知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2019年04月

御廊下橋

関ヶ原の戦いの後、越前に封じられた福井藩初代藩主結城秀康によって築かれた福井城は本丸を中心に堀と郭が幾重にも巡らされる典型的な環郭式平城で徳川家康の次男の居城に相応しい壮大な城郭でした。
本丸内には、政庁と藩主の居住部分を合わせた床面積1000坪を超える御殿がありましたが、歴代藩主の内、昌親(後、吉品)・重富・治好・慶永(春獄)・茂昭の五人は現在の中央公園にあった西三の丸御座所に居住していたとされます。
藩主が政庁であった本丸と西三の丸御座所とを往復するための専用の橋が御廊下橋でした。明治初期に撮影された写真によると屋根付きの珍しい形態でした。

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明治初期に撮影された御廊下橋

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山里口御門(福井城跡)

山里口御門は、福井城本丸の西側を守る門として築城当初からあり、「廊下橋御門」や「天守台御門」とも呼ばれていました。
寛文九年の大火事で消失しましたがその後再建しました。藩主の住居である御座所が、西三の丸にあった松平慶永(春獄)などの時代には、藩主は御座所から御廊下橋を渡り、山里口御門を通って本丸へ向かったと考えられています。
御門は外側の棟門と内側の櫓門構成され櫓の内部は武具庫などに使用されていまいた。

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滝畑ダム上流部

アーチ式ダムのように堤体がカーブを描いている、構造上は重力式コンクリートダムであり、堤高は62メートル。石川流域の治水と耕作地への灌漑用水供給、河内長野市及び富田林市への上水道供給が目的である。現在完成している大阪府内のダムでは、最大規模のダムである。
周辺には遊歩道やキャンプ場が整備され、奥河内の行楽地のひとつとなっている。ダム下流部の右岸の岩壁には地蔵菩薩、観音菩薩の二体の磨崖仏が彫られており、堤体からも見ることができる。ダム上流には滝畑四十八滝がある。

夕月橋から下流を望む

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夕月橋から上流を望む

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特殊詐欺・ひったくり被害防止キャンペーン

地元警察署長や防犯関係者・大阪府警のシンボルマスコット「フーくん・ケイちゃん」大阪狭山市のマスコットキャラクター「さやりん」参加による防犯教室が駅前で行われた。

特殊詐欺・ひったくり被害防止キャンペーン

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防犯教室が終わり防犯グッツの配布が行われた。

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福の井(福井城跡)

この古い井戸は福の井と稱ぜられ、福井城の改築以前から存じ名井として知られていた。寛永元年当地の名稱北ノ庄が福井に改稱されたが、その由来はこの福の井の名に因んだものとい傳えられている。

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天守閣跡(福井城跡)

写真は福井城の天守閣跡である。福井城はもと北ノ庄城を稱ぜられ、慶長6年福井藩祖徳川秀康を改築して天守閣を築いた。以来、明治維新まで約260年間、当城は福井藩主松平家の居城であった。

福井城天守閣跡

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福井城跡

福井城は慶長6年〜11年に徳川家康の次男、結城秀康によって築城されまいた。秀康時代の福井城の建物は寛文9年(1669)消失しましたが図は消失以前の福井城本丸の様子を復元したものです。
藩の権威を象徴していたのが本丸の北西隅に聳えていた天守で、高さが約30メートルという壮大な建物でした。

巽櫓跡

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福井城瓦御門御本城橋

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福井城本丸
中央には藩政において最も重要な本丸御殿がありました。北東・南東・南西の各隅には3つの櫓が建っていました。南側の御本城橋が本丸への正式な通路で、この橋を渡ると本丸の正門である瓦御門がありました。
西側には屋根付きの御廊下橋も掛かっていました。

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結城秀康公

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、越前68万石の大名となった結城秀康公(徳川家康の次男)は、翌6年に北庄(後の福井)に入り、新しい城の建設と柴田勝家にはじまる城下町の大改造に着手した。
多くの民の力と汗に支えられ、およそ6年の歳月をかけて完成した城下は、都市としての福井の原型をかたちづくり、今日の福井市発展の礎となった。

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越前大野の水

越前大野駅

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「越前大野の水」は、「名水百選の御清水」をはじめ「水の郷百選」、「ふくいのおいしい水」に選ばれるなど、美味しさはお墨付きです。
広場中央にある大野産の石を組み合わせたモニュメントは荒島岳を初め豊かな水をもたらす山々と、「人」という文字を表しています。これは「大野の自然の中で人々が共に思いやり支え合いながら、名水と暮らす城下町」を表現しています。
せせらぎ水路では、湧き出す地下水が、芋車(里いもを洗う道具)を回転させながら流れる様子を見ることができます。これは「豊かな名水から里芋などの農産物が育まれるのどかな農山村」の風景を表現しています。

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寺町(越前大野)

織田信長の武将金森長近は、城づくりと同じに城下町づくりも行いました。町筋は東西にのびる六筋と南北六筋が直行する区画とし、この南北筋の東端には寺町を設け、城下をかためる型としました。
京を模してつくられた町筋は現在でも城下町の風情を残しています。

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