朝倉孝景代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定した。

以後、5代103年間にわたって越前の中心として繁栄した。
この間、京や奈良の貴族や僧侶などが下向し北陸の小京都とも呼ばれたが1573年織田信長に敗れ城下町も焼き討ちにあい朝倉氏は滅びた。

 朝倉義景館跡入り口 唐門
1

2

 復原模型
3