばいち)
七世紀代、この周辺は「海石榴市」と呼ばれ、大規模な「市」があったとされていました。此処では山辺の道をはじめとするいくつかの古道が交わり、大和川水運の港もありました。そのため、様々な物産が集まり、物々交換が盛んに行われていたようです。また、多くの老若男女で賑わい、「歌垣」などの行事が催されました。
このように交易の中心であった「海石榴市」は、都「藤原京」の玄関でもありました。遣隋使として有名な小野妹子が隋の使者裴世清と下客十二人を伴って帰国したとき、朝廷では、この地で錺馬七五疋を仕立て盛大に迎えたそうです。
古代の「海石榴市」は隋や唐の文化の花咲く、国際色豊かな町だったのです。

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平安時代になると「海石榴市」は「伊勢詣で」「長谷詣で」の宿場町として有名になります。例えば紫式部が著した『源氏物語』の玉葛の巻で登場します。その他にも清少納言、藤原道綱の母など多くの文人が訪れたそうです。
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