現在の大阪城天守閣は市民の寄付金によって昭和6年に竣工した鉄骨鉄筋造り8階建てだが、秀吉が大坂城を築城する以前は、大坂石山本願寺があった。


大阪城石山本願寺は、戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡大坂にあった浄土真宗の寺院、城郭である。

大坂石山本願寺は、元は本願寺第8世法主蓮如が隠居先として選んだ場所であり、大坂御坊(石山御坊)と呼ばれた。

石山合戦は、1570年10月11日から1580年9月10日にかけて行われた浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)と織田信長との戦い、本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭って戦ったことから石山合戦と言われる。

天王寺合戦、木津川口海戦において包囲され、経済的に封鎖された石山本願寺は、毛利輝元に援助を要請した。輝元は要請に応じ、村上水軍など毛利水軍の船700から800艘が兵糧・弾薬を運ぶために大坂の海上に現れた。織田軍はすぐさま、配下の九鬼水軍など300余艘で木津川河口を封じたが、毛利水軍は数の利を生かして火矢や焙烙玉で織田軍の船を焼き払い大勝して本願寺に兵糧・弾薬を届けた。

大阪城の基には、
難攻不落といわれた石山本願寺の城郭、石山合戦では朝廷が仲裁に入るなどの歴史があったことを思い、改めて城を見るのもおもしろい。