知音の旅人

誰人であっても誕生と同時に 人生と云う旅に出て 目標に辿り着こうとする旅人である

2020年08月

千本櫻

千本櫻 吉田成美
凜として静寂に立つ 生きているという時間 空に舞う

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民家(松前藩)

庶民の生活は、せいぜい居間と寝室の二間程度の棟割長屋の居住者が多かった。
室内は、入った土間には流し、水瓶、へっついを置き、居間は炉端を中心として戸棚、食卓を配し、奥の間は家人の寝室で、仏壇、神棚が備えられていた。

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屋根は長佂葺に石を置いた石置屋根である。
この長屋の奥には井戸があり、女性たちが洗濯をしたり食器を洗ったりして世間話をする社交の場であった。

松前藩屋敷

蝦夷地唯一の城下町松前は幕末時には戸数8000、人口30000を数え仙台以北では最大の都市いわれ、近江商人を中心にして北前船によって日本海沿岸から瀬戸内海方面まで広く経済交流が行われ大いに発展した町である。

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しかし、箱館戦争で城下町の三分の二を焼失し、廃藩後は士族、豪商が多く離散し、さらに打ち続く火災によって古い町並みは焼失した。

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福山城跡(松前氏城跡)

松前城は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)で、江戸時代、公式には福山城と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた。

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江戸時代末期に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、1855年(安政元年)に完成した。石田城と並び日本における最後期、かつ、北海道内で唯一つの日本式城郭である。

箱館戦争では、明治元年11月5日に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。明治維新後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし1949年6月5日に類焼により焼失。そのため、創建当時から現存する建築物は切妻造の本丸御門と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)および旧寺町御門(現在の阿吽寺山門)のみである。今も残る曲輪・石垣などを含めた城跡が国の史跡に指定されている。

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前身の福山館は、松前慶広の代に、松前氏が居城としていた大館(徳山館)より福山へ移城した際、1600年(慶長5年)から1606年(慶長11年)にかけて建設された。福山館は堀や石垣があり、本丸のほか二ノ丸、北ノ丸、櫓が築かれていたが、松前氏が無城待遇だったことから、正式に城とは呼ばれなかった。

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白神岬

松前町にある北海道最南端の岬で、本州最北端の大間崎(下北半島)から15kmほど南に位置しています。対岸の津軽半島最北端の竜飛崎からは19.2kmで、晴れていれば本州を眺望します。国内で見ることができる野鳥500種類のうちセンダイムシクイ、メジロ、マヒワなど300種類を観察する渡り鳥の聖域で、松前矢越道立自然公園に指定されている。

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日本有数の渡り鳥の中継地で、春(3月末〜)にはシベリア方面へ、秋(9月〜)には越冬のため本州へ年間およそ100万羽の鳥が津軽海峡を渡ります。
白神岬という地名は、アイヌ語で「シラル・カムイ」(神が住む岩/シラル=岩・平磯・岩礁、カムイ=神)、「シラル・トウカリ」(岩の手前/トウカリ=の手前)などに由来するとされています。

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所在地 北海道松前郡松前町白神

立待岬

この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せすろところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。
また、第二次世界大戦中は要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。現在は、津軽海峡を望む景勝地として多くの観光客が訪れる。

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土方歳三最期の地

新撰組副長として京都の街に勇名はせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年10月、蝦夷地に上陸した榎本軍は函館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の
要職についた。
翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗北したが土方が守った二股口だけ落ちなかった。

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しかし、同年5月11日、ついに函館も政府軍の手に落ちた。土方は函館奪回を目指し、50名の兵を率いて一本木の関門を出て函館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。

恵山岬灯台

恵山岬灯台は1890年に点灯しました。この灯台は灯台を一周する散歩道から見えるばかりではなく、裏のドウダンツツジの木々の間からも、少し先の道路を下ったところにある海へ湧き出す温泉へ入りながらも、また、後ろの活火山「恵山」に登ると噴煙の中からも、いろいろな見え方をする灯台です。

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北緯41度48分55秒 東経141度11分00秒
光の届く距離 18海里(約33キロメートル)

函館山

函館山は、火山活動や地殻変動により出現し、海流による漂砂で亀田半島とつながった陸繋島です。
三方が海に囲まれ、標高約334叩⊆囲9劼箸覆辰討り、別名「臥牛山」とも呼ばれています。
函館山は、道南特有の温暖な気候であることや、昭和20年まで約半世紀にわたって一般市民の入山が禁止されていたことなど、植物の生育にとっては恵まれた自然環境にあったことから、、約600種の植物が生育し、その約70%が本州北部地域と同種のものといわれています。
さらに四季を通じて野鳥が生育し、また、津軽海峡を南下・北上する渡り鳥の休息地として重要な役割を果たしており、約150種が観察される野鳥の宝庫として、鳥獣保護区特別保護地区に指定されています。

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旧函館奉行所

日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で,当初は箱館山の麓に置かれていましたが、内陸の地に移転が計画され、五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。

1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、1871年にわずか7年で解体されました。

その後、古写真や文献資料・古図面などの調査を元に検討を重ね、2010年に140年の時を経て箱館奉行所が復元されました。


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箱館奉行所古写真

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