知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2019年02月

行幸芝(みゆきのしば)

この一帯の台地は、字名「行幸芝」と呼ばれ、飛鳥時代に斉明天皇が湯治のため滞在された「行宮跡」があった所です。
日本書紀によると、斉明4年(658)10月18日に斉明天皇は前年、甥の有間皇子が風光明媚なこの地で過ごし、自然に湧出する温泉により病もすっかり回復したと語る話に心をひかれ、皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)等を伴って海路行幸され、翌年正月三日に帰郷されるまでの二ヶ月半この行宮で滞在されました。

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この間、都では有間皇子に謀反の疑いがかけられ、皇子は捕らわれの身となって、天皇の滞在するこの行宮にて中大兄皇子の厳しい尋問を受けられました。その後、謀反の疑いも晴れぬまま有間皇子は都に帰る途中、藤代坂(海南市)で絞首刑となり19歳の若さで命を落とされました。
皇位継承の渦に巻き込まれた悲運の皇子として語り継がれました。

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千畳敷

千畳敷は太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩です。このデコボコの岩畳は、第3紀層の柔らかい砂岩が打ち寄せる荒波に長いあいだ浸食されてできたもので、三段壁とともに白浜を代表する雄大な景勝地です。

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千畳の「千」は「広い」を意味し、実際は畳千枚分より広く、瀬戸崎から湯ノ崎かけて2ヘクタールにも及ぶ台地状の地形を千畳敷と呼びます。
1800万年から1500万年前に浅い海の底に砂や礫がたまって出来た地層が隆起してさらに波浪によって浸食を受けて出来た地層です。

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三段壁

三段壁は、南北2劼砲錣燭蠕蘊敷の南海岸にそそり立つ高さ50メートルの断崖です。
その昔、漁師達が通りゆく舟や魚の群れを見張った場所「見壇壁」が「三段壁」と呼ばれるようになったという説があるようです。
地下36辰瞭況△亙唇損代熊野水軍の舟の隠し場だったと考えられており歴史と自然の神秘を見ることができます。平成26年、南紀熊野ジオパークが日本ジオパークに認定され、三段壁は112あるジオサイトのひとつとなっています。

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三段壁周辺散歩道には、防風林の松、和歌山県の県木ウバメガシ、白浜町の町花である浜木綿、松葉ギク、ハイビスカス、ブーゲンビリア、、白浜ドリームブルー(青紫のあさがお)、通称「医者いらず」のキダチアロエ等が植生しております。

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吉野熊野国立公園は、昭和11年に指定された歴史ある国立公園で紀伊半島の中央部から南部にかけて、三重、奈良、和歌山の三県にまたがって指定されており、紀伊半島の山、川、海のつながり、そしてこれらの自然の中で育まれた文化・歴史などの特徴をあわせもっています。
吉野熊野国立公園の海は、三重県の尾鷲湾から和歌山県の千里の浜まで続いており、海岸線の総延長は368劼砲發覆蠅泙后この海では、南の海からの暖流(黒潮)と、北の海からの寒流が出会い、多様で豊かな海の恵みを生み出しています。海の中にはサンゴや熱帯魚など、黒潮の影響を受けて暖かい海に生息する生きものが見られます。
また、海岸線には大小の湾が複雑に入り組んだ海岸や、ゆるやかな弧を描く浜など、バラエティーに富んだ海岸の地形を見ることができます。

月山鍛冶


月山鍛冶は鎌倉時代初期の鬼王丸を祖とし奥州月山の麓で鎌倉・室町期に栄えました。月山鍛冶の最大の特徴は、刀身全体に波のように流れる「綾杉肌」で月山鍛冶の鍛えた刀身に顕著に現れることから月山肌とも呼ばれます。
松尾芭蕉の奥の細道に「此国の鍛冶、霊水を撰てここに潔斉して剣を打、終わりに月山と銘を切って世に賞せらる」とあるように月山鍛冶の名は広く知られていました。

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幕末の月山貞吉は天保期に大阪へ移住し月山鍛冶の再興を果たし大阪月山の基を築きました。その後、月山貞一(帝室技芸員)、月山貞勝、月山貞一(重要無形文化財保持者)の各時代に様々な苦難を乗り越えながらも現在の、月山貞利、貞伸へと連綿と続いた技術は受け継がれています。

月山貞伸刀匠

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−月山貞勝−
明治2年大阪槍屋町に初代貞一の長子として生まれ、幼少の頃から父の貞一について鍛刀の技術と刀身彫刻を学びましたが父の晩年まで表に出ることは少なく主に大正から昭和の初期にかけて活躍し、数多くの皇室御用刀や陸・海軍などの御下命刀なども鍛えました。
作風は家伝の綾杉鍛えは勿論の事、各伝をよくこなし濃厚な彫物のある作品を多く残し、実子の二代貞一と愛媛県松山から入門した高橋貞次の二人を後の重要無形文化財保持者(人間国宝)へと育成し、その高い技術と指導力は大阪府から工芸功労者として認められました。

瀧前句碑

この俳句は戦前全国名所俳句瀧の部一位入選作とされている。

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         瀧の上に水現れて落ちにけり   後藤夜半(神戸の俳人)

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箕面の滝

箕面の滝は、大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内にある滝である。箕面大滝ともいい、日本の滝百選の一つに選定されている。

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古くは修験道の道場であった。「箕面」の名は、木々の間から流れ落ちる姿が蓑に似ていることから付けられた、または周辺に「尾」のつく地名が多いことから水尾から転じたとも言われている。
阪急箕面駅から2.8劼糧羈單緩やかな道のりであり、落差33辰任△襦

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頼山陽碑文

【碑文】
萬珠濺沫碎秋暉   仰視懸泉劃翠微   山風作意爭氣勢   横吹紅葉満前飛

【読み】
萬珠(ばんじゅ)、沫を濺(そそ)いで、秋暉(しうき)に碎く。
仰ぎ視る、懸泉の、翠微(すいび)を劃くするを。
山風、意を作(な)して氣勢を爭ひ。
横さまに、紅葉を吹いて、満前に飛ばしむ。

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合田百一殉職の碑

昭和26年7月11日、未明から近畿に襲来した集中豪雨により箕面公園内を流れる箕面川は未曾有の増水となり濁流渦を巻いて氾濫し低地は濁流に洗われ、園内の飲食店、旅館等は押し流される危険な状態となった。
増水に伴い護岸警備に従事中の合田警察長は、これが救援要請を受け、部下3名を同行し箕面公園に出動した。

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公園内を順次下方から現況視察をかね、戸別に被害調査と懇切な避難に対する指導と助言を行いつつ降りしきる雨の中の滝道を登り最終地点である滝壺横の飲食店が見える地点に至った時同店に助けを求める人影を認め、直ちにこれが救助に当たるべく、合田警察長は部下の先頭に立ち濁流と化している道路を避け、山の斜面を這うようにして伝いながら進んだところ、50綻綣蠅涼賄世忙蠅辰浸、突如足下の地面が崩れ落ち助ける手立てもなく濁流に呑まれ尊い犠牲となった。

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故合田警察長は、昭和23年3月、警察法の改正に伴い箕面長警察署の初代警察長として赴任以来、町の治安維持のため強い責任感と実行力をもって日夜業務に精励され、その業績は高く評価され、かつ温厚篤実で情に厚いところから町民及び部下からも尊敬と信頼を受けていた惜しむに足りる高潔な警察官であった。

唐人戻岩

この大きな二つの岩は、唐人戻岩と言われ、その昔、この附近が山深く険阻なころ、唐の貴人が箕面の滝のたぐいまれなことを聞いて巨岩まで来たのですが、険しいことに驚き恐れて立ち返ったとの伝説があります。
岩の高さ25尺 幅24尺のものと高さ24尺 幅7尺のものとの二つより成り縦に条理があります。

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野口英世

箕面公園遊歩道

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野口英世博士像
世界の医聖と言われている野口英世博士(福島県猪苗代町出身)はアフリカで黄熱病の研究中、自らも感染して昭和3年殉職するまで数多くの伝染病の予防に貢献した。
この銅像は、大正4年、野口英世博士が15年間の米国留学から帰国の際、待ちわびていた母を伴い箕面に立ち寄り年老いた母を慰めた。これに感激した南川光枝氏の銅像建立の願いに、大阪府知事、箕面町長、箕面町教育委員会は府下学童並びに箕面町ゆかりの方々から浄財を求め、故野口英世博士の面影を刻み、生前の偉業を讃えるとともに崇高な人格を慕って、昭和30年4月建立した。

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