知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2020年05月

岩尾別温泉(思い出の一枚)

岩尾別温泉は、北海道斜里郡斜里町岩尾別温泉にある温泉。知床国立公園内に位置する。

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一軒宿の「ホテル地の涯」が存在する。ホテル「地の涯」には男女別の内湯と混浴の露天風呂があり外来入浴もできる。また、素泊まりのみの山小屋である「木下小屋」も存在し、羅臼岳・知床連山への登山基地にもなっている。

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無料で利用できる混浴露天風呂「滝見の湯」が存在するが2018年現在、無料で利用できたホテル前の三段の湯は再開されていない。
冬季(例年11月下旬 - 4月下旬)はアクセス道路である道道93号が閉鎖されるため、温泉地も冬季は休業する。

知床五湖

知床五湖
原生林に囲まれた幻想的な5つの湖です。
周りの樹林や知床連山を湖面に写しながら静寂を保っているその姿はまさに原始の中の楽園にふさわしく数多くの植物、動物たちを目にすることができます。
高架木道の展望台からは第一湖と知床連山の大パノラマが見渡せます。

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一湖から五湖までの名前がついている。ただし、湿地帯にあるため融雪期には数が増える。
知床八景の一つに数えられる観光地として、一湖を見下ろす展望台や湖を巡る遊歩道が整備されている。知床連山や原生林を水面に映す素晴らしい風景は、訪れる観光客の心をとらえて放さない。

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遊歩道では、エゾリスやエゾシカなどが観察される一方、ヒグマが目撃されることもあり注意を要する。ヒグマの出没状況によっては、遊歩道の一部または全部が閉鎖される場合がある。また、夜間と冬期は閉鎖される。周辺の植生は、エゾマツやトドマツが主であるが、近年、頭数が激増したシカの食害のため天然更新が滞り、全体的な衰退傾向が危惧されている。

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知床峠

知床峠
斜里町ウトロと羅臼町を結ぶ知床横断道路の頂上、知床連山の尾根筋にあたる標高738mの峠です。
峠は知床の原生林を見渡す位置にあり周辺は世界有数のヒグマの生息地でもある。峠からの眺めは知床八景の1つに選ばれており、羅臼岳やハイマツの樹海、天候が良ければ北方領土国後島も望むことができる

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羅臼岳
左手に見える山が道東で最も高い山「羅臼岳」で羅臼岳をはじめとする山々は新生代第四紀にできた火山で古い地層の上に噴出した溶岩が何層にも重なってできています。
この溶岩は粘り気が強いため溶岩が流れた跡が山腹に盛り上がって見えています。頂上には溶岩が固まったドームがあります。

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「叫び」の像

北方四島返還「叫び」の像

「国民の脳裏から戦争の悲惨なイメージが消え去ろうとしております。しかし未解決の北方領土の祖国復帰をみるまでは、真の平和がおとずれたとは言えません。
北方領土は、われわれの父祖が風雪に耐え汗で拓いだ島々で、歯舞、色丹、国後、択捉の四島は、歴史的にも、国際法上からもわが国固有の領土です。
しかるに昭和20年9月3日、戦争が終結したにもかかわらず、ソ連は、この四島に父祖とともに育った同胞をしめ出し、現在に至るまで占拠を続けております。
日ソ両国の恒久的平和と真の友好親善関係確立のためにも、このようなことが許されるものではありません。北方領土の返還実現は国民の総意であり、政府は2月7日を北方領土の日として制定しました。
われわれ日本人は島々が祖国に還る日まで領土返還運動を続けていきます。この返還運動の強い意志を象徴するため「島を返せ」の切実な叫びを老女と孫に託し北方領土返還「四島への道 叫び」の像を建立しました。」   建立 別海町町長 上杉貞

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納沙布岬

納沙布岬

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納沙布岬灯台
日本は古来より「日出ずる国」とされてきましたが、納沙布岬は本土最東端の地で1番早く朝日が昇ります。
納沙布岬灯台は1872年に北海道で最初に点灯した灯台で現在の姿になったのは1930年です。光のエネルギー源は石油からアセチレンガスを経て電気に変わりましたが光を放つ四等レンズだけは当時のままです。

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アイヌコタン(思い出の一枚)

阿寒湖温泉街の一角には約30戸120人程度が暮らす北海道最大のアイヌコタン(アイヌの集落)がある。アイヌの伝統舞踊を公演する演舞場の「オンネチセ」や、アイヌの伝統文化を紹介する2つの資料館(アイヌ生活記念館、森と湖の藝術館)ならびに木彫製品などを販売する土産物店などが並んでいる。

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阿寒湖

阿寒湖は北海道釧路市にある湖で北海道で5番目に大きい淡水湖である。全域が阿寒摩周国立公園に含まれ、道東を代表する観光地となっている。

特別天然記念物のマリモや、ベニザケの湖沼残留型(陸封型)であるヒメマスが生息する。冬は全面結氷し、ワカサギ釣り、スケート、スノーモービルなどのウィンタースポーツが盛んで、阿寒湖氷上フェスティバル・冬華火などのイベントも開催される。周囲はエゾマツ・トドマツなどの亜高山帯針葉樹林、および広葉樹を交えた針広混交林の深い森に覆われている。

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襟裳岬

襟裳岬は北海道幌泉郡えりも町、(太平洋に面する岬)、日高山脈の最南端で、太平洋に向かって南へ突き出した岬である。海上にまで岩礁群も伸びている。

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岬の周囲は高さ60 mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が開けており、日高山脈襟裳国定公園の中核を成す観光地となっている。

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釧路湿原(思い出の一枚)

釧路湿原国立公園は、我が国の湿原総面積の6割におよぶ広大な釧路湿原を中心にその周囲の丘陵と湖沼を含み、釧路市・標茶町・釧路町・鶴居町にまたがる26.861ヘクタールの面積を有しています。
ハンノキの木立を点在させたヨシの草原と蛇行する河川などがおりなす広大な水平景観、その中に見られる動植物の様々な営みと原自然の保存度の高さは、我が国では他に類例がない特異性をもっています。

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湿原の主要部分は、ラムサール条約により水鳥の生息地として国際的に重要な湿地の指定・登録を受け国際的にも重視されています。

旧遷喬尋常小学校(思い出の一枚)

遷喬尋常小学校は明治7年に大場郡久世村にあった御蔵を転用して開学した。学校名は中国の古典である「詩経」の一節である「出自幽谷 遷于喬木」から教育者の山田方谷が命名した。
その後、建物の老朽化と生徒数の増加に伴い新築することになり、明治38年7月に着工し同40年7月に完成した。

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木造二階建で中央部を大きくつくり東西両翼棟を左右対称に配置する。屋根は棟に寄棟の小屋根を置き、正面は左右対称に突出させた切妻屋根を設ける。屋根材は、当初は天然スレート葦であったが後に中央部以外は桟瓦葦になった。
外壁は下見板張りを基本とし、筋交いをアクセントで入れる。基礎は煉瓦積みで花崗岩の切石を土台とする。設計は県の工師であった江川三郎八、監督は江川工師の紹介による中村錠太郎、施工は高橋岩吉である。

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尚、正面の屋根窓に描かれている校章は高瀬舟をデザイン化したものだが「久世」の文字が織り込まれている。この校章は江川工師自身が考案し採用されたものである。
学校建築の基本が定まった後の学校建築の典型例として、また中国地方の学校建築の歴史を知る上で貴重である。
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