悪魔は突然アメリカからやってきた。
1945年8月6日午前8時15分には広島に8月9日午前11時02分には長崎に、爆撃機から原子爆弾が投下された。

唯一の被爆国である日本は広島、長崎で推定21万4000人が死亡した。

「しょうがない」ではなく、「世界の核廃絶」声を大にして訴えなければならないのは日本である。

長崎の原爆資料館と広島の平和記念資料館には何十年も前に行っている。
世界の平和を訴えるのは広島・長崎・沖縄から、そして日本から、




「屍の街」 原民喜

私はあのとき広島の川原で、いろんな怪物を視た。男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で横たわっている人間たち……。だが、そうした変装者のなかに、一人の女流作家がいて、あの地獄変を体験していたとは、まだあの時は知らなかった。
「なんてひどい顔ね。四谷怪談のお岩みたい。いつの間にこんなになったのかしら」と大田洋子氏は屍の街を離れ、田舎の仮りの宿に着いたとき鏡で自分の顔を見ながら驚いている。それから、無疵だったものがつぎつぎに死んでゆく、あの原子爆弾症の脅威を背後に感じながら「書いておくことの責任を果してから死にたい」と筆をとりだす。こうした必死の姿勢で書かれたのがこの「屍の街」である。銅色に焦げた皮膚に白い薬や、油や、それから焼栗をならべたような火ぶくれがつぶれて、癩病のような恰好になっていた。これは、この著者が目撃した、惨劇の一断片であるが、こうした無数の衝撃のために、心の傷あとはうずきつづけるのだ。著者は女性にむかってこう訴えている。
生きなくてはならない一人の女の右手が、永久にうしなわれて行くのでしたら、戦争そのものへの抗議と憎悪が日本中の女の胸に燃え立つはずです。