私はこの町に来てからちょうど50年前になる。

当時は舗装された道路はなく雨が降ればひどいものだった。国道さえ舗装されていなかった。
当然かも知れないが車はほとんど走っていなかった。

自然も豊かであの細い川でもシジミが捕れたし、蛍が毎年たくさん飛んでいた。
緑も豊富だったが、農薬がふんだんに使われ蛍もシジミも魚も姿を消した。いまだもって帰ってこない。

さらに山は削られニュータウンができて人工は増え続け、日本列島改造論が出た頃から車も竹藪にタケノコが出るように増え続けた。
私は戦争は知らないが、敗戦のどん底からだんだんと豊かになってきたのである。

いまは、町が市になり、2校しかなかった小学校もたしか7校になっている。中学校も増えて1高等学校と大学が2校できるまでになった。
私が通った小学校に子供が通い、いまは孫が通っている。

国道筋はほとんど田んぼだったのが隙間がないほど店舗ができている。
この狭い町にフランス料理店が3店できていた。

となりの町も同様に緑はほとんど残されていない。
便利になったぶん、事故で命を失う人も増えてきている。

何と言っても平和が大事だが、子孫が豊かに暮らせるように計画的に自然環境を守る施策が必要になってくる。
環境破壊は人間が行ってきた。

人は考える力を持っている有能な動物だから京都議定書を守り、美しい地球を残さなければ笑われるのだろう。