1995年1月17日の早朝は地震によって起こされた。
すごい縦揺れで私はすぐに箪笥を抑えた。

しばらくしてテレビを点けると神戸が大変なことになっているではないか。
高速道路は横倒しになり、寸断された高速道の上には観光バスの車体半分がでていた。
ビルも横倒しになり、病院は4階が無くなっている。
黒鉛があがり、あちらこちらで火災が発生していた。
淡路島北部を震源とした直下型の大地震だった。

何日かして、仕事で神戸を通ったときに見たものは民家は倒壊してほとんど屋根しか見えなかった。これでは助からないと思った。
亡くなった人の多くは土壁が落ちてその埃を吸った人が多かったと聞いた。
また、火事による犠牲者もいた。

この震災で6434人が犠牲になった。

多くのボランティアが直後から支援に立ち上がった。
私は13万5000円の義援金を送った。

次は南海地震が何時来てもおかしくない。

天災は避けようが無い。
願うのは地震予知の正確な技術を早く開発して貰いたい。
テレビやインターネット、公共施設で、また、エレベーターのなかで、運転中の車にも、
予知が正確になれば尊い命が救われる。