園城寺三重搭はもと大和国の比曽寺(現代の世尊寺)にあった東塔を慶長6年(1601)に移したもので大和地方における中世の塔の風格を持っており鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされているとの説明がある。

 園城寺三重塔

園城寺三重搭

 三間三重の塔婆の形式で本瓦葺きの屋根を持ち、各重の落ちも大きく初重目に縁をつけ、また二重目、三重目に菱格子を用いているのは珍しく国の指定文化財となっている。

 移したとの説明に「なぜ」と疑問に思い世尊寺に行ってみた。
 大和国と言っても吉野に近く南大和と言った処か。上比曽となっていた。

 世尊寺(比曽寺跡)三門

世尊寺

世尊寺

 東塔は寺伝によると、聖徳太子が御父三一代用明天皇のために建立され、その後、鎌倉時代に改築されたことが礎石の一部によって知ることができるとある。

 文禄3年(1597年)豊臣秀吉によって伏見城に移され、さらに四年後、慶長6年(1601年)徳川家康によって大津の三井寺に移築されたとあった。

 東塔跡

東塔跡


 飛鳥時代に創建されたとされる西搭は33代推古天皇が夫の帝30代敏達天皇のために建立したが相次ぐ戦乱に災いされ、惜しくも西塔は「賊の手によって焼失せり」と、古今物語に記されているとある。

 西塔跡も残っているが、東塔跡との間が狭い、多分、後から盛り土され礎石を置いたと考えられる。比曽寺当時は境内も広く東塔西塔間も距離があったのではと推測した。