司馬遼太郎は野に咲くタンポポや菜の花が好きだったことから2月12日の命日を「菜の花忌」という。
東大阪の小坂にある司馬遼太郎記念館は菜の花でいっぱいになる。かなり前になるが「二十一世紀に生きる君たちへ」を買って帰った。

数ある作品のなかに「雑賀の舟鉄砲」がある。

石山合戦は織田内大臣信長が、海内経営の用地として摂津石山の地に着目し、本願寺上人顕如に立ちのきをせまったところから端を発している。

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主人公雑賀市兵衛は門徒のひとりとして石山本願寺に入るが、働けば金穀を貰えると思っていた。合戦によって武功をかせがなければ分家を建て嫁をもらうことがでないのである。

ところが、手柄をたてたとき、「そこもと働き、殊勝である。いよいよ精を出さば、極楽往生は決定であろう」という門主からの感状一枚であった。
死んで極楽往生はいい。しかし、生きて嫁をもらわねば、人として生まれてきた何の甲斐があろうと思う。

武士は手柄をたてれば領地を与えられ石高は増え金銀がふるまわれる。門徒衆は金穀を共せられるわけでもなく、位階をもらえるわけでもなかった。数万の門徒はすべて弾丸糧秣を自弁していた。
「働らかば、極楽浄土に連れまいらすぞ」という本願寺上人のことばであった。

市兵衛は鉄砲の腕をかわれ播磨三木城へ行くことになり、そこから人と人との出会いが始まる。見事なタッチで描く司馬作品は読み出せば引きずり込まれとまらない。