知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2020年02月

いたすけ古墳

いたすけ古墳は百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置しており、墳丘が3段に築かれ、南側のくびれ部には造り出しがあります。

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百舌鳥古墳群では第2次世界大戦後の開発によって古墳が次々破壊され、1955年にはいたすけ古墳で宅地造成計画がもちあがり、濠に残る橋は古墳を削って土を運び出すために架けられたものです。
まもなく、いたすけ古墳破壊をくい止めるために市民による保存運動が起こり、その中心を地元の学校の教員や生徒たちが担いました。運動が始まって2ヶ月あまり、堺市がいたすけ古墳の土地を開発業者から買い上げる決定をし、1956年5月には国史跡に指定されました。
保存運動のさなかに後円部でみつかった衝角付冑型埴輪(市指定有形文化財)は、堺市の文化財保護のシンボルマークとなっています。

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履中天皇陵古墳

履中天皇陵古墳はミサンザイ古墳とも呼ばれ、仁徳天皇陵古墳(堺市)応神天皇陵古墳(羽曳野市)に次いで墳丘長が日本第3位の規模を誇る前方後円墳です。
現在、墳丘は濠と堤に囲まれていますが、さらにその外側に外濠が巡っていたことが調査でわかっています。

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測量図によると前方部の頂部には円形の土壇があり、ここにも埋葬施設があるのではないかという意見があります。墳丘からは「きぬがさ形埴輪」、「家形埴輪」、「甲形埴輪」、ゆぎ(矢を入れる容器)形埴輪が採集されています。

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濠の周囲には、かつて10基前後の古墳があり、現在も寺山南山古墳、七観音古墳、経堂古墳の3基が残っています。

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寺山南山古墳

寺山南山古墳は履中天皇陵古墳の外濠に接して造られた。平面形が長方形の方墳です。墳丘は二段に築かれ、南東辺には造り出しが設けられていました。造り出しに接する墳丘のテラスからは家形埴輪や囲形埴輪が出土し、造り出しからテラスにかけての場所で祭祀を行っていたと考えられます。

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かつては墳丘の周囲を濠が巡っていました。南西側の濠は履中天皇陵古墳の外濠と重なることから、履中天皇古墳と関わりの深い古墳(陪冢)と考えられます。

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遊歩道

狭山池に注ぐ河川に西除川がある。この川には短いが遊歩道がある。が、狭山池遊歩道との間に府道富田林線が走っており遊歩道が寸断されている。
府道の下に遊歩道を繫ぐ工事が始まった。これで迂回しなくても、直接西除川遊歩道を歩くことができる。

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狭山池

狭山池の水が例年になく多く抜かれている。昨年の夏は「あおこ」が多くその対策かと思っていたが実は「ブラックバス」を駆除していることがわかった。

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七観音古墳

七観音古墳は履中天皇陵古墳の外濠沿いにあり、七観音古墳や寺山南山古墳とともに履中天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪冢)と考えられます。発掘調査の結果、明確な濠の痕跡が見つからなかったため、築造当初から濠はなかった可能性があります。小型円筒埴輪が出土しており、埴輪の特長から履中天皇古墳にやや遅れて完成したと考えられます。

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旗塚古墳

旗塚古墳は前方部が短く、帆立貝のような形をした前方後円墳です。後円部は二段に築かれ、後円部南側のくびれ部寄りには造り出しがあります。周囲の濠は公園造成時に復元されたものです。
小石が敷かれた墳丘のテラスには円筒埴輪列が巡り、その前には広い間隔で形象埴輪が立てられていました。

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造り出しの周辺からは円筒埴輪のほか、家形や盾形、草摺形、、鶏形、岩見形埴輪など様々な形象埴輪がまとまって出土し、旗塚古墳においても大型の前方後円墳と同様の、埴輪を使った祭祀が行われたと推測されます。

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グワショウ坊古墳

グワショウ坊古墳は、円墳では百舌鳥古墳群において大安寺山古墳(径62叩砲房,安腓さです。埋葬施設は不明ですが、周りには濠が巡り、発掘調査では埴輪が出土しています。
墳丘は水分を含んだ表土と、その下の土を塊で掘り出し、それを天地逆さまに積み重ねていく方法で造られました。

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この様な方法は百舌鳥古墳群の旗塚古墳や大塚山古墳(消滅)、古市古墳群の峯ヶ塚古墳(羽曳野市)でも確認されています。

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長塚古墳

墳丘は二段に築かれ、南側のくびれ部分には造り出しがあります。墳丘の形は後円部よりも前方部の幅と高さが発達したもので、新しい時期の傾向を示します。
地中レーザ探査の結果、後円部の中央に石で築かれた埋葬施設があることが分かりました。現在は埋まっていますが、墳丘の周囲には幅14辰龍燭巡り、墳丘と濠からは円筒埴輪や蓋形埴輪が見つかりました。

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かつて本墳の南側には、狐塚古墳があったとされますが、その位置は堤の痕跡と重なり、堤の名残とも考えられます。

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