知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2020年07月

五稜郭跡(思い出の一枚)

五稜郭跡は幕末の函館開港に伴い設置された函館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
陵堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の函館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

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安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終決する箱館戦争の舞台となりました。
函館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

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大沼湖(思い出の一枚)

大沼という地名は、アイヌ語の「ポロ・ト(ー)」から由来しているとされています。「ポロ」は「大きい・多い」、「ト(ー)」は「沼・湖」を意味します。
秀峰・駒ヶ岳と大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼などの大小の湖沼群一帯の総称として「大沼」と呼ばれています。
大沼の面積は512ha 一周14km (車で一周してみた。自転車が良かったかも)

大沼公園駅

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大沼湖より駒ヶ岳を望む

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道南の秀峰、駒ヶ岳は現在も活動する活火山で、この独立峰は当初、富士山のような円錐型の山容をもっていましたが、度重なる爆発によって、荒々しい山頂部となだらかな裾野をもつ現在の姿となりました。

小沼湖(思い出の一枚)

大沼と小沼の間付近は、地元でセバット(狭まった場所)と呼ばれているようで、約3万年前、駒ヶ岳の噴火で山が崩れ、川がせき止められて大沼の原型が出来たとされています。
大沼と小沼の間で水が動くので、毎年沼が全面結氷する冬の時期でもセバットは殆ど凍ることはないと云われています。

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小沼湖の面積は378ha

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月見橋付近

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二股駅(思い出の一枚)

羊蹄国道(北海道蘭越町相生付近)

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二股駅
二股駅(ふたまたえき)は、北海道(渡島総合振興局)山越郡長万部町字双葉にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。
二股駅の所在地近辺の地名より、アイヌ語の「ぺタヌ」(川股)に由来するとされ、長万部川とチライ川が合流し二股となっていることを指したとされている。
長万部駅管理の無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している。有人駅時代の駅舎は撤去され、北海道内では唯一のワラ1形有蓋車改造の貨車駅舎が設置されている。

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余市駅(思い出の一枚)

余市駅は、北海道余市郡余市町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。余市町唯一の駅であり、かつては特急「北海」、急行「ニセコ」・「らいでん」などの停車駅であった。函館本線のいわゆる「山線」区間の中では小樽駅に次いで乗降客数が多い。

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余市と言えばんNHKドラマの「マッサン」を思い出す。大正時代、ウイスキーづくりに情熱を燃やす造り酒屋の跡取り息子が、単身スコットランドへ渡る。そこで出会ったスコットランド人の女性と息子が半ば駆け落ちの状態で国際結婚するところから物語が始まる。ヒロインは日本とスコットランドの違いに戸惑いつつも、異なる文化を学びながら成長していく。本作のモデルとなる人物は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタ(ジェシー・ロベルタ・カウンで、タイトルの「マッサン」はリタが政孝のことをこう呼んだことにちなんでいる。

旧花田屋番屋(思い出の一枚)

小平町は江戸時代後期から昭和30年代に至るまで「にしん漁」で栄えた町です。
「にしん」は身欠き鰊や数の子として食用とされ、これらは京都の「にしんそば」や東北地方の「数の子豆」や「鰊の山椒漬」など全国各地に鰊食文化を育みました。しかし、多くは「〆粕」に加工され、江戸から明治時代を代表する肥料として本州へ移出され、本綿や藍などの商品作物の生産を伸ばして私たち日本人の生活を豊かにし、稲作や畑作に広く使用され私たちの食を支えていったのです。
小平町でにしん魚がおこなわれたのは鬼鹿地区と臼谷地区、鬼鹿地区には現存する鰊番屋では最大の規模となる国指定重要文化財「旧花田屋番屋」があり、経営者である親方家族の住居であると同時に、最盛期200名を超える漁夫や職人が寝泊まりする漁場の拠点となった施設で明治38年頃建築の代表的なにしん漁遺産です。

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日本海に沈む夕日

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抜海駅(思い出の一枚)

抜海駅(ばっかいえき)は、北海道(宗谷総合振興局)稚内市抜海村字クトネベツにある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。

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稚内駅管理の無人駅で駅舎は構内の西側に位置し1番線ホーム中央部分に接している。駅舎は開業時に建築された木造がそのまま使用されているが、木製板張りの劣化が激しく一部がサイディング張りに改修されている。正面出入口部分の形状は改築され雪が入らないように「雪切り室」と呼ばれる二重扉になっている。冬季間の地吹雪が激しいため厳重な覆いで囲まれている。
抜海駅は日本最北の無人駅であり日本最北の秘境駅でもある。

稚内駅(思い出の一枚)

日本国内の最北端にある鉄道駅であり、ホームに列車が到着すると自動音声放送「日本最北端の駅、終点稚内駅到着です」が流れる。日本国内最南端のみどりの窓口設置駅となる鹿児島県の指宿駅と「姉妹駅」提携を結んでいる。

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1922年に開業した稚内駅は現在の南稚内駅であり、1923年5月1日から、当時日本の統治下にあった南樺太の大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」の運航が始まった。1924年11月10日に稚内連絡待合所が現在の稚内駅近くに建設されたが、当時の稚内駅からは約2 劼竜離を旅客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。当時の稚泊航路は夏期は隔日、冬期は10日で2往復の運航体制であり東京から樺太の大泊港までは夜行3泊を要した。

ノシャップ岬(思い出の一枚)

野寒布岬は、北海道稚内市ノシャップにある岬。「ノシャップ岬」とカナで表記することが多い。
アイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があると伝えられている。夕日の美しい景勝地として知られ、利尻富士や花の礼文島も一望できる。

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読み方が似ている納沙布岬(のさっぷみさき)は根室市にある北海道本島最東端の岬である。

行幸啓記念碑(思い出の一枚)

1968年、この公園においでになられた昭和天皇・皇后両陛下は、九人の乙女の悲話をお聞きになった時、目頭に涙を浮かべ、深く頭をお下げになり、冥福をお祈りされました。
この碑には、後日、この時のご感銘を詠まれた御製・御歌が刻まれました。

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