松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のこと。
その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になる。

5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のものとなる。
完成した新城は面積約7万7800平方メートルで、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座を備えていた。

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幕末の築城にも関わらず、松前城は激しい攻防戦を体験している。1868年(明治元年)、蝦夷が島に独立政権樹立を目指す旧幕府の榎本武揚を首領とする軍勢は、渡島半島の各地を制圧し、11月5日にはもと新選組の土方歳三が700名ほどを率いて松前城を攻撃した。
松前藩の軍は防戦に努めたものの、わずか数時間で落城した。

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本丸御門

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しかし、翌1869年に榎本らの政権は降伏し、再び松前城は松前氏の領有となり、1871年(明治4年)の廃藩置県の施行により城は明治政府の領有となった。
1875年(明治8年)には天守など本丸の施設を除くほとんどの建築物が取り壊された。

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所在地 北海道松前郡松前町字松城144