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寛永19年(1642年)幕府の直轄地となり、新田開発による農地の増加、綿花の栽培による商工業の発展により人の流入も多くなり、
備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路、水路を通じて集荷、搬出されるようになり、一大商業地として繁栄した。
川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの倉庫が次々と建てられていったとある。

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