知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2019年01月

箕面公園(瀧安寺)

瀧安寺
平成30年9月4日の台風21号により、堂宇が大きく破損しています。
鳳凰閣が風に煽られ、川側に傾いてしまい、また、裏山の欅が倒れ、庫裏を直撃し屋根が陥没しました。客殿は屋根が全体的にずれています。

箕面公園全体に倒木が多い、現在は遊歩道は滝までは整備されている。

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欅の倒木により陥没した屋根

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野村泊月句碑

箕面川

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野村泊月、本名を勇、丹波の産。兄西山泊雲と供に高浜虚子につき俳道に入り、早稲田大学英文科を終え、中国、米国に遊学後、大阪にて「山茶花」を興し、「桐の葉」を主宰し、多くの指導者を育成したるホトトギス派の功労者である。晩年、不幸にして失明、昭和36年2月13日豊中にて逝く。行年80歳

            −椎の花八重立つ雲の如くにも−   泊月

この句は昭和23年5月瀧安寺にて詠んだものです。

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箕面公園

阪急電車 箕面駅

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自然豊かな“明治の森箕面国定公園”の一角にある箕面公園は、83.8ヘクタールという広大な公園で、納涼や紅葉など四季を通して多くの人々が訪れます。1986年に「森林浴の森100選」にも選ばれ、園内にある落差33メートルもある箕面大滝は、「日本の滝百選」にも選ばれていています。

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一の橋

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箕面山は自然の宝庫として知られ、シダ、ランなどの珍しい植物や野生の鹿、猿をはじめ多くの鳥類・昆虫類が生息し箕面川の渓流にはアマゴなどの魚類、水棲の昆虫も多く、東京の高尾山と供に明治4年我が国初の公園となりました。

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山辺之道(七)

−山辺の道−

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       三諸は人の守る山 本辺はあしび花咲き
           末辺は椿花咲く うらぐはし山ぞ 泣く児守る山   作者未詳

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柿本人麻呂屋敷跡

柿本人麻呂(斉明天皇6年(660年)頃−神亀元年(724年)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。

人麻呂には巻向の地を題材にした歌が数多く残されていますがこの地を屋敷跡とする確たる証拠は無いようです。

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柿本氏は、孝昭天皇後裔を称する春日氏の庶流に当たる。人麻呂の出自については、父を柿本大庭、兄を柿本猨(佐留)とする後世の文献がある。また、同文献では人麻呂の子に柿本蓑麿(母は依羅衣屋娘子)を挙げており、人麻呂以降の子孫は石見国美乃郡司として土着し、鎌倉時代以降は益田氏を称して石見国人となったされる。いずれにしても生前や死没直後の史料には出自・官途について記載がなく、確実なことは不明である。

三輪駅

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山辺の道

山辺の道は、三輪から奈良へと通じる上古の道。大和平野には南北に走る上・中・下ッ道の官道があり、それぞれ7世紀の初め頃に造られた。
上ッ道のさらに東にあって、三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が山辺の道である。

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現在、その道をはっきりと跡づけることはでないが、歌垣で有名な海柘榴市(つばいち)から三輪、景行、崇神陵を経て、石上から北上する道と考えられている。

山辺之道(六)

−山辺の道−

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         いにしへにありけむ人もわが如か
               三輪のえ桧原にかざし祈りけむ   柿本人麻呂

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山辺之道(五)

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         山吹きの立ちしげみたる山清水
               汲みに行かぬと道の知らなく   高市皇子

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名寄駅

退屈なので想い出の写真をupします。2014年1月28日、北海道は宗谷本線で旭川から名寄へ行きました。
車内は暖かく車窓からの景色は見えませんでした。写真を撮る時は窓を拭きます。
旭川駅ホーム

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名寄駅ホーム

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名寄駅

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駅前から少し歩いてみました。人に出会うことはありません。

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帰りは名寄駅前から旭川までバスで帰りました。

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バスの車窓から、乗る人も降りる人もありません。

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速歩

2019年1月3日14時過ぎ今年初めての速歩、風も無く暖かかったので狭山池周遊路を歩いてみました。
金剛山山頂付近にはうっすらと雪が積もっていました。

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狭山池冬期は水が抜かれます。

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