小谷城の清水谷入口には清水谷を守るため閉鎖するように作られた幅約20メートルの堀があった。

堀から清水谷中央の道が清水谷道であり、浅井家重臣の屋敷等が建ち並んでおり、御屋敷からは急な登り道となり織田軍が最後の小谷城攻撃で攻め登った谷と言われている。さらに登ると三田村屋敷・大野木屋敷と連なり小谷城主郭の最奥の六坊に至る。

清水谷の最も奥に位置していたのが御屋敷で浅井亮政・久政・長政やお市の方とその子供たちの茶々、初、江が暮らした所と考えられている。

御屋敷跡

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備考: 清水谷道の両脇には、磯野丹波屋敷、遠藤屋敷、木村屋敷、山城屋敷、天徳寺等や井筒があったと云えられている。
清水谷の西の山上には山崎丸と福寿丸があった。