追廻門は西から砂の丸に入る門で、門を出て道を隔てた外側に馬術を練習する追廻があったことからこの名前がついた高麗門形式の門、

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元和5年(1619年)に紀州徳川家初代頼宣が入国した際に和歌山城を拡張して砂の丸や南の丸を内郭に取り込んだ際に建立された門で、岡口門とともに旧藩時代の数少ない遺構で藩主が座る二の丸御座之間の南西に位置して陰陽道の裏鬼門にあたるので除災のため朱色に塗られたと考えられている。