知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2019年08月

メーテル「銀河鉄道999」

メーテル(Maetel)は、松本零士作・原作の漫画及びアニメ作品『銀河鉄道999』などの作品に登場する架空の人物。
星野鉄郎を銀河超特急999号での旅へと導き、共に旅をする謎の美女。母親は、機械帝国の女王プロメシューム。父親は、反機械化世界を目指している ドクター・バン。母プロメシュームの命により「機械化惑星を強化する部品とすべく、鉄郎を始めとする数多くの意思強固な青少年たちを集める」という役目を担っていた。だが、それは同時に父親のバンによる「機械化惑星を破壊すべく、多数の同志をその中心部へ送り込む」という作戦のための行動でもあった。この相反する2つの目的を同時に背負いながら鉄郎と旅をしている。

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「落ち着いた大人」「妖艶でミステリアス」「理知的で物静か」な雰囲気を纏う女性だが、虚勢を張りながら真の勇気を持たぬ者、傲慢な者、生命を軽んじる者には怒りを表し、時には激情にかられる描写もある。 プロメシュームにとっては母親思いのよき娘であった。テレビ版の描写では、宇宙を支配しようと考える者であれば誰でもその名を知っているとされる。車掌からは「特別なお客様」と明言されている。その影響力は各星系により変動があるようで、一般客同然にパスの再発行を冷たく断られたりすることもあれば、ダイヤ絶対主義の999が、メーテル一人のために発車を遅らせることすらある。太陽系を離れ機械帝国の勢力圏であるアンドロメダに近づくほど影響力は強まる傾向にある。

「心の旅−まほろばへの道−」

本作品を展覧会に出品した時の題名は「心の旅−まほろばへの道−」である。「まほろば」とは桃源郷であり理想の里のイメージである。
この作品が設置される場所「敦賀」がいつまでも平和で人々の住み心地良い素晴らしい「まほろば」であることを願い「心の旅−まほろばへの道−」として建立する。

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「たかだや」

三好達治が愛した元料亭「たかだや」
昭和を代表する詩人三好達治は、昭和19年から24年までの5年間を三国に滞在した。その間、『花筐』『故郷の花』『日光月光集』などを発表。三国を去った後も、三国を「心のふるさと」と語り懐かしんだ。三国滞在の頃、三好達治はこの料亭「たかだや」へ頻繁に通い三国の風情に親しんだ。

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春の旅人

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東尋坊

東尋坊の地形
東尋坊付近は、今から50万年前頃隆起し、標高80.8辰凌悒岡を中心に台地性丘陵地としてできたものです。これらの台地性丘陵地は、米ヶ脇類層とよばれる礫岩、擬灰岩、泥岩、砂岩からなる堆積岩層とその間に介在する東尋坊、雄島、越前松島などにみられる硬い各種の安山岩からできています。
硬い安山岩からなる海岸線は浸食されにくいのに対して堆積岩層は柔らかく浸食が激しいため、東尋坊、雄島、越前松島が現在のように海に突き出しみごとな海蝕断崖を形成しているわけです。

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東尋坊のいわれ
昔、勝山の平泉寺の僧坊に東尋坊という弾力無双の悪僧がいました。一山の僧徒は、東尋坊を日頃から日常に憎んでいたため、ある日三国海岸見物にことよせて東尋坊を誘い出し、したたか、酒を飲ませ、この深海に突き落として殺してしまったところ、そのうらみによって色々な怪異がおきたので、その名が生まれたものと言い伝えられています。

東尋坊(天然記念物名勝)

九頭竜川河口三国港から雄島を経て梶浦に至る間の海岸は其の基盤が第三紀層より成り柱状節理を成せる数々の火山岩が之を貫いている。其の中東尋坊岬に近く露出しているのは並立粗大なる柱状節理を呈せる複輝石安山岩で、その海に面した絶壁の部分を東尋坊といっている。

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見返り橋

福井県を代表する民謡「三国節」の歌詞に「唄の上ハ町 情けの出村 わずか隔てて 地蔵坂」とあります。三国には廓が二つありました。
福井藩領の「上ハ町(うわまち)と丸岡藩領の「出村」です。
二つを繋ぐ坂道が地蔵坂というわけです。その地蔵坂を下ったところ、細い辰巳川に架かる小さな橋、ここが「見返り橋」です。

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もう一筋、川下側の通りには「思案橋」があり、廓へ遊びに行こうか止めようか、橋の袂で思案して、遊んだ後に名残を惜しんで見返るという港町ならではの艶のある名付けです。

高見順の生家

昭和を代表する作家高見順は明治40年この家で生まれた。父は当時の県知事阪本デ圭、母は高間古代。2歳の時に上京し、東京大学を卒業、作家活動に入る。「故旧忘れ得べき」で芥川賞候補に挙げられ、以後、人気作家として活躍。昭和40年食道ガンの為没する。
日本海を望む海岸崖上に古里三国に想いを寄せた「荒磯」の詩を刻んだ文学碑が建つ。

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「われは草なり」
われは草なり 伸びんとす 伸びられるとき 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 縁なり 全身すべて 縁なり 毎年かはらず 縁なり 縁のおのれに あきぬなり
われは草なり 縁なり   縁の深きを 願ふなり ああ 生きる日の 美しき ああ 生きる日の楽しさよ われは草なり 生きんとす 草のいのちを生きんとす

散歩

散歩は連日10000歩以上を目標にしているが、連日の猛暑には勝てず早朝4時半頃はまだ暗いが歩きはじめる。電池を点けて歩いている人や犬の散歩の人が結構いる。10分もすれば明るくなってくる。
陽が昇る頃には家に帰っている。

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森田銀行

二階へ

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この部屋は貴賓室とも呼ばれ、vipのお客様だけが入ることを許された部屋です。床は寄木板張りで仕上げられており、腰板の模様は、木の象嵌の技法で作られています。
尚、テーブルや椅子は昔のままですが、椅子の座面は張り替えています。照明とカーテンは、雰囲気に合わせて新調してあります。
大正時代のモダンなデザインの良さと、三国の職人の高い技術に支えられて部屋全体が上品な仕上がりとなっています。

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森田銀行

九頭竜川の河口に位置する坂井市三国町は、古来より越前の玄関口ともいうべき経済の要港として発達してきました。 その三国湊にあって中世以来、湊の発展を支えてきたのが、北前船による廻船業を生業とした豪商たちで、その中のひとつが森田家です。

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明治時代になり廻船業の衰退を察知した森田三郎右衛門は、1894年(明治27年)に森田銀行を創業し、業種転換を図りました。森田銀行は確かな信用のもと、県内上位の優良な銀行に成長します。そして、1920年(大正9年)この建物が新しい本店として落成しました。
外観は西欧の古典主義的なデザイン、内部は豪華な漆喰模様があります。細部のデザインや技術へのこだわりは建築思想の質の高さの表れであり、県内に現存する鉄筋コンクリート造の最古のものです。設計技師は横浜市開港記念会館や長崎県庁も手がけた山田七五郎氏。大工棟梁は地元の四折豊氏です。

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森田銀行はその後、福井銀行と合併し、近年まで福井銀行三国支店として営業されていました。1994年(平成6年)坂井市(旧三国町)の財産となり、詳細な調査を踏まえて復元保存工事を行い、平成11年7月より一般公開しました。坂井市は、この建物を三国湊繁栄をしのぶ大切な文化遺産として保存に努め活用を図るものです。なお、この建物は平成9年12月に文化庁の登録有形文化財に指定されています。
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